当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.02
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.07(2004年〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.01(2002年オープニング)


2002年12月29日(SUN
当サイトを立ち上げてほどなく想う事・・・一年の締めの話題にでもと心の奥に忍ばせつつ、はや年末。

ヤマキ解体新書を試み、過去の歴史検証のマネごとながら紛れもなく歴史の事象は連鎖しており、弦楽器も例外ではない事を知った。時に歴史の断片・側面からの事象連鎖の発見は、楽しくも興味深い発見でした。と同時に、わが国産ギターの歴史をほとんど知らないことを痛感しました。以来、体系だった資料・見識等の「事実」をも補完する「真実のギター史」を知らずにいる・・・そんな気がしています。

ギター属のほどんどが、戦後の復興期とともに徐々に需要も増え、楽器産業にまで発展してきました。わが国産ギターの歴史は昭和の歴史といっても決して過言ではない。

体系的認識はおよそ可能ながらも、製造・開発畑の方々とはバックグラウンドの差は歴然。リアリティあふれる知識・見識は、体系的認識の行間を補完するばかりか新たな真実へと導く「貴重な財産」であるにもかかわらず、失礼ながら当時の方々はすでにご高齢者も多く、年追うごとに貴重な知識の連鎖・真実のかたりべを失いつつある紛れもない現実。

21世紀を迎え、私たちは価値ある貴重な昭和史を振り返り再構築する時期を迎えているのではないかという想いを抱きつつ・・・。

2002年12月22日(SUN
12月って不思議です。寒いながらもどこか暖かいような、ほのかな灯りがともっている様な・・・さて、次のお題は今週で終わりデゴザイマス。

脳と脂質のお話(その4)・・・80年代の胎動の流れをくむ90年代の避けられぬムーブメントとして、新興ギター・メーカを筆頭に老舗の大手ギター・メーカーまでその多くがコンピュータ制御技術やハイテク生産技術を導入することで生産システムの合理化ないし再構築を図りました。

一様に顕著化しているであろうと思われるのは、組織のキー・マンたるその多くが機械工学等に明晰な頭脳の持ち主であるということでしょうか。新興メーカーはもとより大手メーカーの世代交代を終えた2世・3世らさえもが電子工学・機械工学等を専攻するといった経歴を有し、自身のそうした資質をいかんなく発揮するがごとく電脳生産システムを導入し、デジタルに管理される生産性の効率化こそが時代のプライオリティの様でもありました。

90年代、まさにこうした資質をそなえた時代の申し子・デジタリアンたちによりもたらされた生産システムの変貌は、新旧交代劇を観るかの様でもありました。と同時に、その大きな代償として、胸おどる、あるいは心ときめく様な新製品がなりをひそめた時代でもあった様に感じます。

アニバーサリー、リイシュー、ヒストリック、等々・・・過去の付加価値をビジネス化する温故知新型製品が際立ち、こうした時代性を反映するかの様に、何かしら再構築されただけに過ぎないような新製品群を排し、新たな指標となりえる価値観やモノサシとしてのベクトルは、むしろ時代を逆行している様でもありました。

ギター産業が成熟した結果なのでしょうか。上記に綴った一私見が時代の必然的潮流であるとするなら、21世紀は、生産システムもひと段落し、モノを生み出す側の真の資質・真価が問われる時代の幕開けと言えるでしょう。

時代が停滞した時ほど小さな息吹の中から新時代にふさわしい流れが形成され、やがては主流・本流とも成り得るものの様です。であるなら今世紀はまさに組織の規模など関係なく、新時代の指標と成り得る思わぬ資質が潜んでいるのかも知れません。

そして最後にかねてからの予感めいた事を申せば、発信地が日本と言うよりも「日本人」が新時代のキー・マンを担うような気がしています。

2002年12月15日(SUN
脳と脂質のお話(その3)・・・ 右脳・左脳の異なる資質を例えるように、感受性・論理性、アナログ・デジタル、あるいはソフトウェア・ハードウェアといった対照的な言葉があります。(文系・理系もそうかナ??)

