当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。
【お願い】当欄執筆内容の著作性を損なう引用・転用をお断り致します。

●あとがきVOL.12
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08
(2005年7月〜)
VOL.07(2004年&2005年〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.02(2002年9月〜)
VOL.01(2002年オープニング)

2010年12月31日(FRI
今年は妻の母が亡くなり、ドタバタ年賀状のご挨拶もない。そしてこの暮れのイヴに若い同僚が・・・。しんみりと少し落ち着いた年末です。

「ギターとブランディング」第5タネ:完結編
今年のシメとして何故このようなタイトル&テーマをチョイスしたかと言えば、現場主義の第一線で活躍してこられた『自叙伝』を拝読し、その“心意気”に共感し得たからであり、今後のメッセージとして最適な“素材”だったからだ。

内容的には当欄「あとがき」に蒔いてきたタネの焼き直し的記述も随所に散見されましたが、重要なのは第一線に身を投じてきた現場側からの貴重な肉声たるメッセージであった点に他ならない。

新たな客観的立ち位置を得たからかも知れないが、業界内“不協和音”を活字として世に問われる事は、全く無関係な立ち位置の自身から見ればかなり勇気のいる“心意気”である。

さて、 世代観による違いなのでしょうか、なにか自身の一昔前の姿を振り返る様な心境ながら、その足跡たるや足元にも及ばぬ偉大なる大々先輩・・・されど実はモノ創りの“魂”あるいは“核”となり、全ての本質に繋がるとても大切な要素であるがゆえに、自責の念を込めて新しい有意義なテーマ&メッセージとした次第です。

最初にお断りしておきますが、このテーマに正解はありません。ここに述べるのは、いわゆるデッサン自身の“心意気”の様なものであります。

創業者個人にとっては、ブランディングはあまり必要でないと考えている。自ら起業した彼等にとっては、自分の思いすなわちメーカーとしてのアイデンティティであって、殊更ブランディングを持ち出す必要もないからだ。

本来のブランディングとは、売るための方便ではない。社会に提供出来る価値の宣言だ。つまり、メーカーにとしての志の表明が、ブランディングの役割であるべきだろう」・・・

『僕らが作ったギターの名器』(椎野秀聡・著/文春新書)「ギターとブランディング」項の一部引用ながら、まさしくその通りで異論を挟む余地もないのですが、何かもの足りないんです。そしてその“何か”が重要な“核”であり“魂”であるとしたなら・・・。

そもそも欧米の楽器メーカーの場合、ブランド名はなぜ創業者たるメーカー名なのだろうか。楽器に限らず一流ブランドと賞されるモノ創りメーカー名に例外がほとんどない。

それは「社会に提供出来る価値の宣言」であると同時に「品質を保証する責任の覚悟の宣言」だと思っています。

つまり何の変哲もない創業者たるメーカー名も、アイデンティティたる価値の宣言と同時に「大いなる責任の所在」をも宣言している。

価値を宣言するのを“志”とするのは勝手だが、責任の所在を宣言するとなると、これは“覚悟”の問題だと思う。

例えば、「H.S.Anderson」「CampBell」「Vesta Graham」「BossAxa」など、耳障りの良いブランド名ながら、そこから「椎野秀聡」を誰が連想できるだろうか?

大いなる責任の所在は、一体何処にあるのか判らないし、ブランドの価値や品質に対する評価や名誉・不名誉を受けるべく所在たる対象者は誰なのかさえ判らない。

「椎野正兵衛商店」「S.SHOBEY」であればどうだろう?

