当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.06
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.07(2004年〜)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.02(2002年9月〜)
VOL.01(2002年オープニング)

2003年12月31日(TUE)
9月7日以来、書き綴っていた『あとがき』をあえて更新せずにきた。きっと12月総集編へのささやかな想いとも繋がってくれることだろう・・・。

さて、サイト運営を始めて以来つくづく想う事は、情報構築の難しさ・・・ヤマキ以外の情報連携までもが必然と化し、新たな情報による整合性、つまりつじつまが合わなくなる事自体おかしな話ながら時に1年前後符合しなかったり、異なる情報が出てきたり・・・。

自身のフォーク文化への無関心さもあり、これまで未知のロング&ワインディング・ロードを右往左往するばかり。加えて申せば、過去という歴史に興味関心を寄せることなど自身の人生観にはカケラもなかった初の試み。

そんなこんなで気苦労だけは耐えないゾ〜、とブイブイ言いながらもお気楽カメ太郎っぷりとヤマキ情報との新たな出会いに一喜一憂する姿は相も変わらずながら、寄せられた投稿文の一節にふと想いふけることも・・・。

サイト運営とはどうやら恋愛関係とも似ているように感じます。最初の頃は想う気持ちばかりがとてつもない運動エネルギーと化し、突き動かされる慣性のモーメントは止まることを知らないほどですが、やがて深く知り合い理解し合うようになるほど、その運動エネルギーは色々な摩擦抵抗を受けながら徐々に落ち着きを取り戻すかの様にゆるやかにゆったりと進んでゆく・・・。

稚拙な恋愛論はさておき、そうした想いから半年・・・そして2003年も終わろうとする今日、当ヤマキ情報サイトをご訪問いただく方々の『ヤマキ解体新書』に対するご評価は千差万別でしょうが、自身のささやかな自負はあります。それはサイト設立以来、情報の入れ替えこそあれ運営目的を何一つ変えずに来れたと言うこと。

サイトのあり方、情報のあり方、様々なコンセプトを練り上げたゆえの賜物でしょうか。もちろんご理解&善意あふれる多くのコラボレーションに支えられての結果でもあり改めて感謝の念に耐えません。今回新設した『ヤマキズム』『リンク』はそんな感謝のご奉公でゴザイマス。

ヤマキ・ギターそのものに興味・関心を寄せて頂ける最良の方法との判断の下、最終的には内容を『ヤマキズム』と差し替える形で『仕様遍歴』は非公開とさせて頂きましたが、当サイト内のヤマキ情報類をご覧頂ければ、知的好奇心を満たしてくれる内容はきっと見つかることと思います。

それでも見つからければお気兼ねなく疑問・質問を寄せて下さい。その問いかけの一つ一つが管理者が取り組むべき新たな問題となれば、寄せる一つ一つの関心事に対する積み重ねがいずれ当サイトの財産となると信じております。

さてさて、初心を抱いてから3年半余り、執筆を始めてから早2年弱・・・そして今、2004年を見据えての管理者・デッサンから皆さんへのメッセージは・・・“NEXT”。これまで以上の寛大なご理解・ご推察を賜るとともに“NEXT”への熱き想いたる「脱皮元年」を目指しています。

『仕様遍歴』に代わり新設した『ヤマキズム』の中身もまだ同じ白紙状態ながら、これまでご訪問頂いた多くの方々の関心事であると同時に自身の充電課題の一つとして充実した内容でお届けしたいと考えています。

新たなる2004年・・・“NEXT”ステージでの再会を願いつつ、しばし筆を置かせて頂きます。

2003年12月28日(SUN
失敗しない秘訣と成功する秘訣(その4)・・・1974年、ノーリン社による日本のギブソン・コピー製品潰しが表面化し、1977年「日本ギブソン」が設立された。

一方の雄・フェンダー社はギブソン社を追従するように1982年に「フェンダー・ジャパン」を立ちあげ亜流品を駆逐したように、麦の穂を刈り取るだけの体質からは結局何も残りません。新しい発想という柔軟な土壌が育たぬまま企業体質が硬直してゆくだけです。

