当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.03
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.07(2004年〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.02(2002年9月〜)
VOL.01(2002年オープニング)

2003年6月29日(SUN
半年分の締めの話題は、先だって4週に渡り取り上げたデジタル・ギターに対しての総括デス。質問各諸氏にはスクロール長文への配慮から手短な言葉で失礼させていただきました。

さて、改めてデジタル・ギターで感じるのは、老舗たるギブソン社が出品した意義と、対してLINE6社が出品した意義は、似て非なるものだいう事でしょうか。少なくとも今後のデジタル・ギターの行方を決定づけているのは間違いなくLINE6社のモデリング・ギターです。そしてギター分野へのニューカマーこそが成し得る製品でもあるとも言えます。

デジタル・ギターの進出を一番脅威に感じているのはアナログ・ギター製造メーカーであり、既存のギター産業界そのものではないでしょうか?理由を簡単に説明すれば、アナログ・ハードウェアがデジタル・ソフトウェア化される脅威に他なりません。

アナログ・ギターは、コピーからオリジナルまで多様な個性をもつ製品展開が比較的容易であるのと加え製品単価もある程度の水準を保てますが、対してデジタル・ギターは、既存のアナログ・ギター製造メーカーが築き上げてきたこれら要素をことごとく革新していくであろう対極的存在となるかも知れません。

つまりアナログ・ギター製造メーカーがデジタル・ギターに参入することは、自身の首を絞めるようなものであり、結果、アナログ・マーケットを狭めてゆくことにつながるからです。参入せざるを得ない必然的負荷が生じない限り・・・ということは、既存のメーカーが参入するにはかなりの時間を要するような気がします。

一つの指針となりえるのが老舗ギブソン社の今後の動向と言えるかも知れません。果たしてデジタル・ギターを強力に開発・推進してゆくのでしょうか?展開するビジョンも現時点ではきわめて不明確です。方やLINE6社が新たにマーケットを切り開く真のイノベーターと成り得るかどうかも、同社の今後の展開にかかっています。

アナログ、デジタル双方のもつギターの良さは近づきつつも、現時点では両者の間にはまだまだ相容れぬ大きな壁があるのも事実。特にアコースティックの分野では、様々な演法にともなう多彩な音色を引き出す術は、デジタル技術だけではまだまだ追いつけません。

私自身はギター産業のいち傍観者として今後とも上記2社のデジタル・ギターの行方には注目しています。特にLINE6社の更なる展開は、好む・好まざるにかかわらずギター産業史および産業界にエポック・メイキングをもたらす事でしょう。

しかし既にデジタル音楽産業がそうであるように、「利便性」がかえって音楽産業や音楽そのものを味気ない月並みなものにしてしまわないよう密かに願うところです。

2003年6月22日(SUN
先週末から風邪で体調不良続きでした。耳鼻咽喉科では同じ患者さんが・・・見渡せば子供ばかり。

さてアコギの話題の流れに水を差すようですが、ちょっと気になる事が・・・。

実はWEBにアクセスする際には「クッキー」を拒否してます。どんな中身のクッキーかも解らないし、それで表示が困ることもない。中にはくどいほど差し出すサイトもありますが、面倒と思いつつも一応拒否。

最近どうもヤフオクが変ッ!ことある事にいちいちクッキーを差し出す様になった。まるでこちらの対応を統計立てているみたいな・・・素人には解らんレベルのことだけど、この対応の変化は何を意味するんだろう?

2003年6月8日(SUN
今日は天気に恵まれ運動会日和となった・・・。子供達の楽しい運動会を満喫しつつも紫外線の強そうな日射にはマイッタ〜の一言。暑い中、子供たちもガンバッた!でもっ、お父さんもガンバッたゼッ!!

さて・・・当サイトを通じて「ヤマキ楽器株式会社」あるいは「寺平一幸」氏に関する情報を模索するうちに、おのずとヤマキのみならず他の数々の国産メーカーの情報まで吸い寄せられるようにして累積していく。

最近はそうした情報の整理までせざるを得なくなり、日をおって予定外の仕事が増えてはカメな私の体にムチをうつ。キョウビなんとな〜くではありますが、情報構築することって多分そういうことなんだろうなぁ〜と、多少あきらめモードっス!

そうした情報を精査しつつ改めて思い知らされるのが、実は・・・ヤマキだったりします。多少の予感&妄想を抱きつつも意味深に始めたサイトじゃない。まさかそんな・・・という情報とともに知れば知るほど改めて驚かされる意外な展開・・・。

ミイラとりがミイラになりつつあるような現状は情報構築者としては如何?とも思いますが、そうした情報等をまだ公表しえないのも現状で、色んな意味で色んな所に多重連鎖してるだけに、ちょこちょこ更新するのも具合が悪いので、色んな観点から情報精査および整理をじっくりと(のんびりと、とも言う)取り組んでおります。

それ故に、お寄せいただく投稿画像等は別として情報更新にはかなり手間どりそうです。 ことあるごとに多方面に言い訳してますが・・・『のんびりとお付き合い下さい』。(汗)

2003年6月1日(SUN
先週もアコギっぽい話題のつもりだったんだけど、フジゲンがらみだとどうもエレキっぽくなっちゃったような?しきり直しかナ?

