当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.10
VOL.1(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.07(2004年&2005年〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.02(2002年9月〜)
VOL.01(2002年オープニング)

2007年12月30日(SUN
年賀状も早々に片づけ、近年覚えがない程まともな年の瀬を迎えています。今年の締めらしきをのんびりと綴りませう。

・・・実はアコースティック・ギターに対する関心そのものが変わりつつあります。予想外な展開ながら、今年、いや、近年最大の収穫と言えるかも知れない。

行きづまった観のあるエレキ・ギター界隈から、アコースティック・ギターに転向する方々も各業界で多数見受けられますが、かく言う自身の興味・関心も比例している様な・・・。

そんな思春期ほどの付き合いの中で迎えた反抗期?同時に自身の追い求めていたギター像の基本設計そのものが、必然的に大きく変わり始めています。

一過性、あるいは変革への過渡期なのかは解らないが、変わり始めてからは不思議と斬新な発想が次々と湧いてくる。インスピレーション・第六感を具現化する試行錯誤は悩ましくもあるが、のんびりと楽しめるのは仕事ではない所以でしょうか。

興味深い執筆予定も多数ありますが、そろそろ“Yamaki”と切り離す時期でしょう。この『あとがき』へ蒔いた種の発育経過が判るような新企画へと分岐すべき節目でもあり、相応の時期到来まであえて休筆しようと思っています。

まぁ、いずれにしても自身の体調次第ゆえ、自然消滅も案外あり?

予定していた“けじめ”は頓挫してしまった。客観手にはそれが“けじめ”と受け取られても返す言葉もないです。

振りかえれば今年は意義ある一歩を踏み出した。されど新たな旅路は勇み足かの様に次なるを踏み出すまでには至らなかった。

時期尚早なのか、見えぬ歴史の綾なのか、単に時運がないかのいずれかだろうが、つのる想いだけが空回りしつつ、もどかしくも未だ踏み留まらざるを得ないのは今年後半を象徴している様な・・・。

体調に余裕がなくなるにつれ選択肢などと言える余裕もなく、現状維持も結果オーライと甘んじつつ、出来ることなら少しゆとりを作りたいものです。

来年も厳しい状況が予想される中、まずは自身が成すべきを再検討 しつつ、もどかしくも焦らず行動してみませうか・・・。

2007年12月24日(MON
かつてのアコースティック・ギター黄金期を振り返ると、ヤマキの寺平一幸氏とジャンボの田原良平氏に行き着いてしまう。

こと寺平氏に関しては、その片鱗を当サイトで触れてきたが、一方の田原氏に関しては、それらしき情報が全く見当たらない。

ヤマキを通じて否応なく国産ギターに関わらざるを得ない自身としては、ブーム再来と共に成熟した観のある国産アコギ文化をよそに、この理解しがたい“事実”が今もって不思議でならない。

最近のヤフオク情報として、マーティン・ギター研究の第一人者的コメントを見受けますが、どこぞの雑誌の一文を引用したその程度のものだろうか。

氏が生み出したものは、マーティンの完全コピーでも、ヘッド・デザインを変えた程度のマーティン・コピーでもなく、ましてやそれらを自慢し合う支持層でもないと思うが、WEB上で田原氏の足跡・偉業を深く語られる事もなければ、専門誌等で取り上げられる事さえない。

再燃したアコギ・ブーム絶頂期、国産ヴィンテージを扱う専門ショップで、ジャンボ・ブランドは十把一絡げの「その他」扱いだった。そういう認識でしかない当時と、今も何ら変わることはない。

ヤマキ&寺平氏に関しては、いかばかりか道を切り開いたが、田原氏に関してはあたかも野ざらし状態。日本屈指の巨匠への尋常ならぬ扱いと現状の歪んだアコギ文化に心が痛みまする。

見識・良識があればこそ、あえて触れないという見解もあるかも知れない。自身がそうである様に今はむしろそう信じたい。聖なる夜にのみ綴られる懺悔なり・・・ア〜メン。

2007年12月16日(SUN
その名前から受ける印象を引きずっていたとも言えるが、一時は書記長を務めたほどの人物にあって、ギター史に関わる某氏に少なからず興味関心を抱いている。

