当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.01
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.07(2004年〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.02(2002年9月〜)


2002年8月25日(SUN
新作ビデオを見ながら最近になってフトある事に気が付いた。アニメ、TVドラマ、演劇、シネマといった多くの映像作品の中で深い感動とともに心に残るものは、「現実としてありえそう、又は実感としてありえそうなもの」に限定されてくることに気が付いた。

例えば近未来ものは実感がとぼしく、ファンタジー過ぎても現実感から離れてゆく。時代ものもほぼ同じ理由で共感できえる時間軸とはそれほど広くはないようだ。たやすく言葉に並べているが、それらの中には数多くの印象に残る名作があるのも事実です。

個人的感想ながら、「現実としてありえそう、又は実感としてありえそうなもの」ほど、深い感動と共に脳裏に焼き付いていくような気がします。いずれの要素も「人間」をきわだたせるための演出と言えるでしょうが、理屈抜きでよりリアルに感動をおぼえる「受け手側のファクターとしての時間軸」と言うのはかなり重要なファクターでキーワードなんじゃないだろうか。

「お年を召したせい・・・」チッ、やっぱり?

皆さんの心の中に残る映像作品に、果たしてこの名作の法則は当てはまるでしょうか?

当サイトをご訪問下さった方々には、カメな広報活動のためか発見しずらい様でご迷惑をお掛けしております。今しばらく寛大なご容赦のほどを・・・。

2002年8月18日(SUN
オークションでここ数ヶ月、以前ではとてもお目にかかれない様な物件にしばし出会う。理由はどうあれ虎の子の放出に入札側としては願ってもないチャンスだろうネ。

運があれば巡り会うさ・・・程度のノンビリした付き合いの楽器ですが、先日偶然にもかねてより念願の物件であったにもかかわらず、落札当日には仕事に忙殺され・・・。まっ、これも運?だろう。

さて、こうして情報ネット社会と関わりながら個人サイトを運営する立場からもより現実味をおびて思うことは、個人情報の漏洩である。

例えば昨年6月には欧州調査機関が初めてアメリカの盗聴組織・エシュロンの存在を断定する報告書を発表したが、それまでは噂さ話の域を出るものではなかった。そして、9月には例のテロ事件が起こり、マスコミの関連報道の会話から初めてエシュロンと聞いた時には、もはや既成事実となっていると感じたばかりか米政府の言動には実感させるだけのものがあった。

カーニボーだけでなく、昨今はネットサービス機関までもが、利用顧客を独自コード化し自動追跡ソフトを使い個人情報の構築をしていると言った話まで聞こえてくる。住基ネットも来年からスタートする。もはや私たちの関知できない領域での話だが、それだけに実害がないと言うだけで済ませられる安易な問題でもない。

情報ネット社会の中での安心できる通信手段も、 FAXが安全、郵便書簡がより安全・・・と、どんどん旧態化してゆくのは何とも皮肉な話。もちろんオチは伝書鳩ッス!

2002年8月11日(SUN
ギターやバイオリンといった楽器製作に興味ある方、製作学校に通われる方、現・製作家の方々にとって、製作に際に最初に学ぶであろう事の一つに、「左右対称に形作る」という基本理念がある。カッタウェイ・モデルもそうした基本理念の元、左・右あるいは両側をカッタウェイ化している。一部の特殊な楽器を除きアコースティックな楽器のほとんどが、長きに渡りこうした大前提の元に製作されてきている。

ところがその長きに渡る常識をくつがえしたばかりか、新たな流れを築いた人物がいる。他でもない、レオ・フェンダーである。

何〜んだ、ソリッド・エレキじゃん!(まっ、まっ、おさえて、おさえて!)

フェンダーの真の偉業は、テレキャスターではなくテレキャスター・ベース(もちろん正確にはプレシジョン・ベース!)だとする有識者も多く私も同一見解ですが、全く別の角度からの偉業として、これまで語られることのない視点として冒頭からの見解がある。

だってソリッド・エレキじゃん!(まっ、まっ、おさえて、おさえて!)