名誉も不名誉も、全ては椎野正兵衛ないしは椎野一族の経営者側であるのは一目瞭然であり、何より大いなる責任の所在の対象者を宣言しているからこそ、椎野正兵衛ないしは椎野一族の経営者側は尽力を惜しまないだろう。

商品を提供する側にとってより良いものを提供しようとするほど、そこに理念・価値観たる“志”もあるだろう。しかし、“覚悟”が伴わない“志”は、単なる耳障りの良い“きれいごと”に過ぎない。

つまり一見何の変哲もない創業者たるメーカー名も、実は社会に対する価値の宣言たる“志”を真に受け止めるべく“覚悟”の宣言であり、これ以上のシンプルかつ贅沢極まりないブランディングはないのである。

10年ひと昔とは言うが、当時の自身であれば、やはり同じ様な耳障りの良いブランド名を想い描いたものである。

そこには大いなる責任の所在の欠片もない。もちろん価値を宣言してる訳でもなく自身の得意な妄想癖に他ならないが、価値観のモノサシを自問自答し重ねてきたせいだろうか、ブランドへの想いも変わるのである。

椎野氏のブランディング論を否定しているのではないです。椎野氏はサウンドをプロデュースするサウンド・デザイナーという一風変わった立ち位置で様々なギターと関わって来られた。ギターを自らの手で製造する訳ではなく、恐らくはそうした立ち位置ならではのブランディング観なのであろうと理解しています。

立ち位置が変われば“覚悟”も変わる・・・。

ときにギター産業界にあってブランディングの重責を手放されるがごときメーカーばかりが日本には何故か多いのも如何なものであろうか。

グレコ、イバニーズ、アリア、フェルナンデス・・・挙げればきりがない。

自身にしてみれば耳障りの良いブランディングなどもううんざりである。何故こうも自国の文化や伝統、あるいは日本人たるに誇りを持てる凛として堂々としたブランディングがないのだろうか。

自身がこれまで触れてきた様に、楽器産業におけるキー・マンは間違いなく“日本人”だと思っています。恐らく世界に冠たる能力を持つ特殊な人種だと思いますし、人間みな平等と言うのであれば、それを可能にしてきたのは日本の伝統文化や風土のなにがしかが培ってきた特殊な才能なのだろうと思います。

我々は“日本人”であることにもっと誇りを持つべきです。アメリカを筆頭にアングロサクソン族は、そんな日本国を警戒し、戦後から経済管理・制裁の手を緩めません。その状況は今後も変わりませんが、日本人としての“誇り”とは、ブランディングと何ら変わりません。

大いなる責任の所在の“覚悟”の宣言でもあるのです。

中国、北朝鮮と国境を意識せざるを得ない問題が表面化し、にわかにナショナリズムが叫ばれる昨今、我々が日本国あるいは日本人としての“誇り”を掲げるなら、それは同時にこれまで事なかれ主義で先送りにされ続けてきた大いなる責任の所在たる“覚悟”の宣言なくして何も始まりません。

“誇り”を受け止めるべく“覚悟”が国民の総意となれば、きっとこの国も忘れかけ失いつつある“魂”を見いだすに違いない。

「ギターとブランディング」最終稿のデッサンの心意気はともかく、商品のブランディング論が西洋文明に飼い慣らされ続けてきた現状において難しいのも事実です。

しかし、この長文に最後までお付き合い頂けた方々に、恐らくは“魂”あるいは“核”となるなにがしかの片鱗を感じ取って頂ければ幸いです。

また、これを機に来年以降は日本人たる凛として堂々としたブランディング論が再考されることを願いつつ、2010年の最終稿と致します。

皆さんの、そして自身の更なる素晴らしい新年を祈りつつ・・・。

2010年12月19日(SUN
「ギターとブランディング」第4タネ
皆さんは「イバニーズ」で世界的にも有名な星野楽器店の歴史をご存じだろうか?

