当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.11
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.07(2004年&2005年〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.02(2002年9月〜)
VOL.01(2002年オープニング)

2008年12月31日(TUE)
今年最後の総括、そして来年への展望などなど、ちょっと長くなるかも・・・。

昨年末、聖なる夜に懺悔とともに蒔いたタネ。されど一年経っても未だ芽を出す兆しさえない。同種のタネは2003年5月以来、何度か蒔いてきたが、結局何も変わらぬ以上、それが自身に与えられた試練なのかも知れない。

自身の一方通行に過ぎないが、改めて国産アコースティック・ギター史を振り返ると、そこには大いなるキーマンとして寺平一幸氏と田原良平氏の存在がある。

その一翼の片鱗を当サイトで扱う事が出来たのは大変幸運なことだが、さらに田原氏まで情報構築すること自体、日本ギター産業史を独占しはしないかという想いから、それなりの呵責ありて長年沈黙してきた。

しかし、ブームと共に再燃したアコースティック・ギターも、かつての懐古主義ばかりで、未だ本質に目覚めぬまま何も変わらぬ以上、自身の願う真の国産アコースティック・ギター史の幕開けは訪れない。

一年越しの大晦日の本日、自身に与えられた試練として“田原良平宣言”致します。目指すそのステージたるは、勿論『絃楽器解体眞論』である。

「YAMAKI」の様な特定のブランドを扱うつもりはない。ルシアー・田原良平、田原イズムを核として、和製ビグスビーたる事実・功績を辿りつつ温故知新としたい。

とは言え、情報公開の扱いは難しい時代である。ゆえに了承を得る上で関係諸氏との情報の接点をお持ちの有志・同志の皆様、管理人宛てにどうか情報をお寄せ下さい。

さて、懸案の「ヤマキズム」執筆で案外気持ちの整理がついた。7年目のけじめとしての卒業論文らしきも終えた本日、“田原良平宣言”と共に“ヤマキ(仮)卒業”の区切りとしたい。『絃楽器解体眞論』の公式告知をもって正式卒業、という訳で、当サイト最後となる最終更新を残しておきます。

本邦初あるいは未公開の類いの情報は自身の手中に豊富にある。裏を返せば、それだけ国産アコースティック・ギター文化が未だ発展途上たる証だろうが、すべては次なるステージ『絃楽器解体眞論』で新たなタネ蒔きとして展開してみたい。

7年間のコラボレーションはインターネット最大の功績であり、ご協力頂いきました有志・同志は、いずれも今後のアコースティック・ギター文化を担う素晴らしい方々ばかりでした。

検索エンジンにかからぬ様、検索タグをはずしたのは功を奏し、BBS(掲示板)を排除したのは最良の選択となり、自身が望むべき結果とエピローグへと導いてくれました。

振り返れば荒野にて有志・同志と歩んだ道らしきが出来、今後は道なき新たな荒野を目指しますが、さて、百年に一度のミゾウユウな厳しい年の瀬にあって、来年はどうなることやら見当もつきませんが、ヤマキを通じて皆さんにお会い出来て本当に良かったデス。感謝!(^o^)

2008年10月5日(SUN
運良く入手する機会を得て精査するほどに、早くも自身の妄想ならぬ“読み”が甘かった事を、つぶさにそのギターは語り始めた。

昨年10月以来となれば一年越しとなるが、「HOTAKA(ホタカ)」「HODAKA(ホカ)」ブランドの経緯で、少なくとも「HOTAKA」以降に「HODAKA」がリリースされたであろう要素は見受けられなかった。

「HOTAKA」と「HODAKA」は、同じ陳列スペース内に並び販売されていたと言う。(※「どうらく編集委員」ホームページ/松任谷正隆氏談を引用)

上記引用サイトを改めて再読すると、ビートルズの武道館コンサート以前にフォーク・ミュージックに傾倒していた氏がギター購入の際の光景を回想した一文であれば、何より自身の推論と時系列が符合しない。オ〜マイガ〜ッと言う前に、余りに初歩的ミス。

「HODAKA」は、「HOTAKA」にリニューアルされた経緯を物語るかの様に、検体はやや旧式な作りでシリアル・ナンバーも極めて若い。シルアルを目安にするならば、かなり初期の段階でリニューアルされた可能性が高いだろうか。

ホタカは、ヤマハが初のフォーク・ギターを発売する以前に当時一世を風靡していたブランドである。同時期のヤマハ製品と比べて最上位モデルの検体は適度に作りがぬるい。製造を重ねる中でのマイナー・チェンジもある。