それゆえにギター・ブランドを立ち上げギター・メーカーとして産声を上げた瞬間から、どんなに辛くとも新たな麦の種を蒔いてゆくしかないのです・・・。

今やギター製造技術、ハードウェア・レベルでは世界にひけをとらない日本ギター産業界に足りないものは、つまるところ既存にない完成されたオリジナル・ソフトウェア、あるいは技術革新がもたらす画期的なハードウェア技術の2要素と言えるのでしょうが、2003年はある意味これら2要素をかけて既にアナログ・ギター対デジタル・ギターの別次元の競争が始まった元年とも言えるでしょう。

しかし、そうした楽器企業たる論理観も過去の方法論・処世術の延長に過ぎないのかも知れない。今21世紀の核たる企業展望として、まさにニッサンのカルロス・ゴーン氏のような「車の虫」ならぬ「ギターの虫」に企業トップ自体がまず変わらなければ生き残れないであろう転換期が訪れているのかも知れません。企業が繁栄するためのギター作りは、もはや通用しない成熟した時代を迎えた証でもある様に感じます。

更につきつめて考察すれば、ギターの本質を再考し昇華させた'90年代というのは、大局的にはギター産業界にとって意義ある時代だったと思います。ただし今世紀はもはや同等レベルの製品をいくら排出しようとギターの本質を確立してきた米オリジナル製品との力関係は歴然としています。既存にはない新たな価値観を打ち出せなければ、過去の歴史が繰り返されるであろうことを改めて肝に銘じなければならない世紀でもあるのです。

唯一幸いな事は、かっての未成熟な時代とは異なり成熟した21世紀は卓越した製品に対する優れた見識が育っている点にあり、新たに挑戦する側にとっては唯一の救い・一筋の光明となることでしょう。いつの時代も厳しい淘汰の試練をうけるのが新製品に与えられた常ならば、そこで自身の夢を具現化しオリジナル・アイデンティティを確立した勝者に与えられし称号こそが「スタンダード」としてのゆらぎない成功という富をもたらすものであると信じたい。

さて、4週に分けて長々と屁理屈を述べてきましたが、逆説的にいえば「理屈抜きでいいギター」・・・この一言に尽きるというのが、実は自身の長年のホンネなんです。

そして、優れた製品とともに黄金期を築き上げ今だ王道を歩むギブソン、フェンダーに対し、かって黄金期を築き上げながら結局何ひとつ残らぬテスコ、グヤトーンの裸の王様たる今日を物語る遙か昔の見識者の想いを胸に、次の言葉をもって独り言の総括として締めくくりたいと思います。

『楽器で、特に世界を相手に競争せずとも絶対にオリジナルでなければ、永遠に“バッド・ボーイ”なんですよ。それは何故なら自ら作る側の“夢”を物語る姿でもあるからです。』(終)

2003年12月21日(SUN
失敗しない秘訣と成功する秘訣(その3)・・・1985年プレーヤー・コーポレーション刊の「History of Electric Guitars」の荒井貿易の欄には荒井史郎氏の次のような言葉が掲載されている。

『楽器で、特に世界を相手に競争するなら絶対にオリジナルでなければ、永遠に“バッド・ボーイ”なんですよ。』

これは1966年、まさにエレキ・ブーム絶頂期を迎えていたアメリカNAMMショーでのとある出来事での同氏の苦い想い出からの体験談でもある。

アメリカ経済の復興とともにエレキ・ギターの需要が回復した1975年には、エレキ・ブーム再来のもとコピー製品が巷に氾濫していた。ギブソンの経営権を握るノーリン社による日本のギブソン・コピー製品潰し元年ともいえるが、おなじく荒井貿易の「ARIA PRO II」がNAMMショーで初デビューを飾った年でもある。しかしその内容は誰が見てもコピーそのものだった。

翌1976年、コピー・メーカーが一様に疑心暗鬼の中、その年のNAMMショーの「ARIA PRO II」は、ギブソン対策としてヘッドおよびトラスロッド・カバーのデザインを変え意匠権対策は万全なれど、冒頭の一文がそぞらしいほど“バッド・ボーイ”さながらである。