当該ホームページ、関連書籍から関連情報に至るまで全てにこう記されている・・・・1929(昭和4)年、合資会社星野楽器店設立とともにスペインの名門「イバニエズ・サルバドール」社のギター輸入に成功しギター卸販売を開始する。

古楽器系に詳しい方々なら恐らくは気付くと思われるが、スペインに「イバニエズ・サルバドール」など無い。あるのはスペインの名門「サルバドール・イバニエズ」であり、同時代的に正確には「SALVADOL IBANEZ E HIJOS(サルバドール・イバニエズと息子達)」である。

では、何故そのような素人まがいを今日まで放置し続けるのかと言えば、上記スペインの名門ギター輸入成功ほどなく、星野楽器店がブランド名をすり替えた「IBANEZ SALVADOLイバニヱズ・サルバドール)」ギターを販売し始めたからであろう。

スペイン名門の舶来輸入ブランドがいつしかすり替わってしまう様な事態が、戦前それは静かに起きていたのである。そして、それら過去の歴史的事実に対し整合性を保とうと、レトリックたる不可思議な社歴に変容し、日本中、いや全世界がそのレトリックにはまっている・・・と言うよりも、今日まで誰一人として検証して来なかったのだろう。

当初の星野楽器店ブランド「イバニヱズ・サルバドール」ギター内のラベルには、「LA PLUS GRANDE ET MODERNE FABRIQUE EN ITALIEイタリアで最も近代的な工場)」とフランス語にて明記されている・・・スペインではなくイタリア?でもってフランス語??

やがて戦時色が色濃くなり舶来ギター輸入禁止ともなると、上記文面はいつしか「LA PLUS GRANDE ET MODERNE FABRIQUE EN JAPON日本で最も近代的な工場)」と何事もなかったかの様に変更されているのである。

戦前、星野楽器店により生み出された摩訶不思議な「IBANEZ SALVADOLイバニヱズ・サルバドール)」ギターが、舶来品として、あるいは舶来品がごとく、または良く出来た国産品として流通されていたかどうかの実体は、残念ながら不明です。

しかし、この問題の重要な本質は、戦前昭和の名古屋というギターの地場産業地帯を舞台に、世界大恐慌下の暗澹たる窮地の折りに訪れたギター・ブームに乗じて、不正あるいは不正まがいがギター製造業および洋楽器卸商組合の大手を中心とした仲間内輪で横行していた・・・そのレトリックたるほんの一例が「イバニヱズ・サルバドール」かも知れないという事である。

検証する手だてはある。合資会社星野楽器店は、1931(昭和6)年には輸入楽器付属品類を含めた初の楽器カタログをリリースしており、同社資料保管庫にあるであろう未だ非公開の『諸楽器総目録 昭和八年度』等を含め情報公開すれば良いのである。

『諸楽器総目録 昭和八年度』版は、ミッキーマウスが表紙を飾る歴史的側面をも伺える資料で、“ミッキーマウス”や“のらくろ”といった漫画のキャラクターが商業的に利用され始めたその先駆けでもある。

当該ホームページの社歴には「弦楽器発祥の地と言われる名古屋という土地柄、技術力を持った優秀な職人が多くおり、製品としての完成度も高かったことは、「さすがに外国製品は音色がいい」と、音楽ファンから舶来品と勘違いされることもあったというエピソードからも伺うことができます。」とある。

早計結論付ける事は差し控えたいが、当該社歴をどう受け止めるかを含め、これまで永きに渡り閉ざされ続けてきた扉の鍵を開けた意義は大きいだろう。

洋楽器産業研究の大家・大野木吉兵衛氏でさえ、戦前の名古屋ギター産業界のそれら実体に触れることはなかった。事の重大性を鑑み、あるいは自身の身の安全を配慮し敢えて触れることを避けたのかも知れない。

そうした意味でも今後、戦前の名古屋ギター産業界の歴史を精査・検証し、鍵を開けたに過ぎぬ真実の扉を開け新たな史実を見ることになるかどうかは、今後の皆さんの興味・関心次第・・・半世紀を過ぎれは、歴史の再検証は不思議と誰かの手で始まるのですから・・・。

いまだネットオークションその他で、スペインやイタリアの名門ブランドを語り幅からぬ物件を横目に見ながら、さて、あるがままの事実はいずこ・・・あるがまま、あるがまま。