日本にカントリー&ウェスタン・ギターの礎を築いた影の立て役者・川瀬喜一郎という人物・・・。

東京は神田小川町にあるアコースティック・ファンの聖地とも語られるカワセ楽器店のオーナーで、アコギに無関心だった私でさえチラッと聞いたことがあるような・・・超・有名な方らしい。

1944年(戦争まっ直中だっ!)に「カワセ弦楽器研究所」を設立以来、終戦まもない1946年には「カワセ楽器店」を開き、翌1947年には現住所に移転して以来、弦楽器を専門に扱うSHOPとして今日まで君臨し続けている。

日本のアコースティックという足跡を訪ねると、必ずといってよいほどこの「川瀬喜一郎」という名に突き当たる。いわばド素人でも解る凄さを秘めている。ヤマハがフォークギター製造を決断した際、手本となる国産品ではカワセ楽器店のものしかなかったと言う。

モリダイラ楽器が立ち上げ、たちまち人気商品となったHOTAKA(穂高)ブランドのウェスタン&フォークも、製造元・長野楽器に川瀬喜一郎氏の技術協力があって為し得たことだ。のちに長野楽器・社長のワンマン経営ぶりにたもとを分けた森平利男氏が興した芳野楽器からリリースされたモーリス・ブランドにも氏の協力が不可欠だった。

さらには芳野楽器から独立した田原良平氏が設立した田原楽器のジャンボ・ブランドも、カワセ楽器店の取扱商品として幾多の製品指導をしているという。

こうして振り返ると、森平利男と川瀬喜一郎という両者には共有すべき同じものを感じざるを得ない。それは当時の製造メーカーの意識として遅れていた「より素晴らしい楽器作り」という、今でこそ当たり前の様な意識だ。そうした意識を深く追求した芸術肌のギター職人が田原良平氏・・・とでも言えるのだろうか。

矢入貞雄さんがあれだけ短期間でドレッドノート・ギター(YDシリーズ)を立ち上げられたのには、もちろん森平利男氏の関わりはさることながら、キー・マンとして川瀬喜一郎氏が何かしら関わっていたからこそ可能だったんじゃないのだろうか?と言うのが目下の個人的推測なのですが、さて、真実は如何に・・・。

2003年5月25日(SUN
楽器業界の登録商標に関しての話題って、事欠くことはないように思う。例えば1965年8月、富士弦楽器製造(株)(以降「フジゲン」に省略)がとんでもない商標を登録した。

1965年といえば、まさにアメリカではエレキ・ギターの需要のピークを迎え、日本国内でもエレキ一辺倒、第一期ギター生産ブーム真っ盛りといった時代だ。この時期フジゲンが登録した商標は「GIBSONギブソン」「KAYケイ」。続く10月には「FENDERフエンダー」。こんな商標を登録するフジゲンもさることながら認可するお上も「ピ〜●●●●〜ッ」モノだ。

この時期のフジゲンは、ワンマン・三村 豊氏を頂点にひたすら「低コスト&量産」を掲げ、米・楽器関連業者とも貿易商社を交えない直交・直販を進める楽器業界でも異端児的存在であった・・・そうな。 その4年後には、多くのエレキ関連組織が倒産・辛酸を味わう中、例に漏れずフジゲンも数千万円の赤字を抱える会社に転落していた。そして引責退陣した三村氏に代わりその再生を担い社長就任したのが専務・横内裕一郎氏だった。

フジゲンは、エレキに代わり急速に需要を伸ばすガット&フォークといったアコースティック製品に切り替える一方、米フェンダー社製テレキャスターが新たな需要ターゲットとなり、日本国内にもにわかにテレキャスター・コピー熱が起こる中、このエレキの熱はやがて米ギブソン社のレスポール、SG・モデルへと代わっていく。

フジゲンもこの波に便乗するかのように、いち早くレスポールのコピー製品を打ち出し、次々と新たなギブソン・モデルを加えてゆく。フジゲンは再びエレキの需要を獲得し、いつしか順調な再生の波に乗っていた。

この再生劇の立て役者こそ、課長「島 耕作」ならぬ役員「島 幸太郎」氏であるというのはもっぱらの噂のようですが、何より新生フジゲンが目指したものこそ、ワンマン・三村氏の眼中になかった品質の向上という目標課題だった。輸出も専門商社、国内販売は神田商会を窓口に、かっての業界異端児も優良楽器製造メーカーへと変貌を遂げつつあった。

こうした最中、米国輸出向けの「CANDA(キャンダ)」が国内販売される。品質向上を課題に新生フジゲンが打ち出した初のギブソン・スタイルのアコースティック・ギターに冠せられたブランド名である。その初の製品こそが「JF400」後に「404」あるいは「404Y」となったギブソンJ-200タイプのコピー・モデルである。

コピー一辺倒のフジゲンにしては摩訶不思議なコピー&オリジナル・モデルで、それだけに新生フジゲンを象徴している変わり種ファースト・モデルでもあるだけに、忘れ形見的に小生も所有しておりますが、音は多分に期待しない方が無難・・・かナ。

な〜すて「CANDA(キャンダ)」なんだぎゃ?

