当サイトに関する事や、広く楽器・音楽に関わる事、身近な出来事などに対するつれづれなる想い事をしたためた「DESSIN(デッサン)のひとりごと」です。

●あとがきVOL.07
VOL.1
(2011年1月〜)
VOL.12(2010年10月〜)
VOL.11(2008年1月〜)
VOL.10(2007年1月〜)
VOL.09(2006年1月〜)
VOL.08(2005年7月〜)
VOL.06(2003年12月総集編)
VOL.05(2003年10月〜)
VOL.04(2003年7月〜)
VOL.03(2003年1月〜)
VOL.02(2002年9月〜)
VOL.01(2002年オープニング)

2005年6月26日(SUN
2005年上半期も終わりに差し迫った今週末、残る下半期を決定づけるちょっとした出来事があった。恐らくは自身の人生を振り返える際には、一つの節目となるのだろうか。

さて・・・当サイトに掲示板たるBBSがないのは、「いまどき何故?」とご不審の方々も多いことでしょう。いずれそのワケが語られる日がくるやも知れませんが、何故?に繋がる様なお話・・・。

現在、WEB上でアコースティック・ギターに関する情報を発信する際、個人であればそのほとんどが趣味的なものが大半で、その先導者たるを務めたのがリアル・フォーク世代あたりだろうが、現在では様々な世代から情報が発信される様になったのはアコースティック・ギターに関する情報文化の豊かさを物語っている。

しかしその反面、音楽そのものを発信する側としての音楽家・ミュージシャン達の音源たるアコースティック・ギターは、あまりにもパターン化あるいはカテゴリー化されていて、イマジネーションの豊かさを感じさせるものがなく、かっての毒されたフォーキィ世代ならまだしも、新たに売り出される音楽家・ミュージシャン達までもが、同じようにパターン化あるいはカテゴリー化されたパッケージで売り出されている・・・。

「バラが咲いた」でデビューのマイク真木は、リュートをつま弾いていた。理由など知る由もないが、1965年来日したブリームのリュート演奏に感銘を受けた証しだろうか。いまだ日本のアコースティック音楽文化をあまり知らない自身ながら、あのマイク真木以来、リュート・サウンドとともに大衆音楽となり得た曲があっただろうか。

セゴビアの来日により目覚め、古賀政男により大衆音楽の友となったクラシック(ガット)ギター文化が、いまどきの大衆音楽の友と言えば、フォーク(ウェスタン)ギターに軍配が上がるのは解る気もするが、クラシック(ガット)ギター・サウンドの良さを引き出した大衆楽曲が若い世代から発信されないのは、イマジネーションの・・・。

おそらくは毒されたフォーキィ世代プロデューサー群?の古い殻をうち破るような才能を開花させて欲しいと願ってやまぬお気楽カメ太郎は、リュートあるいはクラシック(ガット)ギター・サウンドの現状を実に“もったいないな〜”と思うのでありマス。

2005年6月19日(SUN
楽器の歴史は、その対象をギターに限定せずとも実に不可思議な事実・側面があるものですが、時に切り口を変え眺めてみると思わぬ一面が見えてくる。

・・・今日における楽器の実体とは、そのほとんどがかつて西洋楽器と呼ばれていた輸入文化楽器であり、明治維新とともに徐々に量産化され産業化されてきた経緯をもつ。

こうした楽器製造にかかる歴史は、これを辿ってみると案外良く解ることなのですが、同時に工場火災の歴史と言えるほど実に頻繁に火災が発生している。この工場火災を綴るだけで軽〜く一冊の本が出来てしまうほど・・・つまりは楽器製造に絡んだもう一つの歴史が出来上がってしまうほど・・・なのである。

その緒は、オルガン製造あるいはピアノ製造の覇権を競い合っていた山葉(ヤマハ)、西川あるいは河合、その他諸々の工場から始まり、バイオリンからギター工場に至るまで綿々かつ脈々と続いている。