2010年12月12日(SUN
「ギターとブランディング」第3タネ

ギターのブランディングでは時代的要素もあるが、山脈、山岳といった「山」系ブランド名が意外と多い。

思うままに挙げ連ねると「穂高」「白馬」「富士」「蓼科」「赤城」「榛名」「高千穂」「上高地」などなど。

そして『美しきモレナ』の風景となるスペインのモレナ山脈(Sierra Morena)の「MORENAモレナ)」ブランドが本日の本邦初の“素材”となります。

ところで前回の国産合板ギター論からは、1930(昭和5)年頃にイタリアからのオファーによりギター製造に乗り出した寺田木工所が、輸出トラブル打開策として合板ギターを開発した様ですが、それがイコール同社のギター製造の歴史になっている。

手元の当該会社概要には「1931(昭和6)年、ギターの製造に着手」とある。僅かにブレはあるものの1930〜31(昭和5〜6)年頃にギター製造を開始した事になる。

さて、ここで最初に気になる点は、1930〜31(昭和5〜6)年頃という時代背景である。ご承知の方は少ないかも知れないが、1929(昭和4)年10月24日のニューヨーク株価大暴落を受けて、翌1930(昭和5)年より数年来世界中が大恐慌の真っ直中である。

一昨年のリーマン・ショック以後の昨年から今年にかけてといった状況下、寺田木工所にギター輸出のオファーがイタリアから舞い込んだのである。

今風に言えば百年に一度の未曾有の大不況下、コストの安い中国に製造をオファーする様なものだろうか。少なくともバイオリン、大正琴を製造していた寺田木工所であれば、ギターという洋楽器もそれらの延長品だし、製造を重ねながらギターという新たな洋楽器の品質も徐々に向上して行った事だろう。

自身の手元には戦前の「MORENAモレナ)」がある。おそらく皆さんが良くご存じのものと決定的に異なるのは、戦前「MORENAモレナ)」は、スペインからの舶来輸入ギターである点です。

当時これを喧伝し大々的に販売していたのは、新興音楽出版社、のちの新興楽譜出版社でありシンコーミュージックである。同社の資料保管庫には、自身のモノと同じ資料が必ずやあるハズである。

当時の型録から一部抜粋引用すると「舶来モレナギター モレナは音楽の国 情熱の国として世界第一のスペインから輸入されます」とあり、不思議な事に「MORENA」のブランド・ロゴの下には、何故か隣国ポルトガルの「LISBON」とある。値段も舶来(輸入品)ゆえ当時の国産と比べても高い。

実は、この腑に落ちぬばかりの資料と自身の理論のみならず、その真贋を確かめたくて、幸運にも「舶来モレナギター」なる現物入手に至りましたが・・・単刀直入、結論から言えば舶来品などではなく「手の込んだ国産品」でした。

前回申し上げましたが、寺田木工所による合板には独特の「クセ」があり、部品や材料、内部の製造工程的なものを拝見すれば、同じ類であることが見えてきます。

また、時代背景を精査すれば、実はその真贋はおのずと明白になるレベルなので、その詳細については各自研究&解明下さい。

自身が申し上げてきた様に、わが国産ギターの歴史は昭和の歴史と言っても決して過言ではなく、貴重な知識の連鎖の鎖は切れたママです。

しかし、その要因の一つに戦前昭和のギター産業界を取り巻く不正や不正まがいがあるとすれば、まずは当事者たちが過去の事実を語る事から始めて欲しいものです。

過去の事実は永遠に消え去ることはなく、いずれ必ずや明白になる事です。半世紀を過ぎれは、歴史の再検証は不思議と誰かの手で始まるのですから・・・。

あるがままの事実はいずこ・・・あるがまま、あるがまま。

2010年12月5日(SUN
一通り読み終えて『僕らが作ったギターの名器』は、椎野氏のある種“宣言書”かも・・・と、ふと思いました。

工場視察も終え「H.S.Anderson」同様モリダイラ楽器がらみで再挑戦を企画している・・・来年の2年毎開催『楽器フェア』か、その前のアメリカ『NAMM SHOW』当たり・・・かな?