テレキャスターをそのままスケールアップしてベースに発展させると、とてもじゃないがバランスが悪いばかりかロー・フレットが届かない。そこでバランスを取りプレイアビリティを改善するために、ストラップ・フック側をツノとしてせり出させただけではなく、フォルム・バランスをもとる為にボディラインを左右非対称にアレンジするというそれまでの常識をくつがえす発想で解決した。決してブックマッチ的発想からは形作れない非対称ダブル・カッタウェイと言ったところだろうか。

こうした発想が可能であったのは、彼がアコースティックな楽器製作のプロセスを踏んでいない素人であったからこそ可能であったと言えるかも知れない。いずれにせよ、このベース・ギターのフォルムが後のストラトキャスターへと受け継がれてゆき、それまでにない自由奔放な発想は、他メーカーの製品にも波及してゆく。

だから〜ソリッド・エレキじゃん!(まっ、まっ、おさえて、おさえて!)

ハードウェア的見識・見解はこれまでもあまた語られて来てはいるが、こうしたソフトウェア的な観点から語られることは以外と少ない。少なくともレオ・フェンダーによりテレキャスター・ベースがこの世に産み落とされていなければ、ソリッド・エレキと言えどもその後ウン十年と左右対称という呪縛の元に製作されていた・・・かも知れない。

工業デザイン学的見地からもギター産業にもたらしたその偉業は計り知れないほど大きいはずですが、既に「非対称フォーマット」として普及している今日では全くピンとこない視点かもネ。

2002年8月4日(SUN
いつもとは一風変わった面白い事を書いてみませう。

私たち人類は、DNAの中に遺伝子という設計図を持っている。それは人間を造り上げるための設計図であるが、その設計図の中には人類の進化の設計図も含まれてはいないだろうかと常々思うことがある。

空想科学のそれこそ「ムー」の世界のようだけど、自分はほどんど読んだ事もない。太古の猿人よりその進化の設計図は、遺伝子の中に脈々と受け継がれた時間軸をベースに、ある時期がくると発動するインスピレーションのような仕組みになって、それが発明や科学のいしずえ・進歩となり今日に至っているのではないかといった愉しい想像をしています。

最初にそう思うキッカケとなったのは、電話機で有名なベルの特許申請の話しからかしら。(何とこの世紀の大発明は1876年2月14日の同日にグラハム・ベルとエリシャ・グレーによりたった2時間の特許申請の違いからベルのものとなったのは余りにも有名な話だ)

根本的には、だれが進化をプログラミングし設計図を組み込んだかにまで発展していくSFチックなお話ですが、きちんと説明しろと言われても私もよ〜わかりましぇん!熱く語ったところで後ろ指さされるのがオチだ。お後がよろしいようで・・・。

2002年7月28日(SUN
最近ヤボ用で初めて訪ねたサイトが引き金となった。

初めて××楽器製造(株)のサイト(とおぼしき)を訪ねた。あれっ?××ファンの趣味のサイトなのかナ、と思いきや公式サイトだと判り愕然とした思いのなか即座に論理展開(妄想とも言う)が働き出す。→う〜〜ん、どうしちゃったのかナ?→そう言えば大御所・中堅の楽器メーカーって全然元気ないな〜→受注生産だったりするし〜。→××もかなり○△い状態なのかな〜?

この論理展開は何の確信もないんだけど、こういうご時世だけに妙にリアリティあり〜の・・・。

歴史的推移を見ると日本のギター産業は、60年代後半、エレキ・ブームが去って行き詰まったところに、フォーク・ブームがきてニュー・ロックとの相乗効果で助かった。70年代後半、フォーク・ギターが行き詰まったところに、ヴィンテージ・エレキ・ブームがきて助かった。80年代は、MADE IN JAPANの高品質を世界規模で確立する一方で、オリジナル・スタンダード勢の品質の巻き返しが始まって、90年代は結果的にはオリジナル・スタンダードが優勢となり、グローバルな自然淘汰の一連の結末の様に感じます。

21世紀の日本は、90年代のそうした流れを引きずったまま、新たな出口を模索している様にも思えるが、根本的に日本の景気が回復しただけで解決できる問題ではないと言えそうだよネ。中古市場も潤沢な競争市場となって今や新しい製品を作る側には手厳しいだろうが、「MADE IN JAPAN」が高品質の代名詞だった時代も20世紀までのお話し・・・と、にわかには信じられそうもない時代のはざまで、この業界は今世紀どんな展望を抱いているのだろう?