左脳的論理性・・・ハードウェア的資質とは、論理性の構築により成り立つ1+2=3の世界。構築される前提は、「等しき帰結」。他方、右脳的感受性・・・ソフトウェア的資質とは、無形な価値観の構築により成り立つX+Y=Zの世界。Zの意味するものも多様な「異なる帰結」。

楽器産業に置き換えてみると、例えばエレキ・ギターとはエレキ(電気的ハードウェア)とギター(楽器的ソフトウェア)とが共存するものです。 ハードウェアに関しては、我が国産といえど世界水準にあり、おおよそ等しい帰結と言えそう。つまり、論理性の構築・・・安定した既成事実の積み重ねというものが誰にゆだねられようと、おおよそ等しい帰結となることなのでしょうか。(もちろん広く厳密に言えば異なるものですが)

他方、ソフトウェアに関しては、安定した既成事実とは対極的な曖昧な不安定な要素であるがゆえに積み重ねが容易ではありません。無形な価値観の異なる構築により楽器という構造上の制約の中で他と異なる帰結が生じます。にもかかわらず私の目にはおおよそ等しい帰結の様にも映ります。

現在、あるいは今後のギター産業の展望を見据えると、無形な価値観の構築の差・・・ソフトウェア的資質の差が明暗を分けてゆくような気がします。過去半世紀のギター産業を振り返えり、世界的に未成熟な要素・資質であるというのが、実は長年の実感なのです。

他の産業に比べ何故このギター産業はソフトウェア的資質が弱いのでしょうか。つまり、ソフトウェア的資質(右脳)とハードウェア的資質(左脳)の両資質のバランスが、一個人の中で両立し得ないテンビンやシーソーのようなヤジロベエ的バランスの元に成り立ち、これまで一個人にゆだねられ過ぎてきた結果なのでしょうか?あるいは、ギター産業自体、実は巨大な左脳派集団なのでしょうか?

ギター産業は、過去半世紀にわたりハードウェア的資質にかたより過ぎてきたと感じます。少なくとも始まったばかりの今世紀、時代はレオ・フェンダーやテッド・マッカーティの様な異分野・異業種的な感性や資質をも凌駕する新たな価値観としてのモノサシが現れるのを待ちわびているような気がします。

2002年12月8日(SUN
はや12月。師走ならではの繁忙期を迎え、ちょっと早めのクリスマス・プレゼントならぬ嬉しい投稿情報・画像が多数舞い込んみ、ここ2ヶ月程カメっていた身には何よりのカンフル剤となりました。(とは言え、リゲイン飲んでも24時間戦えないお年頃ッス!)

そう言えば、先月ヤマハのイー・クラブとかの音楽情報サイトに掲載される旨のメールが来てたけど、そんな影響も少なからずあるのかしら。音楽系は情報音痴な上、広報活動らしき事にも無頓着なだけに、新たに寄せられた外国の方々からの画像情報など到底予想だにしていなかった展開・・・皆さま一同、感謝!デゴザイマス。未掲載情報分は次週もちこし(汗)デゴザイマス!

2002年12月1日(SUN
脳と資質のお話(その2)・・・右脳と左脳は「脳梁」という情報パイプで繋がっているが、男・女、そして個人差によりその太さも異なるようです。女性の方が脳梁は太いと言われます。結局この情報パイプが太いほど右脳と左脳の情報量も豊富となり、左右バランスの良い密な連絡網を形成出来るのでしょうね。

学生時分に「感性型」ともいえる趣味の音楽と、「理論型」ともいえる勉強の切り替えがどうしても上手く出来なかった。音楽に集中しだすと、その後の勉強がどうしてもはかどらない。勉強に集中しだすと、今度はその後音楽になかなか集中できなかった。

こんな事を繰り返しながら、どうも稼働している脳の部分が違うんじゃないかと僅かながら感覚的に感じ取れるようになった。左脳・右脳などと理屈はわからないながらも、脳の感覚が異なる妙な違和感・・・。