フジゲンの「GRECO(グレコ)」は、もともと商標元のゴヤ(N.Y.)のバイヤーズ・ブランド(国内での商標使用権のみ有効)で、幅広い業種を含む楽器商標24類(現在は15類)では「KANDA」が登録済みであることから苦肉の策で生み出されたブランド名で、輸出先米語圏での発音からキャンダとしたそうな。ホントカイナ?

さて、後にフジゲンはフェンダー・ジャパンを設立します。これは不死鳥のように再生した同社の製作水準の高さがもたらした結果でしょうが、冒頭の「FENDERフエンダー」商標登録が米フェンダー社側の意識せざるを得ない最初の接点となったとするなら・・・楽しい想像にとどめておきませう・・・。

2003年5月18日(SUN
そういえばデジタル・ギターがらみでGM誌を拝見した際、興味深い編集長N氏の連載コラム記事を読んだ。元テスコの技術者・竹島治氏のインタビューの抜粋記事仕立てで、かって腕の立つ「幻のギター製作者」がいたと綴っていた。(「幻のギター」だったかも?)

なんでも当時、日暮里近くの「熊野前」という都電停留所そばの楽器屋さんに電気ピックギター製作のためテスコ設計によるオリジナル・ピックギター製作を依頼していたらしい。当時ナルダン・ピックギターといえばかなりの人気商品だったらしいが、それ以上の製品を作り上げてしまうほどの名も知れぬ幻のギター職人という・・・。

1950年代半ばにも満たない頃のことのようですが、ものは試しにと東京都地図帳を広げてみた。記憶をよりどころに探してみると、今でも日暮里近くに都電らしきがある。更によく見ると「熊野前」も載っている。現住所となると「熊野前」を中心に荒川区東尾久町の3丁目〜8丁目付近ということになるようだ。

ここまで来てやっとピンときた。つとに有名な弦楽器製作者が一人いるではないですか・・・誰あろう、手工弦楽器製作者の「野辺邦治」氏である。野辺邦治ギターといえば、ラミレス・タイプの高級手工ガットギターを製作されている方らしく自宅兼工場は東尾久町5丁目-××-××とある。これと別に野辺楽器店というのもかって東尾久町4丁目-××に存在しているようだ。

断言するわけにはいかないけど、「幻」=「野辺邦治」となると腕の立つギター製作者にはちがいないのでしょうが、決して幻ではなくなる訳だ。興味本位でほんのわずか手を掛けただけで解るくらいなら、或いはせめてこの程度検証した上で歴史を紐解くような記事に仕上がっていたら、さらに面白い記事構成になっていたかも・・・。

2003年5月11日(SUN
優れた資質をもつギター職人が卓越したギターを創造する一方で、優れた感性をもつギター取扱商の存在も見逃せない。そんな一風変わった話題の人物・・・ほかならぬモーリス・ブランドを立ち上げたモリダイラ楽器の森平利男氏その人をおいて他にいるだろうか?

森平氏にスポットをあてた話題などあまり取り上げられることもないだろうが、実は楽器商の中でも類い希なる才覚の持ち主であったように感じる。顧客のニーズのみならず時代のニーズの先を読みとる類い希なるその感性は、おそらくは銀座・山野楽器時代に身に付けたものなのだろうと想像する。

楽器売場の販売主任としてアメリカのNAMMショーやらフランクフルトのメッセやら東奔西走しつつ、また多くの来客・顧客とじかに接することで絶えずダイレクトに情報の機微に触れ蓄積された賜物なのだろうが、もちろん氏の恵まれた才覚に負う事「大」であろうと思う。当時、楽器商として理想的かつうらやむべく環境にあった人物は、氏をおいて他にいたころだろうか?

森平氏が独立し立ち上げたHotaka(ホタカ)ブランドのウエスタン&フォーク・ギターは、タイムリーな製品として一世を風靡したようだ。さらに先週も話題に取り上げた田原良平氏を社長に据えた芳野楽器設立とともにモーリス・ブランドをアッという間に定着させてしまう。PPMが来日した際使用したモデルを同時期サッと商品化させてしまうそのタイムリーさなど他社には到底マネできないだろう。

1971年にヤイリ(貞雄氏の矢入楽器製造)から初のドレッドノート・YDシリーズが製品として打ち出され今ではマニア垂涎のギターのようですが、これも森平氏の働きかけにより実現したもののようだ。

田原良平氏が独立し田原楽器を設立した後の芳野楽器にその重責を担うべく人材が不足していたのか、ヤイリ製品の50%は輸出されていたことから対米輸出までを目論んでもちかけたものかは推測の域を出ないが、NAMMショーの出品を視野に入れてのデビューであったことを裏付けるかのように日本国内でも6月にはモリダイラ楽器特約商品として発売され、以後ヤイリを大きく方向転換させる製品となった。