つぶさに振り返ると80年代頃までは、クラフトマンのほとばしるイマージュ・夢を語るかのように、製作側の飽くなき創造へのパワーのようなものがギターという形となり具現化されていたように感じます。とは言え日本のフォーク産業界は未消化な部分もかなり大きい。70年代後半のフォーク・ブームの終焉から青息吐息の各メーカーが繰り広げていたのは、リアル・ビンテージといったコピーの極致、言うなればリアル・マーティンを競いながら急速に斜陽してしまった。

こうした観点から言えば、90年代からにわかにスポットが当たり長き冬眠から目覚めた日本フォーク産業界は、グローバルな自然淘汰を体感することなく、今21世紀に至ってもエレキと比較して遙かに開拓性に満ちたカテゴリーと言えるかも知れない。

果たしてグローバルな自然淘汰がちょっとばかり延びただけとなるのか、新たな展開を大いに繰り広げてゆくのかは、以前にも言及したが真の意味で日本の楽器メーカーの資質を問われていることに違いはない。

ギター産業に限らず現代社会は、夢を語る企業が絶滅?した観がある。あらゆる面で成熟した結果と言われれば確かにそうかもしれないが、それでもキーワードは「夢」なんじゃないだろうか?おしなべて厳しい楽器産業界も逆説的に言えば、才能・資質が存分に活かせる個人にとってはビッグチャンスの時代。個人、企業に限らず、どれほどの夢という才能をもち、それを正しい形にかえる資質を持っているのかを問われている、そうした意味での厳しい時代であると言えるのだろう。

いずれにしても日本発の「夢」のパワーに期待しています。

2002年7月21日(SUN
昨今の若者はTVアニメ世代で、かく言う私もそのはしりだろう。ダイリーグ・ボール養成ギブスにあこがれ、競い合うように負けじとつま先を高く上げ草野球を楽しんだものだ。たくさんの喜怒哀楽とともにスポーツ美学さえ織り交ぜた名作TVアニメだ。その他にもヒーロー・変身ものとしてのウルトラマン・シリーズやロボット・アニメなどが続きが金字塔を築いてきた。

すべてが良き想い出だが、昨今はこうしたかつてのアニメやヒーロー、ロボットものにどっぷり浸りきっている若者事情ばかりか30代・40代の若壮年層までもが埋没している姿を知るにつけ、隔世の感が否めないと同時に、確か宮崎 駿監督が「もののけ姫」で映画祭の何とかを受賞をした際、「自分の作品を、日に2度も3度も観るもんじゃない!」「何でこんな日本になってしまったのか!」と嘆いていた言葉を思い出す。

宮崎監督はおそらくアニメを通じて届けたいメッセージを、物語が終わることで新たな出発点として自身の現実世界の中で育んでいって欲しいと願うからこそ、エンドレスに仮想世界のアニメそのものに埋没する快楽世相観に苛立ちと悲しみを覚えるのではないだろうか?

「ちじみっぱなしのニッポンに・・・○○ドリンク」とCMが流れる中、精神の安住の地としての慣れ親しんだアニメやヒーローものの存在は有意義ではあるが、むしろそこで得た感性を次世代につないでゆくことこそ、よい意味でアニメを卒業する儀式の様にも思えて仕方がない。

とは言え、現実を知れば知るほど隔世の感がある。引きこもりニッポンの病巣は、かなり根深かい・・・のだろうか。

2002年7月14日(SUN
大幅更新作業のご褒美にと、勝手ながらしばし更新休暇を頂戴しました。お気楽カメ太郎は、私の才能?かも・・・。

最初はのんびり登り始めた富士山も、今はおぼろげに見え始めた山頂を見上げながら、ここからが本当の意味で大変なんだろうナ・・・てな心境です。地道にカメの心境になりつつ転げ落ちないようにっと!

ワールドカップも終わったね。ひどく印象に残ったのは、スタジアムに埋め尽くされた青一色の光景に、あたかも戦時中の日本の光景?がオーバーラップしてしまって、なんだかとっても怖かった。

少し前までアクセス不能?なほど時間を要したようで、原因はサーバ側のパケット問題でした。回線を増やすなどして改善されたみたいで、一安心。

さて、先の更新事でチョッと懺悔告白しますと、WEB上のそれまでの断片的情報等を含めて、早計にも「ヤマキ楽器倒産」という烙印を押していた。結果的には断片的情報のほとんどが否定され、つかみどころのないヤマキの現状を物語っていた。推定・推測と前置きしながらも当サイト自体も50歩100歩。それでも「と推測します」「と思われる」の表現が大分少なくなってきたような?