インターネットという情報網は便利なものだが、おかげで某氏がらみの不思議な迷宮に迷い込み出口を彷徨っていた。

滅んだハズの某社名が復活している。それも某氏いわく付きの地にそれはひっそりとある。偶然なのだろうか。

ご当地では取りざたされている人物のようだが、某氏のそもそもの生業であったと自身は記憶しているし、転身期とギター史実の時系列が重なるのは偶然なのだろうか。

某氏がらみの偶然は単なる偶然なのか、この謎解きは自身にとって興味深くもあるだけに、いずれ機会を得てみたいものです。

2007年12月9日(SUN
鈴木バイオリン製造(名古屋)と鈴木バイオリン社(木曽福島)は似て非なる会社ゆえ、一方を名古屋の鈴木バイオリン、他方を木曽バイオリン、あるいは木曽鈴木バイオリンなどと呼称区別する。

これを英文表記すると共に「Suzuki Violin Co., Ltd.」と表記する訳にはいかず、木曽福島の鈴木バイオリン社側を「Kiso Suzuki Violin & Co., Ltd.」あるいは「Suzuki Violin & Co., Ltd.(Kiso)」等とする表記が見受けられる。

1976年、中井楽器からリリースされた「ワトシン」ブランドのアコースティック・ギターがある。「D.G.Watson & Co.」「EST.1951」とあるくだりのギターですが、案外関西方面の方々がご存知かも知れません。

ラベル内にはこうも記されている。「SUZUKI VIOLIN CO., LTD」。これら情報から、鈴木バイオリン(名古屋)のワトソン・ギターと、知らず知らずの内に毒を一服盛られてしまうケースを散見致します。

恐らくは名古屋の鈴木バイオリン製造(株)と勝手に思い込んだまま取引が成立する(と思われる)が、困ったことに当事者ないしその情報に触れた第三者がその毒を連鎖し始める。

「SUZUKI VIOLIN CO.,LTD」の表記。製造元の誤解が生じない様、相応の工夫表記がされてきた過去の経緯からすれば、商売人が意図的に仕組んだ“正しい誤解”を誘導するかのような表記ですが、冒頭申し上げた様に意味合い的に問題ない。

「EST.1951」と謳った所で会社の生立ちなど知る由も無い。ましてや、1979年に老舗・中井楽器が由緒在る歴史の幕を下ろしたことで、今となっては兵(つわもの)どもが夢の跡を語るものさえいない・・・。

2007年12月2日(SUN
先週も触れたとおり、こと楽器産業でいえば職人芸ゆえか、あるいは血統がなせる技か、案外狭い世界である様子が伺える。ゆえにセピア色と化した過去といえど、アプローチ次第で事実関係は鮮明に見えてくる。

寺田楽器製作所「1916(大正5)年、寺田彦蔵が寺田木工所を創立」・・・当該会社概要にそう記され認知されている。

そもそも、寺田木工所の前身の酒井楽器製作所が工場閉鎖のやむなき折、縁故により工場長をしていた彦蔵氏が買収し寺田木工所の基礎となしたもの、が大筋らしいが、はて?

大正5年といえば、バイオリン族その他を製造していた酒井楽器は、工場閉鎖するどころか、大戦景気にあやかり世界中からバイオリン属の需要が日本に舞い込んでいた真っ直中にあって、時代的必然性・整合性という点で工場閉鎖の云われなどあり得ない状況ではないだろうか。

さしずめ1964〜65年頃のエレキブーム絶頂期にエレキギター工場が工場閉鎖のやむなきにより・・・と言い変えれば解りやすいかも。

大戦景気にあやかろうと名古屋近辺には幾多のバイオリン工場が生まれ、時にマンドリンや大正琴も流行していた時代的背景を加味すればなおのこと楽器製造業界はまさに順風満帆の時期・・・。

あるがままの事実はいずこ・・・あるがまま、あるがまま。

2007年11月25日(SUN
時にセピア色と化した過去と向き合わねば見えぬものも多い中、昭和史を綴る書籍も増えている。同時代を検証する上で考証見聞がギリギリ間に合う。ゆえに面白さも増幅する。

「過去に目を閉ざす者は、現在を見る事が出来ない」といった銘文らしきがあるが、それは音楽あるいは楽器産業に関しても同様の事が言えるだろう。

さて、こと楽器産業に限定した関係構図を伺うと、広いようでいて案外狭い職人芸的世界であることが見えてくる。それでいて今だ読み方すらままならぬ人名も少なくない。

ギター産業系情報を扱う雑誌も増えてきてはいるが、雑誌編集部でも人名ルビを割愛しているのではなく特定できないというのが案外本音だろう。

解りやすい一例を挙げれば、モーリスで取りざたされる土屋公人氏。「きみひと」「きみと」「こうじん」、さて正解は?