結局確信めいたカンだよりのヘリクツはまんざらでもなかった。要は脳梁という情報パイプが細いからこそ起きるトラフィック・パニック現象のようなものなんでしょうか?つまりは不器用人間??頭脳明晰な情報パイプが太い方なら、恐らく同じ様な経験はないのでしょうね。何ともうらやましい・・・。

2002年11月24日(SUN
脳と資質のお話(その1)・・・ただし、さほどの根拠もなく日常生活上の単なるカンだよりのお粗末話と前置きしておきます。

人間の脳は、右脳と左脳で左右一対になっていて、右脳は「イメージ脳」、左脳は「言語脳」と言われてます。解りやすく言えば、右脳は「アナログ的で直感的感性から空間・音楽能力と言った創造的能力」、左脳は「デジタル的で論理的分析・計算能力」をつかさどっているらしい。また、右脳は「身体左半分の運動・知覚」、左脳は逆の右半分を担っていることから、「利き腕」の左利きを挙げて(右脳派)偉人達の例え話へと発展する・・・。

ただし、この話には重大な要素が欠落している。それは何か?「利き目・利き耳」デス。ちなみに「利き腕」と「利き目・利き耳」が必ずしも同じ側になるとは限らないみたい。

利き腕と言うのは、主に触覚や運動感覚を担っているが、目や耳と言うのは、脳へインプットする外界からの情報のほとんどを担っています。これは丁度、味覚と言うものが、舌で感じる味覚よりも実は嗅覚がほとんどを担っているのと非常に似ています。

つまりはいずれも「脳にとって重要な感覚器ほど脳のそばに部位している」ってことなんでしょうか。そして、左脳・右脳を語る前提として「利き腕」以上に「利き目・利き耳」がその多くを担っているであろう事はなおざりにされている・・・どころか、これまで聞いた試しがない。

「利き目・利き耳」は、経験上から同じ側になるような気がします。右脳派・左脳派と言った資質を問われれば、「利き腕」よりも「利き目・利き耳」の方が遙かに重要なファクターのハズですが、やはりマユツバネタでしょうか・・・さて?

2002年11月17日(SUN
知的財産権のお話(その4)・・・80年代半ば頃、屈指のプロ・リペアマンにしてカスタム・ビルダーの某氏から伺った話・・・某ミュージシャン用にカスタム・ビルドしたギターが、大手某社にパクられ製品化されてしまった事を悔むように話された事がある。

場の雰囲気からどのモデルかまで確認しなかったが、プロダクト・デザインを含めた工業権保護の重要性にふれられた事がある。事の話の経緯に関しては、記憶が曖昧でうまく思い出せないのですが、何も知らない自分にはひどく印象的な内容となった。

これを機に工業権の重要性を意識する様になり、関連書籍等を当たり、企業・個人を問わずこうした知識はモノづくりにたずさわる側には必要不可欠な要素と、以来肝に銘じています。そして、こうした背景があってこそ、知的財産権冒頭のヤマキ楽器のくだりへと連鎖していく訳なのです。

2002年11月10日(SUN
翌11日からポール・マッカートニーのライブが日本で行われる。内容が楽しみのライブですが、1万4千円のチケットには驚いた。ビートルズ・ナンバーのオンパレードにも驚いた。

某テレビ局がらみの様ですが、中年層のタンス預金でもアテにした様な「ナツメロ」一色のプロモーションが、ことさら「過去」の人と言わんばかりのよう・・・。

いちファンとしては、新たな人生の伴侶と過ごすフレッシュなエネルギーを音符に変えて、天に召されるまで「現役」の素敵なメロディを奏でてくれる事を期待してます。

2002年11月3日(SUN
知的財産権のお話(その3)・・・ここで以前、マーティン社の「Xブレーシング」に関して、ピアノ・メーカー、スタインウェイ社のパテント「交差する張弦法(交差弦方式)」から発想されたものではないかと触れた事があった。