「ギターとブランディング」第2タネ
このテーマの最終稿は、12月31日の大晦日に更新予定ですが、その間のテーマのリレーは本邦初となる様な内容を織り交ぜて参ります。

さて、日本の国産ギターで合板によるギターっていつ頃から製造され始めたのだろうか?

実はこの問いに応えるギター専門誌は見当たらないが、該当されるギター製造メーカーは三社ある。いずれもうちが一番最初に導入した・・・と公言している。この三社のうちの一社が国産初の合板ギターを発明?したと思われますので、年代の若い順に紹介して参ります。

(1)信濃楽器工業株式会社
「Shinano」「Yamaki」ブランドのギター製造を手がける。全音ギター製作所の所長:寺平一幸氏に楽器製造を勧められ、クワの代りに工作機械を手にして当時大ブームのウクレレ製造に乗り出し、その後ギター製造にも着手する。

社長の志村七男人氏いわく、「合板を最初にギターに応用したのはうちではないですか」とある。

おそらくはギター製造に乗り出した1960年代初頭頃を指すと思われます。

(2)春日楽器製造株式会社
言わずと知れた「春日」ですが、社歴は戦前昭和からあります。こちらは戦後の話しの様ですが、合板にしなければならない理由が生じ、いち早く合板ギターに着手した、とある。

1950(昭和25)年頃、当時最高設備であった冷暖房完備の銀座・十字屋に納品したギターが全部割れてしまった。対策として当初建材用合板を使用したが音色が悪く、その後、楽器用松の甲合板を開発することで音色・仕上がりともに向上し、1953(昭和28)年頃には合板ギターが普及し始めたと言う。

(3)寺田楽器製造株式会社
本日のお題の結論です!!戦前の寺田木工所時代の事ゆえか歴史を感じさせます。

1930(昭和5)年、イタリアのバイヤーから注文を受けたのがキッカケとなりギター製作に本腰を入れ始めたが、未熟な技術のため輸送中にクレームがかかるのにゴウをにやし、丈夫で長もちする合板ギターの製作に成功した、とある。

実は数年来、上記結論たる検体としての戦前の寺田木工所による合板ギターに注目しつつ、発見入手に至ってます。甲板は松合板の上等なものではなく安価な合板ギターですが、寺田による合板には独特の「クセ」がある。

さて、本邦初となるお題の結論らしきを綴りましたが、それと「ギターとブランディング」のテーマがどうリンクするのか不思議ですよね。

話は少し長くなりそうですので次回持ち越し!・・・です。

2010年11月28日(SUN
「ギターとブランディング」第1タネ
かつて蒔いた古い種の中で長野楽器の「HOTAKA」ギターのラベルに触れたことがあるが、ご記憶にあるだろうか。

「サウンド・ホール下に貼られたブランド・ラベルは、青空の中に白い穂高山をあしらったシンプルなデザインである。このラベル自体、丸い印刷紙の中央に山をあしらっているので、長野楽器の大株主で長野県楽器製造業界の実力者・丸山 正(テスコ弦楽器社長)氏の「丸山」に掛けていると自身は推測している。・・・」

もちろん自身の勝手な推測ながら、その推測を裏付ける新たな検体を発見以来、にわかに現実味を帯び始めている。まさか同種のラベルが他にもあろうとは・・・。

Mayfair(メイフェア)

ギターの外観は「HOTAKA」中〜後期仕様。おそらくは長野楽器製造下の輸出ブランドないしは森平利男氏(モリダイラ楽器)が「HOTAKA」商標を抱え長野楽器を去った混乱期のブランドではないかと想像する。