近くデッサン主催の『現代ギター学・第一級妄想検定試験』を実施します・・・って冗談ですけど、本当にギター学的検定試験があるとマジ面白いかも。資格ブームとはいえ、な〜ンか役に立つかな〜?

今でこそ当たり前ではあるが、当初ヤマキ楽器の寺平氏を「てらひら」さんとお呼びして、ご本人より「てらだいら」と呼びます、とご指摘されたのは早5年も前の失笑話デス。(汗)

2007年11月18日(SUN
それまでのヘッド側で調整するトラスロッド調整法からボディ側で調整するという新たなトラスロッド調整法をいち早く導入したヤマキ。

以来、アコースティック・ギターのボディ側でのトラスロッド調整法が国内に普及一般化し、かのマーティンまで導入するに至っている。

かつてない量産化に適し普及したヤマキ流トラスロッド調整法なので画期的なのだろうが、このボディ側でのトラスロッド調整法は、ネックのソリ矯正力が甘い欠点がある。

開発元のヤマキも、この新調整法に関してネックの元起き調整に適した・・・といった仕様説明をしていたと思うが、構造力学的にも的を得た説明だろう。

では、寺平氏が何故ゆえボディ側でのトラスロッド調整法を導入したかと言えば、ダボ継ぎネック・ジョイント工法の欠点を補うためだったのではないだろうか。

ヤマキ・ギターはダボ法式によるネック・ジョイント工法であり、おそらくは全音ギター製作所時代のクラシック・ギターに導入していた工法を発展導入したものだろう。

しかし、このダボ法式によるネック・ジョイント工法は、構造力学的に見れば、蟻溝法式(ダブテール・ジョイント工法)と比較すると、ネックにかかるテンションを受け止める土台・基礎としてはやや非力で、使用環境次第では問題も生じやすい。

恐らく寺平氏は、ネック・ジョイント部での問題を予見あるいは周知していたからこそ、ダボ法式によるネック・ジョイント工法に適したトラスロッド調整法として、調整部を含めボディ内部にトラスロッドを誘導し、ボディ内部で調整するという新たな発想を導入したのではないだろうか。上記仕様説明とも符合してくる。

単純に見れば、ヤマキのダボ法式による構造力学的欠点を補うための新仕様と言えるが、幸いにもヘッド側に調整口を持たぬ故、ヘッド折れなどの強化にも繋がる利点もあり、どちらの調整法も一長一短、一概にどちらが良いとも言えないのだろう。

2007年11月11日(SUN
それは一昨年5月、N氏の投稿メールから始まった。

1975(昭和50)年頃、ご近所のよしみで小平楽器から不良品のギターを安く譲ってもらったと言う。それは正しく「Yamaki」だったそうだ。

小平楽器はクラシック・ギター専門メーカーで、ヤマキ・ブランドのクラシック・ギター製造をサポートしていた事はすでに資料調査で判明していたが、フォーク・ギターまで製造サポートしていたのだ。

それを裏付ける様に、'75年〜'76年製造と思われるヤマキ以外のシリアル法による検体情報と符合する。

気になるのは小平楽器がどのヤマキ・モデルまで製造サポートしていたかの実態だが、改めて検体情報を眺めていたら偶然にも手がかりを発見したのだ。

センター・ストリップ部に押される型番スタンプの書体がわずかに違う。この似て非なる型番スタンプのものが全て小平楽器製造のものだとしたら・・・。

勿論、シリアル表記と型番スタンプが一致する事が前提ではあるが、自身の僅かな情報からは無理な相談である。しかし、型番スタンプから浮かび上がってきた2つのモデルは、小平楽器を印象付けるものだった。

「FPシリーズ」「BPシリーズ」・・・ともにクラシック・ギターの小柄なボディを身上としたシリーズで、小平楽器の製造サポートに適したモデルとも言える。

不思議な事に「FP」「BP」両モデルとも何故かシリアルまで明記された検体情報と出合ったことがない。残るはシリアル表記の一致のみですが、さて・・・。

勿論、小平楽器に問い合わせる様なヤボな輩はいませんよネ。

2007年11月4日(SUN
フジゲン(旧・富士弦楽器製造)の横内裕一郎氏が、ギター開発・製造指導のもと多くのオーダーを寄せ、企業躍進の足がかり・節目となるほど大変世話になったジョージさんがいる。