両社とも同じN.Y.を舞台とし、スタインウェイ社が完成させたとするこのオーバーストリング法の歴史とマーティン1世の発案したXブレーシングは、面白いほど時期的に符合する。弦を交差させる事で得るふくよかな音響効果をギターに当てはめると、弦を交差させる訳にはいかないが、トーンバーを交差させると・・・モノづくり的発想からは十分可能な範疇だ。

この頃から交差弦方式が広くピアノ・メーカーに普及しだしたことからも、ピアノの構造変化をうまくギター構造に取り入れたという帰結は自然の流れの様な気さえする。当時のマーティン社は、ギター販売のみならずピアノ販売までしていただけに案外遠からぬ推測と言えるかも知れない。

本題の流れで言えば、マーティン社のXブレーシングに関するスタインウェイ社の交差弦方式からの着想説の著作権はデッサン・・・てな事になるのだろう。マーティン史をひもとく事になるかマユツバ説になるか・・・さて?

2002年10月27日(SUN
知的財産権のお話(その2)・・・楽器を少々愛好している立場から、あって欲しい願望がそのまま創意工夫につながり、いつしかパテントめいた面白い発想・発案がだいぶ蓄積されている。一個人が工業権取得にこだわる理由は今のところ無いが、特許庁のパテント関連が電子化されネット上に公開されたのは何とも好都合で驚くほど便利な時代になった。

かつてネック矯正法で、各ネックごとに微妙に異なる木材の性質をも矯正する理想のトラスロッド船底成形法として、ネック成形後に逆ゾリ状態で瞬時固定しロングドリルでロッド溝を直通させる方法を考えた。正常に戻した状態では、木材の応力に沿った理想の船底形が出来上がると同時に、埋木もいらず強度も増す訳で一席二丁だ。

ところが、この発想も日本のイノベーター「アトランシア」の林信秋氏により、1982年4月12日に出願されている。氏はこの考案をネック補強法として発想・出願している様だ。他方、個々に異なるネック材の性質に順応させる矯正法としての船底形成法から発想している私と発想法(ヒラメキ)が微妙に異なる点は、面白い。出願より20年間の国内特許であれば今春失効したばかり。

アトランシア社のサイトを覗くと、このパテントも国内のみならずU.S.パテントも取得し米フェンダー社等にもオファーされた様で、事の成り行きをサイト内のエッセイに綴るらしい。なにか面白ろそうなお話が期待出来そうな予感・・・。(自分だけかナ?)

2002年10月20日(SUN
知的財産権のお話(その1)・・・アコギ史上キー・マン的存在のヤマキ楽器の創始者・寺平一幸氏と卓越したパテントたる発明の数々。ところがパテント登録申請を一切しなかった。正に崇高たる楽器職人のみの成せる技だ。この事実を知った時、正直驚いた、なんてもんじゃなかった。

当時、ギターと言えばアメリカを模倣し輸出する立場からもパテント関連にはかなり神経を使っていた事は、各方面のコメントからも伺い知れる。主にアメリカ・カナダに輸出されていたヤマキ楽器、更にさかのぼれば全音ギター製作所時代とて決して例外ではなかったハズ。

にもかかわらず(であるからこそ?)アコギ史を塗り替える程の発想の数々に対し、敢えて工業権を主張しない氏の姿勢に度肝を抜かされた。反面、当時の国産アコギ群の成熟した謎が解けた想いがした。

工業権(特許・商標・意匠、等々)を取得するのは、企業の常識。昨今の日本は、中国等にこの工業権を侵害され訴訟問題にまで発展し、知的財産権は国家間の最も敏感な問題となっている。こうした「中国」対「日本」の図式も、70年代のギター産業での「日本」対「アメリカ」を連想させる。あの当時の日本が、今やお隣の中国となり代わり、対岸の脅威となっている。

2002年10月13日(SUN
ネットオークションの楽器物件を時折拝見していますが、今年の気になる傾向として「ノークレーム・ノーリターン」が常套句と化し定着した観があります。