ラベルは黒地ベースで穂高岳の絵がないだけ、ホタカ同様の丸型で文字レイアウトも同じ。

Mayfair」ロンドンのHyde Park東方の上流住宅地、『比喩』ロンドン社交界・・・と英和辞書にあるが、何とも釈然としない曖昧な命名というか、何かこじつけめいる。

MayMaru-Yamaから漢字主要アルファベットを抜粋」「fair=正しい」・・・つまり、ここでも長野楽器の大株主の丸山 正(テスコ弦楽器社長)氏の名前にすり替えブランド化しているとも分析できる。

冒頭のかつて蒔いた古い種は、実はテスコ弦楽器と長野楽器との関係と言うよりも、丸山 正氏と蒲生隆治氏との人間関係をうかがい知る上で、ふと導き出された推論であった。

厳密には長野楽器に役員として参入したモリダイラ楽器の森平利男氏とテスコ弦楽器の丸山 正氏との人間関係まで踏まえなければ正しい状況判断は導き出せないが、「Mayfair」に至っては、自身の想像以上の人間関係がむき出しのロジックと化している様に感じられる。

この妄想劇は、やがで「HODAKA」から「HOTAKA」に変更されたブランド名にまで及び、「D」から「T」に変更された謎解きが始まってしまった。恐らくは商法的問題ではなく、敢えて何かロジックを仕込んでいるに違いない・・・。

さて、ブランド名からブランド・ラベルに至るまで丸山 正氏に掛けたロジックが仕込まれているとすれば、歴史の綾から紡ぎ出された新発見と言えるだろうが、あるがままの事実はいずこ・・・あるがまま、あるがまま。

【補足説明】モリダイラ楽器の森平利男氏は、長野楽器を去る間際「HOTAKA/穂高」の商標出願をしている。(【出願】1967年1月11日)、即座に穂高楽器製造(株)の新会社を登記設立(【登記】同年1月31日)その後、長野楽器の蒲生隆治氏側のクレームにより芳野楽器製造(株)に社名変更登記(【変更登記】同年4月1日)し決着を見たようである。

2010年11月21日(SUN
椎野氏の書籍を読みながら、念頭にあった事を少々綴ってみたい。

日本のギター文化はその流行性を含め戦前からあるが、日本のギター文化黄金期は、どうしても1960年代中期のヤマハがエレキ、アコースティック双方の開発を始めた頃から1970年代が本流となってしまう。

現在、そうした情報を様々な形で発信する側も、同時期の黄金期の洗礼を受けた世代であるし、時代性として音楽雑誌等を含めた情報文化が急成長し、情報量も豊富であればこそ内容も充実していると思います。

椎野氏もまさにそのド真ん中にいればこそ、貴重な知識の連鎖たる書籍であり、それはそれで良いと思うのですが、あまりにも“そこ”に集中し過ぎて、その時代性を離れた情報って極端に少ない・・・と言うよりも、ほとんど見当たらないんですよね。

例えばそれ以前の時代となると、情報は極端に少ないし、割とジミ〜ッな情報収集を積み重ねないと構築できない様な類の情報が多い中、そこにスポットを当て取り組まれる編集者って皆無ですよね。

仮に取り組んだとて、よほどの見識を重ねないと、文責を問われ叱責を受けた上、後世に悔いを残すようなインチキ眉つば文章になりかねない・・・されど、それでも取り組んで頂きたい。

出版社、編集者であればこそ出来るスタンスというものもある中、2002年12月29日の当欄「あとがき」でも同種の内容に触れましたが、おそらくNHKドラマ『龍馬伝』の坂本龍馬ならこうつぶやくでしょう・・・わが国産ギターの歴史は昭和の歴史といっても決して過言ではなく、貴重な知識の連鎖の鎖は切れたママじゃき〜、このままじゃいかんぜよ〜・・・ドラマもいよいよ大詰めですね。