単にアリアという日本ギター産業界全体の体質の氷山のホンの一角を挙げているに過ぎぬほど、業界全体がまさに「濡れ手に粟」。ノーリン社の日本叩きがなければ日本ギター産業界は生ぬるい温床にいつまで浸かりきっていたことだろうか・・・。

1977年開催のNAMMショーで話題のARIA PRO II/PE-1500、あるいはギブソン社の訴訟ターゲットともなった星野楽器のIBANEZ/ジョージ・ベンソン・モデルの両モデルは、皮肉にもそうした状況下に対応すべく生み出されたノーリン社の功績による産物であるとも言える。

冒頭で紹介した同書籍には、フェンダー・ジャパンの斉藤任弘氏の次のような言葉も紹介されている。

『・・・レスポールのセットネックなんかもやってたけど。ただね、早すぎたね。いいものだっていう事は分かってたんだけれどタイミングが大事なんだよ。どんなにいいものでも時期が早すぎると見向きもされないね。・・・』

楽器企業人たる実に的を得た言葉ですが、反面、冒頭からの日本ギター産業界の体質を如実に表した言葉でもある。と同時に、競争原理下で本質を切磋琢磨しスタンダードを築き上げたアメリカとは決定的に異なる核たる“差”だろう。

しかし、つきつめればその“差”こそが年間8万5,000本ものエレキギターを生産しながら1本当たり平均わずか300円の利益しか生み出せない富士弦グレコのジレンマを生み出したのではないだろうか。

日本のギター産業界は、単に弦楽器作りにおいて効率良い利益ばかりを最優先してきたからこそ、楽器の本質を深く見つめ独自性という自我に目覚めることなどなおざりにされてきたのだろう。いつの時代もただ儲けるためだけの楽器作りという企業論理性が鼻につくばかりか、オリジナル製品でさえ作らざるを得ない状況下に追い込まれて否応なく対応する後手感・・・。

単に企業が繁栄するためのギター作り・・・他人の蒔いた麦の穂を刈り取るだけの温床体質からは、個人製作家・ルシアー達が追い求める「情熱」つまり肝心要の「魂」が見えてこない。『画龍点睛』という言葉があるが、日本ギター産業界はさながら目の抜けた龍???

非礼を伏してギター製作者、楽器企業人を問わずこう尋ねてみたい。“あなたにとって夢とはなんですか?”

そしてここに辿り着いた色んな方々に改めて尋ねてみたい。“あなたにとってギターとは一体何ですか?”

2003年12月14日(SUN
失敗しない秘訣と成功する秘訣(その2)・・・最近は、日本独自とも言えそうな癒し系や伝統系音楽がぼちぼち輸出されるようになったが、いぜん圧倒的な洋楽文化嗜好は続いている。

もし仮にもこうしたアメリカナイズされた輸入音楽文化が繁栄する限り、フェンダーやギブソンあるいはマーティンの優位性は果たして変わらないのであれば、オリジナル開拓を志す日本ギター製造界にはますます勝者 or 敗者のみの二者択一制の競争原理による厳しい試練が待ち受けていることになる。ゆえに今日の日本ギター産業界の「失敗しない秘訣」だらけの姿こそが歴史の物語る厳しい現実なのだと・・・。

おいおい、ちょっと待ってくれ!そんな手堅くまとめないでヨ!!そりゃぁ堂々とコピー製造許可をもつ関連企業だけが元気いいのは解る。確かに金髪娘は好きだし舶来品嗜好も強い、おまけに洋楽嗜好も確かに強い・・・それが日本の近代文化の実体と言われれば悔しいけどフムフムと頷いてしまいますが、楽器の本質なんてそんなレベルのもんだろうか?