フォークギター・ブームの立て役者・森平利男氏の足跡のほんの一部ながら、その先見の明には業界を挙げて一目置くものがあるように思う。いずれ続編でも書いてみようかナ・・・。

2003年5月4日(SUN
デジタル・ギター続きだったので、しばらくは敢えてアコギ関連の話題でも綴ってみようかナ・・・。

ネット上のアコギの話題等を時おり拝見しています・・・と言っても最近は数ヶ月おき、良く言えば意識的に間の取り方を大切にしてる・・・苦しい弁明ッス(汗)。

恐らくは存じ上げないサイトの方が多いほど情報音痴ながら、色んなアコギを熱く語る方々の書き込みを拝見して来ました。以前からずっと気になるのは、それらの中に「JUMBO(ジャンボ)」の名前が見当たらないことかナ・・・自分がマヌケで気づかないだけかもネ。

早熟のギター・メーカーという点では、恐らくヤマキ以上ではないだろうか。ジャンボ・ブランドは1969年の春頃のデビューだと思うが、まさにマイク真木の「バラが咲いた」以来ひと息ついていたフォーク・ブームが再燃し始めた年だ。

流行もののフォークギターそれもエントリー・クラスが主流の当時、絶対の自信のもとウエスタン(マーティン・ドレットノート型を意味する)一本のみ、手工クラスのものしか作らない。デビューから楽器としてあるべき姿を追求したギター職人気質丸出しのウエスタン・ギターに冠されたブランド名こそが「JUMBO」・・・とでも言えるのだろうか。

あらゆる弦楽器を製作・研究したという田原良平氏の腕前は、ホンモノのギター職人の証であるかのように頑固なまでの品質の下、入念なまでの製作時間をかけ満足に足るギターしか生産しない。単にマス・プロダクションに乗せれば良しといった旧来の競争原理から本末転倒した頑なな経営手腕ぶりからすれば到底生き残れないハズだが、時代の風は急速に田原氏になびきはじめる。

戦後20数年という長い歳月の中、それまでは本物を知らない、本物を必要としないマス・プロダクション一辺倒の時代を経て、本物を必要とする時代が訪れたのである。 高級ギターが製造できないと採算が合わない生き残れない時代への変貌こそがJUMBOギターの追い風となり、そうした意味ではまさに幸運の一級品といえるのかもしれない。

フォーク、ウエスタンいずれも我が国産アコースティック・ギター黎明期に、マーティンを凌駕すべく打ち出されたブランドは余りに早熟で、ドレッドノートにこだわる気質は先見の明さえ感じられる。早期からSシリーズなどD-28Sタイプにこだわるなど、新たなサウンドを追求する感性にも光るものがある。

良質なギター・メーカーは2タイプ存在する。クオリティ・コントロールの優れた「木工品」を製造するタイプ。もう1つはクリエーター的に優れた「楽器」を創造するタイプ。簡単に言えば、優れた「木工職人」と「ギター職人」の肌の差かも知れない。勝手な私見で言わせてもらえば、ヤマキ、ジャンボは数少ない後者の部類・・・かナ?

よくよく考えてみればヤマキの寺平氏とジャンボの田原氏は全音ギター製作所時代の組織上の師弟関係・・・田原氏が諏訪に越してきて以来の仲なれば旧知のギター職人仲間といっても差し支えないのかナ。ちょっと話が出来過ぎ??

個人的嗜好性にもよるのだろうが、JUMBO&田原良平氏にはヤマキと共通するハートを熱くうずかせるものがあるんだよネ。そのうち、JUMBOについて語るカキコでも見つけた時には内心ホッとするのかも・・・JUMBOサイトが立ち上がるようなら喜びも・・・う〜〜ん、やっぱちょっと複雑ッス。

2003年4月27日(SUN
デジタル・ギター(その4)・・・デジタル・ギターの出現から数年、あるいは十数年後には、ソフトウェア化されたROMスティックの様なものが普及しているのではないだろうか?ライブあるいはレコーディングなどでは、●●社仕様のレスポール'59、あるいは××社仕様のレスポール'58が良い・・・なんて会話になっているかも知れない。最終的にはエフェクター器機の様に落ち着くんじゃないだろうか?

ギターがデジタル・デバイスとして特化してゆくと、自分にはどうしても現在のエレクトリック・ウッド・ベースの様な、レレレのおじさん風スティッキーなホウキ・ギターを想像してしまいます。

LINE6社などのモデリング・ギターは、まだギター風情をとどめてはいるが、デジタルならではの出力デバイスとして考えるとフェンダーあるいはギブソン・ライクな形は不必要であるように思う。むしろ出力デバイスとしてのギターなどよりも、モデリングあるいはシーケンスされるソフトウェアのクオリティが重要視されるようになるかも知れない。また、こうした技術の蓄積によって多彩なソフトウェア化が一気に進むかも知れない。

今月号のPlayer誌には、先月号のNAMM SHOWのデジタル・ギターに関するコラムがなく同社の視点の弱さを感じました。方やGuitar magazine誌では、LINE6社のモデリング・ギターの特集を組んでいたぶん個人的には好感が持てた。音楽誌としての感性の違いが出たっていう感じかナ?