2010年11月14日(SUN
『僕らが作ったギターの名器』の到着一報とともに、今週は珍しく秋の読書週間となりました。

2,000円近いギター関連誌に比べ、わずか850円で充分楽しめる内容になっている。エレキ、アコースティックを問わずギター好きにはピッタリな一冊かも知れない。

まだパラパラと拝見した程度ながら、じつは面白そうな切り口がいくつかあるので、お題として取り上げてみたいが、今回はちょっと違った切り口で簡単に〆めたい。

人間の言動や価値観を評価する際、動物学的見解というものもあるらしく、生殖機能も老えた動物が成すべき事は何かと言うと、次の若い世代の為に有益な行動を取る・・・という事らしい。

これは個人的見解ではなく、あくまで動物学的見解とお断りしておきますが、温泉三昧、飽食三昧の老婦人達は、“くそばばぁ〜”の類なのでしょうか。

歳をとるって・・・むずかしいね。

椎野氏が再度楽器業界に復帰されるのかどうかは不明ですが、仮にお心づもりがある様なら、椎野スピリッツを受け継ぐ若い世代の育成・・・そんな新たな職責を担って頂きたい、と思ったのは自身だけだろうか?・・・さて?

2010年11月7日(SUN
かねてより“田原良平宣言”ならびに『絃楽器解体眞論』には、自身の構想が出来上がってはいましたが、構想を見直す機会を得ました。

つまり新企画とともに面白くなりそうな予感・・・たぶん。

さて、今週は椎野秀聡氏が『僕らが作ったギターの名器』という自伝的書籍を出版されたという情報を拝見、近所の書店で取寄せ予約して来ました。

それと久々にギターを1本入手しました。

1960年代の国産ヤスマ・ギターですが・・・少々残念ながら評価するまでもないギターでした。1960年代の量産期ヤスマは、どう評価して良いものか・・・やはり高品位少量生産に切り換えた1970年代から実力を発揮するのでしょうか。

2010年10月31日(SUN
今週の27日(水)に待望のHOTな情報が飛び込んできた。おかげで、先々の見通しの目処が見えてきたので、もう少し当サイトを有効活用しようと筆を取らせて頂きます。

さて、先の執筆での“田原良平宣言”ならびに『絃楽器解体眞論』のアナウンスから早2年が経とうとしているのに、何も具体化されてはいない。

欲しい情報は既に自身の手元にあるので、ことさら急ぐ必要はさらさらないのですが、この2年近くもの間、田原良平氏の関係諸氏からの情報ならびに接点は全くなし・・・というのも事実で、すんなりと前には進まないものですね。

この間、WEB関連では十把一絡げの「その他」扱いから格上げされた観のあるジャンボ・ブランドながら、意外なことではあるが田原良平論が語られる訳でもなく、むしろリーマン・ショック後の未曾有の大不況とともに、アコースティックギター熱も冷めつつあるというのが現状の様ですが、自身の熱は全く冷めることを知らず、おそらくはこれも才能のうちの一つ?かも知れない。

少々古い話題を持ち出しますが、2002年12月22日の当「あとがき」で、今後の楽器産業に関する予感めいた事として“かねてからの予感めいた事を申せば、発信地が日本と言うよりも「日本人」が新時代のキー・マンを担うような気がしています。”と申し上げました。

実は今でもその想いは変わっていないのですが、大変残念な訃報を目にしました。アメリカで活躍されているギター製作家の坂下拓氏の訃報である。

坂下氏が自身の予感たる存在だったのか、そうでないのかは解らないが、各誌の特集される坂下ギターを拝見するにつけ、その資質と見識を具現化されたギター群は、良質のエッセンスとともにキー・マンたる存在・異彩を放っておりました。

いわゆる“油の乗り切った”矢先、大変悔やまれる惨事としか言いようがなく、同時に新時代のキー・マンとしての“出る杭は打たれたのだろうか”と、アメリカの深い「闇」のようなものを感じざるを得ませんでした・・・。


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送