河合などはあまりに続く工場火災に業を煮やし、木造から鉄筋の工場建設へと変えた経緯を含め、火災による損害と業績という要素により社運という天秤の針は、時に思わぬ方向へ傾く。

体力の乏しいメーカー・製造工場であれば、競争という表舞台から一寸身を引かざるを得ないばかりか、買収あるいは倒産という降板劇さえ待ち受けているのは、過去の歴史が雄弁に物語っている。

楽器に関わる表舞台的な歴史書は数あれど、これどほ繰り返されてきた工場火災という裏舞台にスポットを当てようと試みた著者は見る影もない。楽器に絡んだ歴史の綾を紐解くほどに個人的指向性云々として片づけられぬほど必然性さえ帯びてくるであろう興味深い対象・事象にあってやや不思議ではある。

一口に工場火災といっても多様な原因が見え隠れする。製造繁忙期の火災もあれば製造衰退期の火災もある。その折々の絡んだ綾をひもとくことが出来るなら、きっと驚くような真実の開拓者となり得るのではないだろうか。

注目すべき対象・事象に事欠くことはない。時にしたたかなメーカーの思惑を看破するなら、現代にあってマジックの解かれる瞬間におののき息を潜めている者がいないとも限らない・・・。

2005年6月12日(SUN
かつてヤマキ情報に関わりつつ右往左往する中、実に衝撃的かつ運命的?とも言える一文に二度出会っている。一つは当欄2003年12月総集編で触れているので、一読された方ならおおよそ想像は付くハズ。

残る一方はというと、今泉清志氏の執筆活動に触れて何気なく語られていた一文であり、出会った瞬間の自身の状況そのものが、あたかも歴史という時間軸の中で繰り返されてきた不思議な必然性なのだと瞬時に諭されしまったのを改めて思い出す。

遙か10代後半にボードレールの一文に雷鳴を聞き、20才より活字を絶ってきた身の上か、ヤマキを通じて再び活字と格闘する故?の自身の浅学非才・無知さ加減のお披露目になる・・・かも。(汗)

さてッと・・・それほどの一文にあって、なるほど1990年代から今世紀に至る種々様々な書籍出版の必然性、時代の織りなす綾が全てに見えてくるから不思議だ。これらは全て歴史の必然的な見えない糸に操れあれているだけであるばかりか、自身はそれら足下にも及ばない一人に過ぎないという事だろう。

半世紀ごとに振り返り語られ続けてきたのだろうか、出会った瞬間、まさに資料を紐解く自身の手足があたかも天空から見えない糸で操られている様を見せられている様な気分でしたが・・・多くの方々に当てはまる訳ではない不思議な一文?を改めて引用させて頂きませう。

「歴史は50年過ぎてから書かれるべきであるといわれていますから、日本の楽器の歴史もこれからその全貌を明らかにするタイミング到来ということかもしれませんね・・・」

2005年6月5日(SUN
ほぼ1年間のブランクといえど、ボ〜ッとしていた訳ではないが案外ギターと離れていたような・・・。

HOTな話題を知る由もないし、総じてギターに魅了される出来事らしきも無かったというのが実感ですが、自身の感性が衰えたというのが案外本当のところかナ?

さて、そんなハテナ印の感性ながら、果報としての1971年4月製造のF-150が、この1年間のブランクを相殺してくれた。まさに古きをたずねて新しきを知る想いである。

この間の収穫といえば、昨年6月かつてヤマキ楽器の製造部門に在籍されていた伊藤秀彦氏と貴重なヤマキ後期情報('81〜'83)に関してのメール・インタビューが挙げられます。

直接的なヤマキ情報を知り得る方とのコンタクトは、かって一度だけ実現した寺平氏以来ゆえ、何より管理者冥利に尽きる至福のひとときでした。(※伊藤氏の個人情報に関わる記載は了承済みデス)