最後のLINE6社の社長さんのコメントに、以前ここで取り上げた右脳・左脳に関連づけたコメントが載っていたのには、ちょっとビックリした。似たような理論観を感じてる人がいるもんなんだネ。

少なくとも10年後にはどのように変貌を遂げているのか、マジョリティとなり得ているのか、そうでないのか。一般ユーザー側からすれば新たな選択肢が増えるだけに歓迎ひとしおでしょうが、アナログ・ギター製作の道を目指す、或いは携わる方々にとっては、マイナーでマニアックな職業・・・なんて時代がやって来るのだろうか?(終)

2003年4月20日(SUN
デジタル・ギター(その3)・・・しばらくの間はNAMM SHOWの製品が指し示した様に、アナログ・ギター、アナログとデジタル兼用ギター、デジタルに特化したギターの3種が製品化され、ユーザー側としては選択肢が増えただけ楽しめるハズ。

ギブソン社などはアナログとデジタル兼用ギター、LINE6社などはどちらかと言えばデジタルに特化したギターと言えるが、今後製品開発が進んでいけばアナログ・ギターとデジタルに特化したギター2種しか必要なくなる。

これを例えると、ちょうど銀塩フィルム使用のカメラとデジタル・カメラの様なものかも。銀塩フィルムは、あくまで一部の表現にこだわるプロや愛好者の間で支持され続けられるだろう。また、同じ様な事がアナログな管球アンプや針を使用したアナログ・レコードを支持するオーディオあるいはレコード・マニアにも例えられるかもしれない。

ともに共通して言えることは、かつてのマジョリティからマイノリティへと一般大衆の支持層が変貌することだろう。そして同じようにデジタル・ギターの出現には、同じ運命が待ち受けている・・・のかも知れない。

2003年4月13日(SUN
デジタル・ギター(その2)・・・最近では、ハードディスク・レコーディングといった言葉が示しているように、音作りの現場でさえデジタル技術が主流で、かつてはハードウェアー器機のシーケンス技術もソフトウェアー化し、パソコンとソフトウェアーによりデジタル・データを演算処理する音作りが主流となっています。

つまり、かつてのアナログ・デバイスとしての楽器すべてがことごとくデジタル・ソフトウェアー化され、アナログ製品とはあたかも対照的な、手軽に管理され経済的かつ効率的に運営されるメリットがより優位性を増し、この勢いはもはや止めようのない時代の流れといえるでしょう。

今、同じ事がアナログ・ギターの世界にも起きようとしている訳なのです。

えっ?アコースティック・ギターは関係ないって?(いえ、いえ、大ありでゴザイマス!) ですから、一言で言えば「革命」が起きようとしている訳なんですって!!

2003年4月6日(SUN
先月末、発売よりかなり遅れた頃に例のごとく音楽雑誌をなにげに立ち読みしてましたが、その中のNAMM SHOW '2003に関するレポートには、実にショッキングな情報があった。早速、関連音楽雑誌も拝見しましたが、しっかりと掲載されておりました。

ホラー映画『リング』の貞子じゃないけど、ここ数年は「きっと来る〜、きっと来る〜〜」と、その出現の影に心なしか怯えていた次第でしたが、来るべき時がついに来てしまったか・・・と、実に複雑な心境であります。

という訳で、今月はまるまる「デジタル・ギター」我流で言わせてもらえば「デジタル・シーケンシャル・サーキット・ギター」のお題で進めていく予定デス。

デジタル・ギター(その1)・・・さて、出遅れながらも「Guitar magazine」4号誌、追っかけ「Player」4号誌のNAMM SHOW 2003のリポート記事を拝見。冒頭からギブソン社のデジタル・ギター、対を成すようにLINE6社のモデリング・ギターが紹介されていました。

ついに恐れていた「貞子」が来てしまった瞬間であり、これまでアナログ・ギター一筋の自分には『ハイッ、長い間ど〜もご苦労さんっ!』と肩をたたかれた様な瞬間でもありました。

つまり、今後のギターの存在の根底をひっくり返すほどのシロモノが登場した・・・という認識感の現れでもあるのですが、その受け止め方は人それぞれ・・・だろうナァ。

2003年3月30日(SUN
21世紀は、あまねく事実が普及しているかと言えば残念ながらそうではない。今世紀を象徴するような「9.11」でさえ、都合のよい事実だけが取りざたされ、ましてや真実の扉を開こうとする開拓者たるマスメディアの姿は今のところ見当たらない。

国家の利益こそが最大の正義という「正義」をかざした戦は始まってしまった。

これまで正義とは金太郎アメのように、どこから切っても同じものだと漠然と考えてきたが、現実はそうではない事を思い知らされる。「正義」とは何か?子供達に説明すべき言葉を模索している・・・。