たいへん世話になった割にはジョージさんとだけしか覚えていないという。ご愛嬌かどうかさておき、Mr.ジョージはアメリカ西海岸の一匹狼のバイヤーであるとか、当時余っていた●●●系金脈の使い手であるとか囁かれているが、判明しているのは横内氏の記憶によるジョージという名前だけである。

頭の隅っこで積年くすぶっていたが手がかりを得た。誰も知らぬ存ぜぬの幻のジョージさんで終らせるのはちと勿体ない。

機会など毛頭無く確認の取りようがないので、いずれ横内氏のわずかな記憶を呼び起こさせる事実となり得れば幸いですが、少なくともジョージは名前ではなく名字のハズである・・・。

2007年10月28日(SUN
1970年代の第二次エレキギター・ブームは、FenderやGibsonのコピー製品に需要と供給が特化され、まさに怪しげなブランド名ギター百花繚乱時代でもある。

それらブランド名の列挙は、どこぞのサイトや誌面でジックリと拝見頂くとして、共和商会のエレキギターに、ギブソン系「Gallan(ギャラン)」とフェンダー系「Fresher(フレッシャー)」がある。

このカテゴリー分けは厳密には全く違うが、単純ゆえに解りやすいし受け入れやすい。「Fresher」を扱う記事もチラホラと目にはするが、実はこの「Fresher」ブランドにまつわる隠れた紆余曲折を記する者はいない。

「Fresher」は、実はリリース直前まで異なる名称だった。この事実に驚かれるのは、恐らくはギター愛好家よりむしろそのスジの情報を担い発信してきた見識者側ではないだろうか。

その名称とは「Freshフレッシュ)」である。

「Fresher」は、1973年10月開催の「'73 楽器フェア」でデビューする。しかし、実情は「Fresh」では急遽リリース出来ない事態が生じたためか、新ブランド名と資料写真が一致していない。

加えて同社概要の取扱商品に「Fresh」と明記されている所をみると、直前まで想定外だったと思われる。

オオハシ産業が先行し取扱う器楽教育用製品に「Fresh」ブランドがある。まさか学校教育用の同社カスタネットやタンバリンなどと同じ商標だったとは。両社ロゴを見比べる限りウリ二つというも偶然か。

かくして急遽「Fresh」の末尾に「er」を加えた「Fresher」ブランドが誕生した・・・という顛末と推測致しますが、共和商会さん、本当のところはどうなんでしょう?

2007年10月21日(SUN
前回に引き続き、実は「HOTAKA」「HODAKA」同様のいわく付きブランド名がある。活字情報としてはホダカに続き本邦初だろう。

ギブソン・エレキギターのコピー・ブランドで「ギャラン」がある。この時点で“あぁ、あの共和商会の「Gallan」ね”とご承知の方も多いだろうが、実は未だ歴史の事実に触れらぬもう一つの悲運な「ギャラン」が存在する。

それは摩訶不思議な事だが(単にGibsonコピー製品を競い合う中で生まれた偶然かもしれないが)結果的には共和商会の「Gallan」とリリース時期が重なったことで、市場には半年余ほどしか存在しなかった極めて稀なブランド製品でもある。

福原楽器の「Gaban(ギャバン)」は聞き覚えの方も多いと思いますが、実はこの前身が「Galant(ギャラン)」であり、改称せざるを得なかった悲運かつ幻級の短命ブランドなのである。

某誌のGaban(ギャバン)特集でも触れられていないし、名著『HISTORY OF ELECTRIC GUITARS』でも落ちているが、紛れもない貴重な事実である・・・。

Galant[フランス語]勇ましい、華麗な

2007年10月14日(SUN
先週の説を含め、世に問う新たな執筆であればこそ著作としての価値を有するものであるが故、扱いには良識あるご配慮を賜りたい。

さて、今回は「HOTAKA」ブランド。長野楽器が製造し、モリダイラ楽器が取扱い、当時一世を風靡したほどのフォーク&ウェスタン・ギターのハシリである。

HODAKA」というブランドが同時に存在する。某専門誌同様「HODAKA」ギターの存在すらご存知ない方々も多いハズである。

「HOTAKA」と「HODAKA」は、同じ陳列スペース内に並び販売されていたと言う。(※「どうらく編集委員」ホームページ/松任谷正隆氏談を引用)松任谷氏ならずとも不思議な光景に違いない。