中には作為的?とも思える様な不鮮明な画像と「年相応のキズ・打痕あり」の一文の最後に「詳細・不明な点は、質問状にてご確認の上ご入札下さい」風の決まり文句・・・まさに「ノークレーム・ノーリターン3点セット」とでも申しましょうか、にゃ〜〜んか(トラブルを前提とした)責任の所在を入札側に押しつけられている様な気分にさせられマス。

一方で対照的とも言える「ノークレーム・ノーリターン良心派」もお見受けします。ネット・オークション側は第三者的立場。あくまで当事者間の問題ともなれば、楽器に限らず「ノークレーム・ノーリターン」トラブル時の問題解決には、スンナリ事がはこばないケースも多々ありそう・・・。

「ネット・オークションって、博打だよネ!」確かに楽器に関しては一理ありますが、せめてその博打の内容は、サウンドだけで終わりたいものです・・・。(えっ?虫が良すぎる??)

2002年10月6日(SUN
「あっ!」と思った時には、既に情けない程の形に変形し、手にとるやいなや根本から折れてしまった。その正体は、メガネ。子供達の餌食となったメガメは、これで2本目。ホンの1ヶ月前には、自身の過失で壊して以来、予備に作っておいたメガネまでもが早々に返らぬ姿となった。

「お父さん、ゴメンネ・・・」怒る気にさえなれぬ幼い娘に代わって「懲りないネ〜」と妻の皮肉まじりの小言を頂戴する始末、トホホ。

初めてメガネが必需品となり立ち寄った眼鏡店からの帰り途、「メガネ屋さんは1週間(?)に1本売れれば食べていけるんだヨ」との母の言葉に、余程儲かる商売なんだナァ・・・と、遠く懐かしい記憶が蘇ります。アパレル系ファッションブランド・メーカーが、こぞって参入する理由も解るような気がする。

アパレル系メーカーの事業展開を見ると、外食系産業に進出した時期もあったが、近頃では何と低農薬野菜だそうです。先を見越せば、アパレル系のブランド米の登場すら十分予見させます。(まさかJUNK●米とか?)巨大資本が参入して成功しえる分野かどうかは、今後の日本の農業をうらなう意味でも注目に値するでしょうネ。(やっぱりUNIQL●米かな?)

バブルがはじけて以来今日まで、いまだバブリーな事業展開を繰り広げている唯一の産業が、ファッション系ブランド群かも知れない。特に外資系ブランドの底力はスゴイ。時代を超えたファッションの本質なのでしょうか・・・。

2002年9月29日(SUN
「ソフトパンク」などと揶揄され存続危機を囁かれた時期もあった孫正義率いる「ソフトバンク」。時代の風雲児は、その時々に吹く風を読み、躍進劇を繰り広げてきた。ことさら説明するまでもない。反面、風を読み間違えると脆くも崩れるガラスの巨塔の様でもある。

巨額の投資によるIT錬金術も、ナスダック・ジャパン撤退で水泡と化した。このニュースが新聞の紙面を飾った際「もしかしてやっちゃったかナ?」と風雲児に吹き始めた「逆風」が脳裏をよぎった。

「Yahoo! BB」は好調のようだ。NTTがISDNというデジタル回線から次世代・光ファイバー通信網の整備に時間を費やしている間に、「既存」のアナログ回線を利用したADSLという隙間産業に参入した。デジタルISDNの普及自体が足かせともなるADSLの対応にNTTがモタついてる間にマーケットを手中に収め、今や12Mbpsまでの通信速度を提供している。アナログADSLの中抜きを狙っていたNTTには、思わぬ伏兵の躍進劇に翻弄されるばかり。

そして、巨額の投資とともに社運を担っているであろうインターネット電話「Yahoo! BB phone」の登場だが、ナスダック・ジャパン撤退という逆風以前に、理屈はどうあれ普及する感触を得なかった私に、今週新聞に掲載されたHOTな情報ソースが答えを出してくれた。