ハードルはまだ残したままですが、今後どうなることやら・・・石原慎太郎流で言えば、ケ・セラ・セラ・・・。

2005年5月29日(SUN
ギターとは不思議な楽器である。ベルリオーズをもってして「ギターは小さなオーケストラだ」と言わしめるほどに、あたかも完成された小宇宙がそこにある。そしていずれの宇宙観も個々の資質にゆだねられし宿命ならば、いかなる名器といえど卓越した才覚者なしに生まれいずることはない。故にいかなる大企業、言い換えれば個々の集合体たる大組織といえども、たった1人の覚醒者におよぶものは何一つ無いというのが楽器という創造物の面白い所以でもある。

・・・たしか昨年の春だと思うが、約20年という長きに渡りフラッグシップ・モデルに採用し続けてきた非対称Xブレーシングの採用を止めた・・・そう、ヤマハ・アコースティック・ギターのお話。

大企業の広告力ゆえか、あたかも「非対称Xブレーシング・イコール・ヤマハ」のように認知されてきた経緯がある。アコースティックに関心など失せていた時代背景に加え、皮肉にもその発表がダイオン倒産の翌1985年・・・受け手側の情報力も未成熟な時代の揺りかごが、共に心地よく囁きあいながら長きに渡り蜜月関係を結んできたのだろうか。

最近、自身3本目となるヤマキ・ギターを入手した。偶然にも機会あらば・・・と願っていた他ならぬ「F-150」で、ラベルには1971年4月製造とある。正確には『ヤマキ解体新書』情報構築の一助へと無償提供されたもので、改めてご提供者であるtsuna_ryoさんに感謝しつつも、何か運命の糸に操られもてあそばれているかの様な不思議なご縁である。

既に現役を引退したF-150にあって、初見から実に興味深い情報の数々に否応なく好奇心の五感は研ぎ澄まされていく。この際の新たな発見として、これまで1972年頃導入されたのでは?と推測して来たヤマキ独自の非対称Xブレーシングだが、この1971年4月製造時に既に導入済みであったことが新たに解った。

この早熟な発想が、ヤマキ独自に成されたものかどうか興味は尽きない。かって一度だけ実現したヤマキ楽器との情報コンタクトの際、明確な回答は含まれていなかったからでもあるが、一人の才覚者がもたらす宇宙観のなんたるかをうかがい知るほどに、今回は冒頭のクダリをあらためて感じ入るところでもある・・・。

2005年5月15日(SUN
当サイト設立3周年という目出たいチャンスも逸したままゴールデン・ウィークに至り、やっとの想いで更新にこぎ着けました。

ゆうに1年振りの更新ともなれば、昔話の浦島太郎状態で自身のサイトながら制作・ノウハウもおぼつかない有様。全ては自分の蒔いた種とはいえ、長らくお待たせ致しました皆様の太っ腹のご対応に改めて感謝申し上げる次第でございます。(なんか歌舞伎の口上みたいナ・・・)

1年のブランク・・・そのほとんどが自身の問題ながら、当サイト不在の様な状況ゆえ有意義であったであろう様々な相対的状況を考慮するなら、結果論的には案外良かったのかナ?・・・もち、投稿諸氏の皆様への対応の遅れさえなければ、ですけど。(汗)

ナゾの覆面車らしきが自宅周りを徘徊することもなくなり、落ち着きを取り戻したキョウビ、長らくの神経性便秘・・・ではなくて、この間寄せられました情報を一挙放出させて頂きましたッ。

何か大きな躍進があったかと言えば際立った変化もなく、最新パソコン&OS、ネット環境の恩恵により快適に情報制作&発信が可能になったという程度で、それだけ当サイトの情報が充実してきた証でもあり“もう3年もやれば十分だべさ”という想いもなきにしもあらず。