「HOTAKA」ギターにあるように、当時は山々の名称を引用する流れがある。サウンド・ホール下に貼られたブランド・ラベルは、青空の中に白い穂高山をあしらったシンプルなデザインである。

このラベル自体、丸い印刷紙の中央に山をあしらっているので、長野楽器の大株主で長野県楽器製造業界の実力者・丸山 正(テスコ弦楽器社長)氏の「丸山」に掛けていると自身は推測している。

「HOTAKA」あるいは「穂高」ブランドを取扱うモリダイラ楽器と、その製造を担う長野楽器の間でいつしか亀裂が生じ始めた。そして、何故「HOTAKA」「HODAKA」という両ブランドが同時存在するかといえば、この両社の亀裂・離縁がもたらしたものと言えよう。

決定的要因は「HOTAKA」「穂高」両ブランド名の法的占有工作により、敗者側は占有権の主張がごとく「HODAKA」ブランドで応戦したことで、上記のような怪現象を生み出したと思われる。なにゆえ占有工作と評したかというと、両社の時系列を追った中でのそのタイミングがすべてを物語っている。

また、引き抜き云々はさておき有能な製造スタッフ陣を欠いた中、産み落とされた「HODAKA」ブランドは、何故か「HADAKA」と見えてしまうのは自身だけかも知れない・・・。

2007年10月7日(SUN
先週の続きを書かねばならない。何故って、比留間賢八がマンドリンとギターを持ち帰ったのは1901(明治34)年で、鈴木政吉がマンドリン、ギターを製造し始めたのが1903(明治36)年だそうで、どうやら先の新説は説得性に欠けるらしい。

ふむふむ、確かに詰めが甘い・・・しかし、それが自身の新説を否定できる理由にもならない。

これまでは国産ギター原型説として桧山陸郎氏が引用する高橋功氏の見識や、比留間氏により持ち帰られたギターを手本に政吉翁の手により模造されたとする良識ある明治期のギター誕生説がある。

自身の新説の前提として、政吉翁が1911(明治44)年にマーチン・ギターを導入している決定的な形跡がある。自身のささやかな「秘め事」ながら、明治期にマーチン・ギターを導入した国内向け鈴木製品がある事実の意味を模索していた。

ペルフーモの模造ギターにはない大きな要素がマーチン・ギターにはある。スチール(鋼線)弦仕様の構造とその独特の音色と何より高い耐久性に、ギターとしての汎用性の高さ、高価な輸入楽器を駆逐する意味でも安価な国産普及品としての適合性・合理性を見出したしていたに違いない。

政吉とマーチン・ギターの接点は平岡熈としたが、ロンドン開催の日英博覧会とともに欧州諸国を視察した1910(明治43)年説も新たな候補として挙げておきませう。

政吉の原型として取り入れたギターが、スペイン系かイタリア系かアメリカ系か、あるいはガット弦かスチール弦かでギター産業論的発展史の切口も変わるだろう。

きょうび「鉄線ギター」などと称されている国産ギター属のルーツは、実はマーチン・・・デッサンのま〜珍説!?

2007年9月30日(SUN
導かれるかの様な偶然が重なり、国産の戦前とおぼしき実用にはほど遠いオンボロギターを入手。メダリオンが印刷された馴染みのラベルではないが、当時でも量産の鈴木ヴァイオリン製だろう。

セゴビア来日の衝撃以降、古賀メロディの昭和初期より「ギター」といえばイタリアやスペインのヨーロッパ系ギターを原型とし変化させ今日に至っている。

少し補足すると、比留間賢八が持ち帰ったマンドリンとギター以降、当時の音楽界の知識も製品もヨーロッパから流入しているのですが、注目すべきは比留間氏以前である。

日本にギターを輸入したのは、アメリカに鉄道技師として渡米した平岡熈(通人・平岡大尽)とも言われる。興味深い点として、比留間氏以前はどうかというと、既に製造を始めたていた鈴木政吉翁のギターの原型がアメリカのマーチン・ギターであったと思われる点にある。