2003年3月23日(SUN
マーティンのジンクス(後編)・・・マーティンのエレキ部門への進出が、同社の伝統的古臭いイメージの刷新・あるいは総合的ギター製造メーカーを目指したものである可能性には敢えて触れなかった。同社は今日に至るまで単に時勢の運に見合った製品を開発・供給しているに過ぎないと捉えることが十分可能だからだ。

仮にそうした観点で捉えるなら、マーケット動向を的確に捉えている極めて優秀なギター・メーカーと言える。にもかかわらず、いや、であればこそエレキ・ギターで演じた2度の失態の意義は、はるかに大きなものとなったに違いない。

では今世紀、マーティンのジンクス『エレキ・ギターで失敗する』というリスクを犯し、かつジンクスを打ち破る様な製品が世に問われる時期が果たしてやって来るだろうか?やはり時勢の運のみぞ知る・・・のだろうか?

2003年3月16日(SUN
マーティンのジンクス(前編)・・・フラット・トップでは絶大な人気を誇るマーティンにも別の素顔がある。

1959年、D-18・D-28にディアルモンド製P.U.を備えた製品をリリース。このエレクトリック導入を皮切りに1961年にはフルアコ型のエレキ「Fシリーズ」をリリース。1965年にはモデル・チェンジを行い1967年には製造中止という幕が下りた。

本来なら1965年のモデル・チェンジ時に撤退の選択肢もあったのだろうが、フラット・トップでは依然潤沢なバック・オーダーを抱える業績、順風満帆に思われるエレクトリック市場、加えて前年からのビートルズのアメリカ上陸にともなう新たなセミアコ熱という時勢の運がその判断を鈍らせたのかも知れない。

約10年余りの沈黙後の1979年、ソリッド・ボディ仕立てのエレキ・ギターをリリース。やはり時勢の運がソリッド・ボディを中心に再びエレクトリックに大きく傾きだした時期と言える。しかし、デジャブを観るがごとく1983年には撤退を余儀なくされる。

この2度の失態はマーティン社にかなりのメンタル・ダメージを与えた様だ。1983年は戦略性を含め伝統という多彩な引き出しを駆使した製品リリースの出発点であり、ある種ターニング・ポイントかも知れない。自社ブランドたるフラット・トップ製造へ専念すると同時に、効率性・生産性という製造スタンスへとシフトチェンジした観がある。

2003年3月9日(SUN
3月3日、雛祭り開設1年目・・・ご訪問頂きました皆さまの温かいご支援・ご協力というコラボレーションの下、きわめてマイペースながら前進して来れました。改めて深く感謝!!デゴザイマス。

サイト開設を思い立った当初、まさに白紙状態だったヤマキ楽器。その全貌の一端とはいえ情報構築でき得た事には、他ならぬ私自身が驚いています。

WEB上に公開しながら矛盾している様ですが、アクセス数を気にするでもなし、おしゃべりの場を設ける訳でもなし、様々な意味を込めてマイナーなスタンスでの運営方針は、カメな性格が更に拍車をかけていた・・・かも。

関連サイト等と比較しても極めて淡泊な点は重々承知しておりますが、こんなサイトが一つぐらいあっても・・・なんて考えておりマス。ひとえに自身の性格の災い(汗)でしょうか。数ある国産の中でヤマキをチョイスした理由付けにもなるでしょう。

同じ様な素材で同じ様なものを作れば、そこそこ似たものが出来上がる。そうした出来如何で銘品・名工と言われるほどにコピーを競いあっている様にも映る。むしろオリジナルと異なる卓越した創意・工夫の設計思想にウラ打ちされたサウンドの良さを感じたとき、好奇心が増幅してしまう・・・少なくともヤマキには私的好奇心をワクワクさせてくれる要素に満ちあふれていました。

何も知らないという無知な好奇心が何にも勝る推力であるのは今も変わりませんが、当サイトに対する叱咤・激励ともども真摯に受け止める姿勢も何ら変わりません。ぶっちゃけ、無知な好奇心が満たされぬ限りは続いてゆくでしょう・・・。

2003年3月2日(SUN
最近アコギに関してどんな話題があるだろうかと半年ぶりに覗いてみた。中には1〜2ヶ月以前の内容は不明なサイトもあり、こればかりは自身の怠慢ぶりを反省するしかないよネ。

情報の取捨選択がわずかに的を得ていたせいかもしれないが、短時間で片づける事が出来たのは幸い・・・なんて思っているうちに来週には・・・これまで書きっぱなしな点も含め、一度情報整理しておかないと・・・。

2003年2月23日(SUN
著書『Beatles gear』の感動は、先週書かせていただきました。

世の中には、曖昧模糊のまま、あるいは漫然と事実だけが無秩序に羅列されいることが多々ある。事実という情報は有益ですが、それらが深い洞察力と論理性をもって関連ずけられ見事に連鎖した時、初めて真実の扉が開かれ、同時に事実としての価値を有する。著者Andy Babiuk氏は優れた資質を備えた真実の開拓者であり、その情熱は賞賛に値する・・・と思う。

この書を通じ改めて想う事は、ギター大国アメリカのギター史でしょうか。エレキ・ギターに関する正確な情報など未だ確立されていないのではないだろうか?単にパテントを取得したという事実のみだけでなく、多角的な検証を踏まえたAndy Babiuk氏の様な人物がアメリカにもう1人ぐらい現れてくれれば、きっと面白い書籍が出来上がる・・・と思うんだけどネ。

好奇心が空回りしているサイト管理者としては、理想とする姿とはいえ・・・未だ事実さえも危うい内容だらけの当サイトの手本としてカメちゃん走法で前向きに前進あるのみ・・・ッス!