肝心のホカには、ホタカ後期にはない、むしろ初期的要素が印象に残った。ホカはハダカではなく、もしや自身が裸の王様だったのかも知れない・・・。

カは、自身にとって予想を遙かに超え意義深く貴重な情報に満ちたギターであったが、ホタカとて同様だろう。そんなギターにそうそう運良く巡り会えるものでもない。

うわべだけのカタログ的情報誌もあるが、蓋を開ければ様々な点で実に奥の深いギターであり、実は水面下でのいくつかの懸案が、実物を通して確信に近づいた。困った事には、それゆえ手放せぬギターがまた増えてしまった・・・。

休筆予定でしたが、体調もすぐれず週末家にごろごろしてる事もあり、予定外に二週続けて綴り候。

2008年9月28日(SUN
“もりとんかつ〜 いずみにんにく〜 か〜こんにゃく〜 まれてんぷら〜・・・”

某世代までには通用する有名な替え歌ですが、この元歌となるブルーコメッツの「ブルーシャトー」は、そのモチーフが「月の砂漠」である、とした通説を同時代の多くが刷り込まれている。

「月の砂漠」を口ずさみ“あ〜ッ、なるほどね!”と通説がいつしか記憶の底で定説と化している事だろうが、グループ・サウンズという洋楽かぶれの若者達の楽曲の元ネタに、当時わずかながら違和感を覚えたご記憶もあるやも知れない。

「ブルーシャトー」の元ネタとなった楽曲は「月の砂漠」ではない。ビートルズの「イエスタディ」である(と思われる)。

この関係を記す情報は見当たらない。新たな定説?へと導く貴重な一節を紹介しませう。ごく普通に読み過ごしてしまう何気ない一節だが、自身の妄想という感性には相変わらず気をもまされる事が多い・・・。

『年末にはブルーコメッツはレコード大賞受賞、NHK紅白歌合戦への出演と一挙にスターの頂点に立った。森岡はレコード大賞受賞や紅白歌合戦の出演時にはブルーコメッツに同行した。楽屋でダイちゃんこと井上氏に「おめでとう」と声を掛けると彼はビートルズのイエスタディーは永遠だがブルーシャトーはどうかなあと笑った。(省略)』
(※『Kazy Firstman & Mosrite』HP内 2007/5/8「ダーティー楽器業界」firstmanstoryより引用)

2008年8月24日(SUN
「ヤマキズム」終了とともに、当欄「あとがき」にコメントを寄せ、いざアップロード更新と思いきや、ホスト・サーバに繋がらない。

ホスト・サーバ側の最新情報では、どうやら障害発生中とかで少し安心したが、後日改善情報が出されても何故かアップロード接続が出来ないので、今度は少々心配になってきた。

心配ついでにデータUP法の改善を問い合わせた所、より便利な対応が可能になったので、わざわい転じて云々ってな所だろうが、更新もさほどないだけに勿体ない。

先週の『予告案』の際の役にでも立てれば良しとしませう・・・そこで一句。

「ヤマキズム オリンピックも 終わりかな」 by デッサン

2008年8月17日(SUN
懸案の「ヤマキズム(YAMAKISM)」終了〜ッ!(^o^)
構想案を断念しての未消化ゆえ、完結とは言い難い内容なのであまり期待しないでね。

はてさて、やっぱり仕事に振り回されてます・・・。

振り回されながらも、YAMAKIと切り離す案を検討中デス。一応、入口めいたTop案を作ってはみましたが、勿論入れませんヨ。



何かサイズ的にも見た目的にも音楽CDのカバーに使えそうなデザインですネ。実際にはシングルレコードのカバーぐらいデカイんですが。

いっそのこと本にでもしちゃいましょうか。んッ?没ッ??

今年中に入れる様になるか、企画倒れになるか・・・やっぱり仕事に振り回されてるかナ?

上記予告案も無事公開と成り得ればですが、当サイトも必然的に終了・お役ご免となりまする。

2008年1月6日(MON
2008年は社内基幹システムが完全に変更され組織作りも変わる。仕事に振り回されそうな年となるのは目に見えている。じっとガマンの一年となりそう。

ギター関連では色んな意味で昨年の持越しばかり。前に進めるかどうかが今年の課題かな。

おぼろげな自身のギター像が変わった分岐点とも言える昨年後半でしたが、今は具現化すべき姿がハッキリ見えている。

それが偶然か必然かは判らないが、自身の価値観を変えた出会いがあったように、今年もそんな新たな出会いを重ねて行きたいと願っております。

昨年具現化できなかったいくつかのせめて一つぐらいは形にしてみたいものです・・・。


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