BB phone自体、やはり「既存」の設備を有効利用する手法は同じだ。パソコンと固定電話とアナログ回線。これに胴元としてのYahoo! BBとBB phoneの利益がある。しかし、固定電話網が著しく減少しつつある現状に反比例する様に、メールという時間を束縛しないコミュニケーションが一般化しつつある現状には馴染まないばかりか、携帯世代には全く魅力がない商品だ。個人ユーザーをターゲットにしていれば尚更だろう。

わずか3日前の26日の新聞に掲載された「国内初」の商品は、三菱電機が開発した「ネット携帯電話機(IP電話)」。簡単に言えばケイタイのインターネット電話だ。IP携帯電話で場所ごとに通信設定を変える必要がない機能を備えたのは世界初と言う。これぞ正しく魅力ある商品と言えるだろう。

「既存」の設備を有効利用するという同じ手法が全くの意味をなさない「ネット携帯電話機(IP電話)」の登場は、「もしかしてやっちゃったかナ?」と風雲児への逆風を実感させる瞬間だった。

光ファイバー通信網も整備され巻き返しが始まった。今後本格的に始まるであろう動画コンテンツ等のリアル配信のための布陣でもある。既にハイビジョン放送のノン圧縮配信さえ視野に入れている。

資金繰りに窮するソフトバンク、いやIT錬金術師・孫正義に今のところ明るい展望は全く見えて来ない。冒頭の「ソフトパンク」も今や過去の笑い話ではなく、正に崖っぷちの瀬戸際ではないだろうか?

2002年9月22日(SUN
満月の夜ごと不思議な月の美しさに魅せられ続けてきた。特に十五夜のそれは魔力ともおぼしきほどの力がその光に宿されているとさえ感じる。中秋名月。風流に月を愛でたイニシエビトも同じ魔力に魅せられ夜空を見上げていたのだろうか?

愛娘の命名の由来でもある十五夜の月にあたる今週末。前夜、あまりに美しいので娘を連れ立って路地の片隅からしばしお月見の前祝い。幼い娘に名前の由来を語らうと、「ねぇお父さん、お母さんには内緒だヨ。わたし、月から来たの!」・・・彼女なりの世界があるらしい。

楽しい一時だった。父と見る何気ない一時の光景が、そっと彼女の記憶にとどまる事を願いながら・・・。

2002年9月15日(SUN
どうした訳かろくに勉強もしないのに眼鏡をかけるようになってしまったが、眼鏡を常用するようになり更に視力が低下した。

2つ目の眼鏡に変えた夜更けに夜空をふと見上げると、あまりに美しく彩られた星々のその輝きに思わず驚いた。漆黒の天空には、赤、黄、青、紫と色とりどりの星々が競い合うかのように輝き、今まで視界に映らなかったその美しさにしばし呆然と眺めていた。こんなにも美しい輝きだったんだと、忘れてかけていた記憶をしばし辿るかの様に。

遊びに夢中だった頃は、必ずと言ってよいほど夕陽が沈む頃まで遊んだものだが、童心ながらも薄く紺色に染まり始めた西の空が気になり出す。そして誰ともなく指をさす。「あっ、一番星!」帰り支度の合い図でもあった。それでも父の帰宅より遅れることはなかったが、たまにアテがはずれた際には、こっぴどく叱られた。

遠い記憶の中では無限に広く大きかった空も、年を重ねライフスタイルや環境の変化とともに狭く感じられるようになった。見上げれば突き刺さるかのように立ち並ぶビル群にいつしか自然のキャンバスは浸食され、雑踏はとどまることを許さない。あの美しい星々の輝きが見えなくなって以来久しい感覚だが、西の夕空に一番星を見つけた。

2002年9月8日(SUN
当サイトには実はヒ・ミ・ツの隠しページがあります。アドレスのタグを辿ってご覧になられている通の方々もおられるようですので補足説明を追記しておきました。

要は私個人の運営方針からもアクセスカウンターを表示させないための応急措置。隠しページを除き当サイトは一切のアクセス解析・統計類の対象外ですので、どうぞ安心してアクセス下さいませませ。