そもそも3つの重大な「ツボ」を解明したくて立ち上げたサイトとも言えるんだけど、嬉しくも予想通りだった。ある意味、目的を達成できた訳だから、ひとしお嬉ピーッ。「妄想3級」も伊達じゃないぞッ!なんてね。

2002年5月26日(SUN
やっとの事で、当サイトも大幅に情報刷新しました。ひとえに寺平氏ならびにヤマキ楽器関係諸氏、諏訪市商工課の藤森氏のお力添えの賜物です。

頂戴しました総括的情報等を出来うる限り正確に反映させ、ご訪問頂きました方々には、それまでの誤った推測事項・情報内容等の刷新・訂正を以てお詫びと代えさせて頂きます。

さて、立ち上げより僅か3ヶ月に満たぬ間の進展は、予想だにしませんでしたが、そんな予想さえ遙かに覆す程の新事実には、さすがに度肝を抜かされました!驚嘆は、同時に言葉にならぬ感動ともなり、生粋な職人の魂の極みに触れた思いがしました。「全ては推して計るべし」です。

今更ながら改めて思う事ですが、やはりヤマキはスゴかった。ジコチューっぽい、そんな言葉を避けては来たつもりですが、今はそんな配慮さえ些細と思えるほど、ヤマキズム・寺平氏自身の資質、いち個人の才覚が、巨大資本・ヤマハとさえ対峙出来得るであろう新たな見識は、日本のアコギ史を振り返る上でも、意味ある大きな発見・確信ともなりました。

数々の証された真実の光の裏には、解き明かされなかった影も残った。既にヤマキ・ブランドが途絶えて、20年来。20周年復活アニバーサリー・モデルでも企画出来そうな区切りの良さだが、当事者達を以てしても20数年前の記憶はセピア色と化し、在りし日の記憶を辿るには、余りにも空白の時間が流れすぎたのも事実。

それでも何故か私は至福の気持ちで一杯なのです。世界の第一人者に匹敵するであろう寺平氏とそのヤマキ楽器にスポットを当て、歴史に埋没させる事なく紹介出来得た事は、我ながら誇りに思えるし、何よりもヤマキズムたる寺平氏自身の言葉が、今も私の心の中の鐘を高らかに鳴らしてくれるからです。

2002年5月19日(SUN
目下、当サイトは大幅に情報修正中です。全ては、ヤマキ楽器創業者・寺平氏ならびに操業当時の製造担当者各位の全面的御厚意に負うものであり、この場を借りて、感謝とともに厚くお礼申し上げます。

完成は、次週に持ち越しとなりそうです。理由は、原稿を練るのが、どうにも不得手なもので・・・。乞うご期待は、またまた次回って事で、どうぞヨロシク。

2002年5月12日(SUN
GWも過ぎ、当サイトは取り立てた変化もなく至って平穏です。良い意味で、嵐の前の静けさ・・・とでも弁解しておきましょう。次回こうご期待って事で・・・。(汗)

一興、何かお話を・・・。
こんなんどうでしょう、オリジナル・アイデンティティについて。

ギター王国アメリカ。アコギでは「マーティン」「ギブソン」、エレキでは「フェンダー」「ギブソン」といった2大巨頭に加え、更に「リッケンバッカー」「グレッチ」等々の個性を確立したメーカーがある。

もちろんお国柄もあるだろうが、個々の独自性を確立したメーカーが存在する事自体、実はとてつもなく大きな意味合いを含んでいる。つまり、そこにオリジナルが存在する以上、コピーという二の線商売は成り立ちにくい土壌がある。

日本においては、あまりピンとこない馴染まぬ感覚だろうが、アメリカにおいては、コピーという依存型よりオリジナルという自立型の環境の中、アコギ、エレキ両メーカーを通じ第2、第3のオリジナル・アイデンティティを開拓するパイオニア・メーカーが生まれてくる。

日本を振り返ると、特に70年代以降、依存型産業形態を形成している。米製オリジナル・アイデンティティの不在が、依存型の「コピー文化という隙間産業」を引きずって来ている。