2003年2月16日(SUN
気まぐれで立ち寄った図書館で興味深い書籍『Beatles gear(日本語版)』を発見。直接書店で目にすることが無かっただけに、その内容に驚き、笑い、感心しつつ魅了されてしまった。(幸か不幸か)書店で発見していたら迷わず購入していたに違いない。

偉大なBeatlesゆえであろうが、彼等の音楽を支えてきた使用楽器・機材に関しては過去の曖昧な供述に基づく様々な憶測や通説ばかりが流布し、それらの多くの実体は極めて曖昧模糊としたものだった。ところが著者自身の取材を含めた多くの資料を基に、思慮深い洞察力と論理的検証により「事実」を突き止めていった。これだけでも情報としては価値があるが、彼は更に多くの「事実」同士を緻密につなぎ合わせ連鎖させることで「真実」の扉まで開いてしまった。

6年に及ぶ取材・調査の情熱が築き上げた本書が、Beatlesに関する新たな道しるべとなるだろうネ。しかしこの書籍が改めて教えてくれることは、多角的に検証し「事実」を導き出すだけでは新聞記事と何ら変わらないが、事実をジグソーバズルのように組み合わせることで隠れた「真実」が浮かび上がると言うことだろう。

2003年2月9日(SUN
ギター産業に現れたイノベーターと称される、あるいは黙される存在は、おのずと異業種「転身組」とギター産業「延長組」の二つに大別される様です。

ギター産業周辺からの延長組は、既存の技術・知識を修練・洗練させた応用技術的製品を開発するのに対し、異業種転身組は、ギター産業界からは思いもしない切り口・斬新なアイディアでエポックメイキング的製品を開発する。

客観的に見れば、異業種転身組の持つ潜在能力の高さは非常に興味深い。そうしたイノベーションによりもたらされる変革のエネルギーの大きさも目を見張るものがある。

延長組は、それまで培ってきた知識・経験・ノウハウをベースによりベターな模索を積み上げ着実に変化してゆく。これは強みであるが反面弱みでもあるというのが真なのだろう。

成熟した時代のキーワードは、「転身組」・・・かも知れない。恐らくはギター界の既成概念をくつがえすイノベーターの出現こそがカンフル剤・起爆剤となり、こうした変革のエネルギーを取り込むことでギター産業界全体が連鎖変化してゆく・・・のかも。

2003年2月2日(SUN
当サイトを通じ諸外国の方々からメールを頂く機会が増えてきた。サイト上で紹介し得ないものも含め多彩な内容なのですが、その都度感じることは英語版「ヤマキ解体新書」の必要性。

・・・しかし、のろまなカメには英語版はチト荷が重い。最初の一歩は、まだまだ踏み出せそうにありませんデス・・・。

2003年1月26日(SUN
標準フレッティング・システムに変わるものとしてバズ・フェイトン・フレッティング・システムが普及し始めている。個人的には予見していた通りなのですが、スタンダードに成り得る大切なポイントは、極めてシンプルであるという点。

理論的にはセント単位で調整する複雑なものですが、フレット加工は従来通りの単純シンプルな工法という点が、スタンダードに成り得る所以の重要なポイントだと思う。

他方、サークル・ブレッティングという理にかなったシステムも登場しているが、まるで対照的に理論は単純明快ながら加工が極めて複雑で、厳密には1フレットづつサークル率が異なる。私見的にはX軸のみならずY軸までフレットを湾曲させる歪みの応力は問題外だとしても、やや複雑な加工性がスタンダートの定義からややはずれている・・・かも。プレーヤーにとってより有益であれば、別にスタンダードである必要はないんだけどね。

この分野はまだまだ進化するハズですが、パテントが絡むのがネックのよう。願わくばプレーヤーにとってより有益な選択を・・・。

2003年1月19日(SUN
今年、米エンターティメントを象徴する「ミッキー・マウス」の著作権が切れるハズだった・・・が、新・著作権法の決議をうけ20年延命することが決定した。ある種国際ルールを無視したような強引さも鼻につくが、ちゃっかり日本も便乗しようと画策している・・・。