ギターといえばフォークでもウェスタンでも、ましてやクラシックでもない単なる「ギター」であった時代の鈴木政吉翁のギターの原型は、おそらくマーチン・ギターではなかろうか。今回のオンボロギターも同じ流れを汲んでいる。

ちなみに明治期に平岡氏の輸入したマーチン・ギターと、それをギターの原型として取り込んだ鈴木政吉翁とした国産ギター原型説や解説はどこにもない。あるのはオンボロギターと少々の資料のみ。
(※オンボロはブランド名じゃないッス)

2007年8月19日(SUN
昨日の読売新聞で山崎正和氏が鋭い指摘をしていた。先の衆院選や今回の参院選でポピュリズムの構造が変わってしまったことに関心を寄せていた。

今回の総論で山崎氏のような構造変化の指摘者は不在だった。さらに情報をリークしポピュリズムを操作する側を看破するコメントも不在だったのは、論客の資質も変わりつつあるのでしょうか。

2007年8月15日(WED
盆休みの更新で久々のUPのような・・・この間、仕事と体力の調整に難儀するばかりで、山積している事がちっとも片づかない。

お盆を過ぎれば来年などアッという間にやってくる。相応に構想も練り上がりつつあるが、新たな関心も増えるばかりで興味は尽きない。

正直どうしたものかと壁に当たることもあるが、数年来試行錯誤を繰り返してきたおかげか相応のコツも身に付いたことで、かえって抱え込むことが増えているような・・・。

終戦と焼けるような熱い夏空が妙にオーバーラップする1日でした。

2007年5月27日(SUN
遅れに遅れて懸案の第一歩を踏み出した。ゆえに昨日は記念すべき特別な1日となった。

自身が試される第二期のステージへ足を踏み入れた・・・といって想い描く構想がトントン拍子に進むわけじゃないのは、体力の衰えを実感するかのように爆睡・撃沈と何とも情けないありさまデス。

さて、先日、ネット検索のさなか偶然見知らぬ掲示板に迷い込んだ・・・そこには引用の詳細もないまま当サイト情報を長文引用し、発言者たるは私自身のような錯覚さえおぼえ、作為性さえ感じてしまった。

ネット社会に対し既に自身なりの確信を持ち得たことに起因してるのかも知れないが、ギター関連の掲示板はここ数年来全くといって興味関心がない。

以前にも触れたが、ネット社会とは記憶型ではなく記録型情報形成社会。上述のような著作物に対する見識をもたぬ行為もさることながら、誤解を招くであろう書込みが残り続けることに正直関心しないっプリッ。

2007年3月4日(SUN
3月3日のひな祭りに当サイトも早5周年を迎えたが、息子の進学が一段落したことで、わが家もすこし落ち着きを取り戻しつつあるこの一週間というのが本音デス。

開設5周年・・・ことさら触れるまでもないが、近頃はひらめきにも似た新たな発見がかしこにある。

このひらめき・インスピレーションの湧き立つ瞬間こそが、智の狭間のシーソーゲームのような危ういバランス感覚の中での駆け引きが始まる瞬間でもあり、好奇心が妄想を駆り立てる瞬間でもある。

これまでもそうであった様に妄想がいずれ確証に変わる、そんな想いの数々が増え続けるばかりで興味の尽きないことばかりが自然と山積されていく。

時に過去の事実とは曖昧であるがゆえ、都合の良いように歪曲・脚色され誇張・誇大化される傾向にあるようです。総じて発信側のコマーシャリズムによる業界間の共存関係が伺えます。

現代にあって生粋なあるがままな楽器に対し、様々な思惑・不純物が入り交じる。あるがままを伝えることは本当に難しそうです。

あるがま、あるがまま・・・whisper words of wisdom let it be.

2007年1月1日(MON
更新完了〜〜ッ。安堵(&)謹賀新年。(汗)

年末で区切りよく更新完了予定が、溜め込んだ情報がそうはさせてくれなんだ・・・自業自得だッつ〜の。(汗)

さて、本年は「けじめ」の年となりそう。振り返れば道も出来た。時に出会う有志との見識を交えながらの旅路ですが、荒野の道すがら溜め込んだ原石と旅の荷をおろすべく宿も見えている。

宿に着いたら旅の埃と垢を落とそう。ずっしりとくい込んだ肩の荷を下ろして身支度を整えたら、新たな荒野を目指しての旅がまた始まる。新たな出会いを求めて西の荒野を目指します・・・。


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