幸いにも時代の潮流に呼応するかの様に、82年設立されたフェンダー・ジャパン、いわば和製オリジナル・アイデンティティの出現は、業界内でも相当の衝撃となった。事実、その後の隙間産業をことごとく駆逐していったのは、周知の事実であり、楽器産業界の流れを変え自立型を喚起する呼び水ともなった。ただし、これはエレキの話である。

アコギにおいては、21世紀初頭においても、未だ依存型と自立型が共存している。良質のギターが消費者に届けられる以上、依存型を否定する要素は何もない。こと90年代は、エレキ界・アコギ界を通じ、アニバーサリー、リイシューといった過去に逆行する実に懐古的な販売戦略さえ目立った。良く言えば90年代は、温故知新。

ならば21世紀の日本のアコギ界は、新しきを知った上で、有限の資源・素材を巧みに活用しながら、脱アメリカ・脱マーティン元年として「自立するパイオニア元年」となって欲しいところです。

例えば、ヤマハの竹を使ったアコギなどは良い例かもしれない。竹の技術自体、決して目新しい事ではなく、振り返れば67年7月、竹を使用した積層材ネック、いわゆるバンブーネック(特許懸案)のエレキギター"Max Reager" Sapho Deluxe(マックスリーガー・サフォーデラックス:サフォー楽器製造)が発売され、業界内でもかなりの注目&話題ともなった。

発想の原点がここにあったかどうかは知る由もないが、ヤマハ流に現代に蘇らせる着想は実にお見事!!始まって間もない21世紀ですが、改めてメーカーの資質・才能を問われている世紀の様な気がしませんか?

参考までに当時のバンブーネックの特徴をご覧あれ!

『竹のもつ最大の特性である「素性がすなおで復元力の強さ」(木製100に対して竹製180)に、複雑な強化加工を加えてあるもので、従来のエレキギターの難点であった「さおのそり」をみごとに解決し、かつアジャスターはわずかな力ですむ。』・・・のだそうです。

ふ〜〜ん。古きをたずねるだけでも、実に難儀なこっちゃ。

2002年4月21日(SUN
一向に霞んで見えない富士山の姿も、この4月に入り、差し込まれた光明から、にわかにそのすそ野が見え始めた。当サイトに明るい兆しが見え始めた感触に、ひとりワクワク・ドキドキ・モード。もっと光を!(by ゲーテ)

2002年4月14日(SUN
本日、面白い本と遭遇。その名も『丸ごと一冊YAMAHA FG』。FG開発に携わった植田氏による誕生秘話は、立ち読みしたかいがあった。(買えよッ!)特筆は、開発に当たり構造面ではマーティンをそれほど参考にしなかったが、音的には学んだ事かな。フォークギター開発に絡んだリアリティ溢れる見識に、ヤマハの懐の深さを感じました。

氏によると、後発のFG-1500、FG-2000といったフラッグシップ・モデルでの3Pバックのカーリーメイプルは、音響的というよりむしろ意匠(デザイン)的に目新しさを優先させたのではないか、と私的推測とも同様の見解でした。(ちょっと嬉しかったナ)

初期のFGでは、唯一心残りな事が1点。それは、リリース間もない2〜3ヶ月後にトップ材が単板から合板に変更された理由ですが、私の推測(妄想?)が検証できるチャンスだったのに、う〜〜ん、残念!(編集部、突っ込みが甘いぞ〜、ブーブー!)

冒頭のヤマハの歴史年表&寺田氏によるヤマハ見聞録は、稚拙な『歴史と節目』筆者としては妙なオーバーラップ感が堪能できた。

ヤマハ・ファンならば、FGシリーズは避けては通れない道でしょうね。80年代末に聞いた「赤ラベル」以来、情報に振り回されていた観もあり、検証してみた時期もあった。おかげで相当量のレポートが残りましたが、それでもあまねく検証した訳じゃないし、いちFGファンとしても知りたい事は、まだまだある。

例えば、中本輝美氏が「FG-1500、FG-2000を作った・製作した」と活字になった際、「氏が作った」という言葉自体、実は非常に曖昧模糊としている。「作った」イコール「製造のための設計を手掛けた」のか、「木工道具を駆使して自らの手で製造工作した」のか、あるいは「その両方」なのか、実は全く解らない。

