ヤマキに関する様々な総体的疑問に答える質疑応答形式で、1つ1つひもときながらヤマキ像に迫ろうというものです。多角的に質問事項を想定し、興味深い事柄は随時追加していきます。

質疑応答の内容に、独断と偏見でカルト度合いを「」の5段階表記しました。「」表記の多いもの程、難度・専門度も高いといった、あくまで目安的なものです。(解答内容の不備な点は、お気づきの情報・解答等をお寄せ下されば幸いです。)

●カルトQ&A VOL.1(No.01〜)
●カルトQ&A VOL.2(No.11〜)
●カルトQ&A VOL.3(No.21〜)
●カルトQ&A VOL.5(No.41〜)
●カルトQ&A 
VOL.6(No.51〜)
●カルトQ&A VOL.7(No.61〜)
●カルトQ&A VOL.8(No.71〜)
●カルトQ&A VOL.9(No.81〜)

No.31/★★★★
アルファベットのモデル名を持たない数字のみのナンバー・シリーズに関して、その詳細を教えて下さい。


先のNo.27の質疑応答でも記載しているように、初期のヤマキ製品はすべて「F」シリーズしかなく、F-115以上がウェスタン・タイプ、F-112以下がフォーク・タイプながら特に名称・タイプ分けされていませんでした。

また、ヤマキ・フォークギターと称されていた点からも、「F」は広範囲的「フォーク」を意味していると推察され、フォークギターというカテゴリーの中の異なるボディ・サイズのモデルという捉え方をしている点や、'70年の「W」シリーズ登場期以来「F」シリーズを「フォーク・ジャンボ」と表記する点など、ヤマハの「FG」シリーズとの類似性が伺え、同時にハヤマ、ヤマキの2社以外に見られないこうしたカテゴリー分けは大変興味深いと言えるかも知れません。

さて、上記が示すように「ナンバー」シリーズは資料上存在せず、製品上存在する極めて不可思議な存在のモデルですが、「ナンバー・シリーズ」イコール「Fシリーズ」と捉えても問題ないと思われます。

ただし、'72年以降の「ナンバー」シリーズのネックブロックにはL型、「F」シリーズにはヤマキ型(※質疑応答No.18参照)が見受けられることから、明確に仕様分けする意図も十分考えられ、加えて'72年〜'75年にかけて両モデル上の情報の不一致性など検証が不十分な点からも、現時点では情報管理上便宜的に分類しています。

No.32/★★★★
初期の「W」シリーズと思われるウェスタン・モデルらしきを所有していますが、その詳細を教えて下さい。


「W」シリーズは'70年のモデル・チェンジ期にリリースされた「ウェスタン」モデルで、同時期「F」シリーズは価格帯別に「Custom」と「Deluxe」に大別され、対するように「フォーク・ジャンボ」モデルと表記されるようになりました。

初期の「W(ウェスタン)」シリーズは、W-115、W-120、W-125の3機種のみであったようですが、その後「F(フォーク・ジャンボ)」シリーズと全く同じ内容(12弦モデルも含め)まで拡張され豊富なバリエーションを展開しています。

'73年初期の資料によると、W-1150、W-1100といった最高級手工品にあたるモデルも見受けられますが、この存在が未だ確認できない点から資料上存在するモデルの可能性も含まれます。また、同時期の楽器展示会に向けて製造された一過性の製品あるいはプロト・タイプ的な存在の可能性も含まれます。

現時点ではW-50まで確認がとれている点から、同時期のフォーク・タイプと同じ(F-50まで)あるいはW-80までのシリーズとしての存在を伺わせますが、ヤマキ・ギターの中でもレアな存在となっています。

「W(ウェスタン)」シリーズは、'74年11月頃リリースされた上質なメープル材でナチュラル・ホワイトな風合いをもつ新「W」シリーズ(※「ホワイト」シリーズとも受け取れるが、後年ウェスタン・シリーズに統合されている点からも、ウェスタン・シリーズ中のバリエーションと推測)と同時期頃まで製造されており、この新「W」シリーズ(W500、W300)、そして'76年4月以降の「YW」シリーズに移行したものと思われます。

No.33/★★★
私の所有するYMシリーズのネック・グリップは三角おにぎり形のマーティン系を伺わせますが、先の質疑応答No.05からするとヤマキの製品中珍しい仕様なのでしょうか?