その是非はともかく、こうした背景の1つの要因と思えるのが「デジタル技術」。

以前のアナログ技術とは、時経変化に伴い退色・退質するといったひたすら劣化するだけの媒体を介するものだったが、デジタル技術はまるで半永久的に鮮度を保った食品の様に賞味期限を無期限化してしまった。さらに進化し続けるデジタル技術は、多方面に拡大・多様化し商品価値も益々延命してゆき、企業・個人、プロ・アマの垣根さえ取り払う勢いを見せている。

しかし、冒頭のミッキー・マウスなど氷山の一角に過ぎないのではないだろうか。21世紀の意味するものは、戦勝国アメリカにもたらされたPAX AMERICANA(アメリカ黄金期)文化の著作権期限切れの到来をも意味する。

国益を考えれば、PAX AMERICANAをめぐる国家戦略劇の新たな一幕・・・かも?追随する日本を含め、今後の著作権の行方はどうなるのだろう?

2003年1月12日(SUN
新聞の対談コメントの中に、ほったらかしていたクロスワード・パズルのキー・ワードを偶然発見した・・・とたん、次々と面白いように答えが解けた。

M氏「食べ物を粗末にしたからね。オマケのカード目立てで、仮面ライダースナックを買って、中身を捨てた憶えのある世代でしょう・・・」

同じ世代観を共有するこうした子供社会は、あたかも鏡のように大人社会を映し出す。 当時の日本社会は、ひたすらモノを生み出す生産性とその享受こそが時代のプライオリティだった。しかし、ひたすら生み出す『生』のモーメントは、その対極にある朽ちてゆく人間の『死』からどんどん遠ざかり、『死』に無頓着、無関心な世相観の温床は、やがて『生』すらも希薄化させる。これこそが今日に至るまで脈々と続いている実に根深い問題だろう。

私の知りえる子供時代と現代とで大きく異なるのが、死を受け止める時代の感受性の違いである。

戦後日本の物質偏重文明は、いつしか人間の『死』をどんどん隅に追いやり、やがて『生』の実感すら無痛化させる。そして今や、例えば子供向け人気アニメ「コナン」では、人の死はゲーム感覚で扱われ、新聞紙面はゲーム感覚の殺傷事件を伝える。まるでゲーム感覚の殺傷事件の映画が話題を呼び、方やカスタム・ナイフが飛ぶように売れているという。人の死は至る所でまるで無機質な日常茶飯事として流れてゆく。

いつからこんなになってしまったのだろう・・・その答えのキー・ワードがM氏のコメントだった。そして辿り着いたクロスワード・パズルの最後の答え、それは「生命の尊厳」。

今、我われ大人社会が示すべきメッセージ・アクションこそが、現代社会が見失った生命の尊厳回復であり、同時に我われ大人社会に向けられた諸刃の剣の様な気がする。

『死んじまったら、な〜んもかもおしめぇだぁ』陽気なおばあさんの声がふとよぎる・・・。

2003年1月5日(SUN
クローン・ベイビィ誕生・・・このニュースが回想させるかつてのオウム事件。実はこの事件をキッカケに目覚めた一連の報道とは異なる見解・・・それは「理想郷とは社会に関与せずとも構築が可能である」という事。勿論、歪んだ思想理念の結末はご承知の通りですが、ブラウン管越しからこの無言のメッセージを痛烈に感じました。

私たちは国家社会と言う歯車の中、それぞれの豊かな理想郷を掲げ社会生活を営んでいる。社会人たる理想郷に対し、当時さほど疑問の余地などなかった。であるからこそ彼等の発したメッセージは余りにも鮮烈だった。まさに発想の転換たる想いがした。

自己意識の中にこの「覚醒という境界線」を持ち得た違いは大きい。と同時に、私の懸念は今後更なる狡猾さをまとい様々な理想郷を掲げる覚醒人が登場するであろう、その不気味さにある。国家社会とすれば、見せては行けないものを見せてしまったのではないだろうかという想いも強い。クローン・ベイビィの背景にも同じ不気味さを感じる・・・。

2003年1月1日(TUE
日本のパテント関連の全ては特許庁に登録され、貴重な国有財産としてこれまで特許庁ないしは限定的出先機関での閲覧が可能でしたが、ミレニアム期には出願さえもがWEBを通じて可能になり、21世紀をむかえ電子整備化されWEB上に公開されるという新時代にふさわしい「窓」が開かれた。

これまで組織だったメーカー等ではパテント専任を配しながら深く関わってきたことでしょうが、個人製作家・ルシアーの方々の中にはパテント関連とは無縁でないにせよ何より時間的制約から負担となっていたかも。

世界的にもトップクラスの日本の過去のギター関連パテント等をひもとく事、恐らくは製品化されながらも歴史に埋もれてしまったものから製品化には及ばぬものまで多彩でしょうが、そんな世界的優秀なヒラメキを検証することで、時にインスパイアされ思わぬ発想を喚起させてくれるとしたら・・・。

開かれた窓からは、既存の組織ではなく個人の方々を選択した追い風が差し込んでいます。選ばれし新時代の担い手、あるいは新世紀の潮流を開拓するであろうキー・マンとしての「日本人」の底力に注目してます。


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