あとはキー・マン2名とのインタビューが実現すれば思い残すこともさほどないのですが・・・中年ババア(失敬ッ!)がヨン様ならば、オイラはヒロツグ様とのメール・インタビューを夢見ておりんす。

・・・ヤマキ関連情報を精査し、膨大な情報と格闘する中、確実な手応えを感じつつ歩み始めたNEXT STEP。しかし、そうした充実した気持ちとは裏腹に、日々報道で繰り返される社会事象に覚える苛立ちともどかしさは、ライフワークの一部でもある音楽という領域を遥かに凌駕しつつある。

時代が成熟することは、同時に人間が関わるスペースが縮小していくことを意味する。成熟期を迎えつつある時代の必然性の中で、日本の抱える苦悩は世代を問わず決して他人事ではないが、カネという力に服従する様は、終戦直後の日本をかい間見るようでもある。かってのギブミーチョコレートはいつしかギブミーマネーへと変貌し、時代の歪みはどん欲に快楽をむさぼる。

であるかどうか解らないが、時に自然とシンクロさせ心を解放させるのは心地良いもので、5月中旬に咲き乱れる近くの植物公園のバラ園は、目下密かな楽しみなのデス。花鳥風月を愛でつつ、悩めるお気楽カメ太郎は年末まで冬眠せぬように気をつけたいと思います。

2004年4月4日(SUN
ここ数年来、ほころぶ花びらのもとで過ごすひとときも、ありし日の懐かしい“香り”というより変わらない“空気”の様なものを感じます。無邪気に戯れるわが子の姿を目で追いつつ少年の心が同居したようなフシギな至福の時間・・・今年は花粉症にも悩まされず人並みな春を過ごしてマス。

さて・・・その後不思議と当欄への嬉しい反響が寄せられるにつれ、少々とまどいつつも過日サイト設立2周年を迎えたことも含め、今年初となる感謝のご報告その他を一筆したためておきマス。

3月3日『ヤマキ解体新書』設立2周年という節目を迎え、全掲載情報を再検証するには良い機会でもあり、じっくりと(ノンビリとも言うらしい)修正・加筆に取り組んでました。推測・不明な点も含め、現時点まで蓄積された情報を多角的に検証・再考し反映した内容になっている・・・かナ?

温かく応えて下さった方々のご協力や投稿情報に支えられ、何より自身が想い描いていた通りのサイト構築へと育っていく手応えは、喜びとともにささやかな自信ともなり、“NEXT STEP”への想いが更に増幅しています。

とは言え、いまだ情報構築半ばの途ゆえ、どうか忌憚ない愛のムチを当サイト宛にビシバシ入れてやっておくんなさいまし。情報音痴のお気楽カメ太郎には愛のムチが一番効果的なのデス。されど決して“M”ではないのであしからず。

電脳ワールドに足を踏み入れて早4年目ですが、情報文化が花開く昨今、様々な方々がヤマキ情報を発信するようになってきた様にも感じます。表現の目的・手段も様々でしょうが、ヤマキもようやく“自立”してきたのでしょうか?

「赤ラベル」に始まり「赤ラベル」に暮れた観のある90年代からすれば、浮き足だった流行から落ち着きを取り戻したキョウビ21世紀は、ようやく本来のアコースティック文化の知的模索が様々な形で始まりだした“証”なのかも知れませんね。

自身は、エレキ、アコースティック、どちらも同じ視点で拝見しておりますが、やや閉塞感を漂わせているエレキと比較しても、ブームは去ったとは言え未だ開拓の余地を十分感じさせるアコースティックの方が依然旬の楽器と言えるだろう。

これまでエレキギターの流行とともに音楽雑誌が多種開花してきた歴史的背景を考えると、今年あたりはどこぞのエレキ系音楽雑誌が廃刊、姿を消す日も近いような気さえしてくるだけにエレキのふんばりどころでもあるのだが、さてどうなることやら・・・。


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