当時、弦楽器のイロハも解らぬままフラッグシップ・モデルの開発担当になった氏が、先のデザイン的な感性の部分で意見を交えたり、製造のための設計に大きく関与しているであろう事は、常識の範疇として想像が付くし、概ね製造に関わる方々の意見を集約して出来上がったギターであろうと推測も出来るが、氏がノミやカンナを片手に製造まで担当しかかわっていたとは、とても考え難い。プロトタイプを含めた製造には、当時の高級クラシックギターの上級ラインを手掛けていた様な製造畑の人に委ねられていたと考えるのが極く自然の様に思える。

革ラベルの氏のサインなどは、「Inspected & Guaranteeded by ....」同等の「品質を保証するものとしての検印者たる名をここに印す」のであって、製造担当者たるサインなのだろうか?少なくとも私は、事実をほとんど知らぬ間に、テリー伊藤氏が、フォークギター・クラフトマンとの認識を持っている。???。

そもそも氏が自身の手で製造を手掛けた楽器があるのだろうか?ファンの割には、少々乱暴な言い方だが、ファンであるからこそ知りたい。明確な回答をご存じの方、無知な妄想3級男とほくそえまずに、ど〜かご教授くだされ。

ヤマハは、FGで実はとてつもない発明をしている。ナットの「V字型」ファイリング法である。私は、これを「0フレット」に匹敵するヤマハの発明だと考えている。量産に適した単純明快な加工法である。こういうマユツバ情報は他にはないでしょうが、気になる方は一度チェックしてみてね!

FGファンとして残念な出来事は、73年10月に起きたオイルショックでしょうか。物価の高騰により部材・価格調整を施した第3期「黒ラベル」を74年7月にリリースする事になるのですが、実はここでFGにはとてつもない変化が起こるのです。

それまで、スプルース材同士による合板、他メーカーでは『セミ・ソリッドスプルース』などと銘々されていた「単板もどき」のトップ材が、より安価な「合板」へと変更されてしまい、これに伴い、○○が××してしまった。すべてはそれをカバーする為、音づくりの設計方向を変えている。良く言えば、素材に適した音作りへと仕様変更している訳ですが、この音作りのベクトルは、次のオレンジ・ラベルでより顕著になり、同時に私にはどうしても馴染めないサウンドともなるのですが、皆さんはいかがでしょうか?

2002年4月7日(SUN
ヤマキ解体新書管理者って、もしや、ねくすと大塚さんですか?
・・・はぁ???
一瞬おどろいたが、とんだ六階手前の誤解です。氏の名誉のためにも断っておきますが、手前の所持するアコギなぞ、軽〜く2桁はゼロが少ない、目の保養にもならんものばかりっス。まさか同じ事考えてた方には、豊かな想像性にだけご褒美100点!

閑話休題。今週末より次なるホームページ構想のため、3話休題。おやじギャグかます程度でライターじゃないからね、構想原稿上げるだけでもメッチャ遅いし。ウスノロMACとは再び格闘する事になるので、体力温存をっと・・・。でも、ご安心下さい。当サイトは、予定どうりマイペースで遅れに遅れながらもカメちゃん走法で進んでおりますので。(汗)

2002年3月31日(SUN
週末のバカ陽気のおかげで、沈静化していた花粉症が再発。外出せずに家でおとなしくしていたお陰で、興味深いTVが見れた。単なる偶然ですが、メシ時にTVをつけた所、ベーゼンドルファーというピアノ・メーカーを丁度放送中だった。

ベヒィシュタイン、スタインウェイ等と並ぶ有名なピアノ・メーカーだ。ブリュートナーなどは、BEATLESを通じて知ったロック野郎もいるだろう。

番組では、ベーゼンドルファーの所有する最も古いとされるピアノを、雅楽で有名なお兄さんが弾いてました。音を聞いてビックリ!まるでアコギじゃん!仕様構造の違いから奏でる音は多少違うけど、印象はアコギに近いものを感じました。「全体から音が鳴っている様な・・・」みたいなコメントしてましたが、アコギのハコ鳴り感とも非常に似ていながら、近代ピアノには遠く及ばぬ音色でした。

って事は、ピアノが近代化され進化してきた様に、アコギにもまだまだ進化の余地があるのかな?

なるほど同じ弦楽器だし、アコギはピアノに起因する要素が多い。共に響板には、スプルース材を使用する。マーティンのXプレーシングに至っては、もしかしてスタインウェイのパテントたる交差する張弦法からヒントを得ているってことかも?さぁ、どうでしょう?