さて今週11日には、例の事件から早1年を迎える。メディア・報道関連もこぞって取り上げ、風化させないセレモニーともなるだろうね。

これまで繰り返されてきた映像・報道の数々は、「善」対「悪」の図式へと導く。あってはならない悲惨な、そして恐るべきテロリズム行為。このダイレクトな非道行為に対し、インダイレクトな策略行為、もしくは知的戦略行為が「経済戦争」に他ならない。そして、真綿で首をしめるがごとくインダイレクトなこの戦略行為の王道を行くのが、他でもないアメリカである。

レクイエムの流れる9月11日という命日は、もはや「善」と「悪」とに線引きできるほど国際社会は単純ではないことを象徴する日ともなるだろう。振り返れば60年前におきたパールハーバー開戦を想起させるが、単なる偶然と言いがたい歴史の綾を感じるのは日本人だからだろうか?

民族の存亡、ひいては人類の存亡自体を問われているとされる21世紀元年、果たして禁断のパンドラの箱は開けられてしまったのだろうか、との疑問符が浮かぶ。願わくば経済戦争のエピローグがアルマゲドンでない事を祈りたい・・・。

2002年9月1日(SUN
今週、たまたま開いた新聞のとある小さな記事に、ふと小さなため息がもれた・・・。

世の中、必ずしも優れているものが標準と成り得るかと言うと必ずしもそうではない。その優位性・先見性を大衆が理解するには、時期が早すぎたり、タイミングが悪かったり、未熟な認識・見識がねじ曲げた構造となり、いつしかその構造から元にもどす新鮮な力さえも風化させてしまうケースもある。こうした状況は、「De facto standerd(事実上の標準)」と言うよりも「Defect standerd(欠陥標準)」と言わざるを得ない。

実名詳細は控えますが、日本のギターにもそうした意味での埋もれた存在のメーカー、楽器はある。今週、SONYがベータ関連の生産を打ち切る決断を下したが、ベータマックス vs VHS戦争もそんな一例かも知れない。

かつてアメリカではキーボード配列の合理性を研究したドボルザーク博士という人物が、ドボラック配列を発表した。当時のQWERTY配列のタイプライターよりも数段優れた結果であったにも関わらず、戦時下の発表という事もあり、その優れた成果はタイプライターに反映されることなく(十数年前に目にした記事以来)新たなキーボード時代の今日を迎えている。

かつてMAC OSの育ての親であるスティーブ・ジョブスが、ビル・ゲイツに対し「我々のオペレーティングシステムは、格段に優れている」と言い放ったが、「そんなことは大した問題ではない」と切り返し、確かに違った意味でマーケットを独占して来た。ウォール街の颯爽たる投資家風情のジョブスも、関西あきんど風情のだんなはん、いや、ゲイツの目論見には足下も及ばなかった。

彼の資質は、まぎれもなく商才にあるだろう。有益な事業戦略をプログラミングするという点では、違った意味での優秀なプログラマーだが、シェア80%ともされる巨大IBMから依頼されたOS開発も、結局Microsoftの開発努力も実らず、あげくにティム・パターソン開発の86DOSを買い取り、ラベルを貼り変えただけのMS-DOSと陰口をたたかれながらも巨万の富を築いた。Appleの開発メンバーを引き抜いて出来上がったWindowsも、ゲイツにしてみれば「そんなことは大した問題ではない」に違いない。私の脳裏には、何故かソロバンをはじきながら踊るトニー・タニーの姿が浮かんでくる。(古っる〜ッ!)

インターネットでは今やDe facto standerdとなったTCP/IP(通信プロトコル)だが、当時は日本・欧州規格IPと競合関係でもあったそうだ。アメリカでは91年以降、TCP/IP仕様のインターネットシステムの商用利用を認めた(解放した)のも、自国の規格主導権の優位性を計画してのことだとも言われている。

いずれも不確定要素と付け加えさせて頂くが、すそ野を広げればまだまだホコリは出てきそうだ。みなさんの感じる「De facto standerd」vs「Defect standerd」も、きっとあることでしょう・・・。


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