そんな理論がまかり通るなら、極論から言えば日本でギター産業ばかりか楽器産業を続ける意味さえない。さっさとアメリカで起業するのが手っ取り早い。

・・・そもそも何故ゆえにこんなタイトルで書き始めたかというと、これまで折に触れ『あとがき』で綴ってきた自身の日本ギター産業界への想いが、遙か40余年も昔から某見識者の想いの中に芽生えていたという愕きこそが発端なのです。以来、2003年最後の月を飾るべく『あとがき』のタイトルから内容までもの様々な想いが、この半年も前から心の中にふつふつと芽生えていました。

“日本のギター産業界は、麦の穂を刈り取るだけで、けっして麦の種を蒔こうとはしない・・・”深い反省・不満とともに、今後のギター産業界の行く末を案じる想いでもありました。

そしてあたかも偶然のイタズラさながら、自身のそんな想いを決定づけたのが翌8月発売のGM誌9月号のコラム記事、テスコ初のソリッド・エレキギター「TG-54」の開発秘話に綴られた疋田氏のコメントでした。

氏は技術畑の方ながら、そのコメントはまるで前述の自身の愕き・先達者たる識者の想いをさながら代弁するかのようでした。単に自身に都合の良いだけの偶然の巡り合わせかもしれないが、その本質は決して偶然なんかじゃない・・・。

2003年12月7日(SUN
失敗しない秘訣と成功する秘訣(その1)・・・ギター産業で失敗しない秘訣とは、メジャー・ブランドに準じることだ。メジャーたるスタンダードをまねる事で、準スタンダードとして大きく道を外れることもない。だが、ヘッド・ストックのブランド・ネームがなければ、どこのメーカーだか識別もつかない。

方やギター産業で成功する秘訣とは、オリジナリティにこだわることだ。今日のスタンダードたる全ての原点がそこにある。オリジナリティに対しマーケットは常に敏感だし、そうした厳しいフルイにかけられ淘汰の波にもまれ受け入れられたもののみが得られるものだけに、その多くは同時に失敗する秘訣にもなる。

失敗しない秘訣と成功する秘訣とは、言葉尻は同じ様でいて実状は雲泥の差ほどの違いがある・・・ヤマキに関わりつつも日本のギター産業を振り返ってみると、やがてたどりつく切実な実体・現実がそこに見え隠れする。

そして過去の歴史が雄弁に物語るのは、ギター王国たる本場アメリカでの成功、それも独自のオリジナリティで勝ち残らねば生き残れない二者択一の競争原理。ギター・ブランドを立ち上げギター・メーカーとして産声を上げた瞬間から、勝者 or 敗者の分岐点はアメリカにおけるオリジナル・アイデンティティの成否如何に委ねられる、自然界にも似た厳しい現実が始まる。

では21世紀を迎えた今日に至っても(個人手工製作家を除き)競争原理は何故ゆえに変わらないのだろうか?・・・かってのフジゲンの横内裕一郎氏さながらニューヨークのどこぞのアベニューで成功の切符を探すほかないほど、世代が変わり時代が移り変わろうがギター産業の成功する秘訣は、ギター王国たる本場アメリカでの成功以外にないのだろうか?

振り返れば、トーカイU.S.A.を起点にマーティンと提携した東海楽器。オベーションのカーマン・コーポレーションと提携したタカミネ。セントルイス楽器のアルバレス・ブランドで躍進したK.ヤイリ、その他イバニーズなど多くの成功例がある。

しかし、かつてのコスト・パフォーマンスという裏技も十分通用した時代は終わり、今やギター製造に関しては足りないものがない程の日本ギター産業界にあって、いまだフェンダーやギブソンあるいはマーティンに一極集中する理由はどこにあるのだろうか?

某識者が語るには、西洋音楽嗜好が続く限り、その音楽を支えてきた楽器・音源類は音楽文化となって定着してしまう・・・故にフェンダーやギブソン、あるいはマーティンのギターが支えてきた洋楽文化嗜好が続く限り太刀打ちできないと言う。また、そうした音楽を聴いて育つ2世、3世らも同じ嗜好性を連鎖してゆくと言う・・・う〜〜〜ん、かなり核心を突いた意見とも言える。

そうした意味では、西洋音楽シーンにエレアコという新ジャンルで定着を見せたタカミネなどは、今後とも有望株と言えるのだろうか。ではそうした洋楽文化嗜好が続く限り、フェンダーやギブソンあるいはマーティンの優位性は果たして変わらないのだろうか?


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