体調不良のため、第3話は延期ッス。

2002年3月24日(SUN
週末のんびりとお花見。ほころぶ桜を眺めつつ、つかのまの至福のひととき。時の流れがユッタリと、まるで時間軸が子供時分に変わったかの様な錯覚さえ覚えました。子供の頃、花をめでるなど縁のかけらもなかった。この時分、桜など咲いているのが当たり前で、満開の桜の下、かけずり回っていたものです。

さて、ネット上ではにわかにヤマキに動きがありましたね。ここで話題に触れたCustom Orderシリーズなど、オークション上では見る影もなかったものだけに、Y-D28Sは目の覚めるような驚きでした。リーズナブルに落札されるといいね。

始まったばかりの「ヤマキ解体新書」ですが、内容は未だ大いなる青写真です。管理者自身の一方的な推理・推測の記載内容も、寄せられました情報からのみ正確な内容へと変貌して参ります。言うなれば、私の重厚長大な誇大妄想話を正していただけるのは、唯一皆さんの情報というお力のみですので、どうか忌憚のないご意見・情報等をお寄せ下さいませ。

先の「第六感」説には、賛否両論ご意見頂戴しました。おかげで、ためになるお話ばかりがテンコ盛りでした。皆様一同に感謝。こりゃ、やめられまへんな〜という訳で、懲りずに変わった話題を展開していこうと思います。

ちょっと目先を変えた第2話。(って事は、続くんかい?ハイ、そうです。)

アメリカで、ソリッドボディという新たなカテゴリーのエレクトリックギターが、1950年フェンダーの元、ファクトリーラインから次々と産声を上げ、ギブソンと切磋琢磨の末、このカテゴリーは、わずか10年にも満たない間に、ほぼ完成の領域に達してしまった。

日本のフォークギター史も境遇は酷似する。マーティンという良き手本の元、1960年半ばにフォークギターの生産に踏み出したヤマキ、ヤマハ両社にとっては、新たなカテゴリーへの挑戦であり、両社とも真の開拓者と呼ぶにふさわしいメーカーである。

ヤマハは、例えば85年のLL/LSシリーズの「Lブロック」「非対称Xブレーシング」等に見られる様に、時間をかけじっくりと熟成していった観があるが、ヤマキは、そのいずれも70年代中期未満のわずか10年にも満たない間に独自導入し、ほぼ完成の領域に達している様に感じられます。

ヤマキをひもとくと、まさにアメリカのエレクトリック史をかいま見る思いがします。

2002年3月17日(SUN
予定通り?遅れに遅れてコンテンツ『私のヤマキ』項がほぼ完成。早々に画像提供頂きました「ねくすと大塚」さんには、この場を借りて陳謝!皆さんもど〜かこれに臆せず、ひとつ太っ腹で情報のご提供を宜しくお願いします。(汗)

さて、ちょっとまじめなお話。

日本中、いや世界中見渡せば、ギターを製作する人間は、ルシアーからメーカーを含め、実に多く存在します。ギターを作る側の人って、単に木材の加工・組立が人一倍上手な人かといえば、確かにそうだが、単にそれだけでは素晴らしい楽器は産み出されない。

では、例えば、いかにしてストラディバリのような名器が生み出されるのであろうか?今日では、音響工学、応用力学、構造学、化け学など、多角的詳細な分析から楽器にフィードバックされる力は計り知れないが、ストラディバリウスが、それらを十二分に把握していたとは到底想像出来ない。

では、それを補うだけの「何か」を彼は持っていたはずである。その「何か」とは?・・・それは、「感」ではないだろうか?つまり、「第六感」の「感」である。

楽器を創り上げる上で、五感を駆使する事は必然だが、「ひらめき」の様な「第六感」、「感の鋭さ」と言うのは、すでに個人に備わった才能・資質であり、五感をも凌駕するものがそこから生み出されていくのではないかと想像するのです。

ヤマキには、この感の鋭さの様な片鱗をそこはかとなく感じますが、さていかがなものでしょう?

2002年3月10日(SUN
パニクりついでに、改めて全文読み返してみると、いくつか記載不備な点があり、一部加筆&リライトしました。最悪は、メールアドレスのリンク設定不備で、早期にご指摘を頂き、事なきを得ました。ふぃ〜ッ!

まっ、こういう事もあろうかと、まだおおっぴらに公開していない訳でして・・・。(汗)と言いますか、まだ手つかずの項があったりして・・・。(汗、汗)いましばらくのご猶予を。

提供いただいたカタログ画像に、カスタムオーダーシリーズが掲載されてます。発売時期が悪くよほど売れなかったのか、はたまた絶品すぎてオーナーが手放さないのか、ヤマキ製品の中でも不明度に関しては、トップクラス。

最後の牙城?の制覇よろしく富士山の頂上目指して、やっとこさ一合目が遠くに見えてきた様な気分です。

伊藤家の食卓風、7合目まで一気に駆け上る裏技として、ヤマキ楽器の当事者からの情報の提供等がありますが、そんな日がいつか来ることを楽しみにしつつ・・・。

2002年3月3日(SUN
本日「ひな祭り」&「F1開幕」。予定していた正式ホームページ開設当日を迎え、パニクってます。

ど素人とは言え、Internet Explorerで安心しきっていた所、数日前にはNetscape Navigator 4.7の手痛い洗礼を浴びました。孤軍奮闘、悪戦苦闘。NNユーザーさん、多少ご迷惑お掛けします。

識者の方々が、一様にIEユーザーという事が改めて判った次第ですが、作る側としては、ホントもうたまったもんじゃないッス。

M社がOSに組み込んでしまえば、ブラウザ戦争も終結しそうだけど、各社同じ土俵で切磋琢磨して欲しいと思いつつも、それが不要な混乱の元でもある様な、流動的なテクノロジーの覇権争いに振り回されている様な。

はて、Windows OS上ではどう表示されるんだろう?

2002年2月24日(SUN
単に記念日的要素欲しさばかりに「バレンタインデー」に無理矢理アップはしたものの、内容不備な状況のまま現在進行形的に制作スタンスを妥協しながらも予定の3月3日を迎えそうな気配。

手抜きと言われれば、ちと耳が痛いが、息子の野球の応援にも行きたいしネ。とは言え、外に出るにはつらい季節となりました。花粉症と無縁な方がうらやましい。

コラボレーションによる21世紀流「解体新書」とは言え、情報が少ない現状ではホント厄介なメーカー。その点では「カスガ」も非常に良く似ていて、同じ様な歴史を歩み、総体的にヤマキと驚くほどオーバーラップする様な。

徹底したマテリアルにこだわりを見せるその繊細なギター・コンセプトには、ヤマキ以上に熱烈なファンの存在もある様ですし、個人的にも興味津々。

カスガのサイトが無いのが不思議なくらいだが、きっと熱き想いの有志が立ち上げてくれるに違いない。サイト名は、「春日のツボ音」なんてどうだろう?「音」は当然「ネ」と読むべし。

2002年2月14日(THU)
まがりなりにも、たたき台が出来上がった。当初の予定を大幅にズレ込み、休日はウスノロMACとの格闘でした。天気もいいのにパソコンと向かい合って、「オレ何やってるんだろ?」と思ったり。とりあえず自分に拍手、パチパチパチパチ!

貧乏ヒマなしといえども、幸いな事にBBS(掲示板)システムを見送った所、大容量の無料ホームページスペースを利用出来る事になり、容量的な心配はクリアー。よしよし。フッタに広告が入るけど、制作側とては、わずらわしいヘッダ広告よりもベリーグッド!

BBS(掲示板)システムについての要望は案外多いかも。サイト運営で一番面白いトコロでもあるし。で、も、ね、管理者の独断(偏見?)で対応予定なしです。この点は、目下「抵抗勢力にひるまず、断固改革して参ります」「支持率が下がろうとも、構造改革に取り組んで参ります」です。ただし、「更迭」はありません、ハイ。

詳細がハッキリしない現状では、「〜と思われる」「〜と推測します」等の表現ばかりで何とも情けない有様。おまけに圧倒的に時間を費やしたのも、たたき台としての原稿書きだから、あらためて自分の文才の無さを痛感させられる始末。考えてみれば、20才過ぎてから、小説なんて読んだ記憶もないしね。

誤字、脱字は別として、内容不十分な点は重々承知してますから、赤字、ダメ出し、覚悟してます。開き直って、タヌキの置物の様に、デンと構えております。耳に痛い事は、タヌキ寝入りもします。


 
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