ヤマキのラウンドUシェイプのネック・グリップは初期から一貫した特徴でもありますが、この三角おにぎり系グリップが初めて導入されたのは、'75年にリリースされたプティ・シリーズであろうと思われます。

マーティン色を全面に打ち出したという点では、'76年4月以降の新「YM(マーティン)」モデルにも引き継がれています。

時期的にマーティンに傾倒し始めたという点では、先の質疑応答No.13も少なからず関連性があると思われます。

(※「YM」シリーズ・リリース時点では「マーティン(ドレッド)」の意味合いであったと思われるが、その後の類似的モデルのリリース以降「MAX(最高)」へと意味合いが変化したものと推測される。)

No.34/★★★
「GRAND CANYON(グランド・キャニオン)」とラベルに書かれたフォークギターを持っていますが、やはりヤマキ楽器で製作されたとする「CANYON(キャニオン)」と同じものでしょうか?


GRAND CANYON(グランド・キャニオン)」と「CANYON(キャニオン)」は名称が似ていますが、異なるメーカーのブランド製品です。(※キャニオンの正式呼称はなぜかグランド・キャニオンという。)

「グランド・キャニオン」は黒沢楽器店のオリジナル・ブランドで、長野県松本市にあった黒沢ギター松本製作所で製造されていたものです。その前身はHOTAKA(穂高)ブランドを製造していた長野楽器で、経営危機状態の同社を黒沢常三郎氏のテコ入れにより誕生したメーカーの様です。

同社オリジナル・ブランド「Jullian(ジュリアン)」がマーチン・モデルとして豊富にラインナップされていたのに対し、「グランド・キャニオン」はギャラガー・モデルという位置づけで、ウェスタン・モデルとフォーク・モデルが数種製造されていた様です。

※同じギター関連製品として1968年9月頃プリマ楽器からリリースされたギター・アンプに「Grand Canyon GA-2000」という超大型200W出力のプロフェッショナル・アンプがある。製造元は東京サウンド(株)でGUYATONEブランド製品ながらプリマ楽器仕様の製品だったようです。

No.35/★★★★
「R」シリーズの上位クラスに「R-100」がありますが、「R-1000」という謎のモデルもあるようですね。「R」シリーズを含めどういうコンセプトの製品でしょうか?


ヤマキのモデル名にあるアルファベットは、それぞれの意味合いがありますが、未だ「R」の意味するところは不明です。ただし製品をみる限りヘリンボーン、ダイヤモンド&スクエアー・インレイ仕様等からプリウォー・マーティン「D-28」をコンセプトとしながらもオリジナル性を盛り込んだ製品となっていることが伺えます。

また、同時期頃からプリウォー・マーティン仕様を取り入れた製品が数社からリリースされ始めたことも「R」シリーズ誕生の要因と考えられます。

「R」シリーズは'74年初春頃にリリースされ、当初は「R-100」「R-60」の2機種のみと思われます。この時期は3万〜5万円のミドルクラスへの需要移行期において、価格的に6万〜10万円のハイクラスとミドルクラスの中間層を狙った製品とも言えるでしょう。

「R-100」は、'75年春頃「R-1000」とモデル番号を変更している様です。加えて「R-1150」も存在しますが「R-1200」まで存在したかどうか、その他モデル構成は現時点では全く不明です。

75 楽器フェア」のダイオン出品目録に「R-1000」の記載が見受けられることから、'76年廃番になるまで踏襲されたものであると推測します。

また、別な観点として「B(バッファロー)」シリーズを全面に打ち出した『'75年新春版カタログ』が当サイトでも紹介されていますが、実はこのカタログはもう1種存在し、「BP(プティ)」シリーズを全面に打ち出した全く同じスタンスで制作されたカタログがあります。

「BP(プティ)」シリーズは'75年3月頃リリースされており、この時期に合わせて2種のカタログを同時制作&配布したと推測すれば、同時期3月頃(または4月頃)までカタログ掲載の「R-100」が存在していたとも考えられます。

No.36/★★★★
ヤマキ・ギターのトップ材響板に「えぞ松」を使用した製品と使用時期など詳細を教えて下さい。


国産の楽器用響板として北海道産の「あか(えぞ)まつ」が良いというのは、楽器関連の木取り・合板業界では古くからの定説で、それだけにギターの需要が著しく伸びた戦後期当たりから既にギター用響板として単板、合板を問わず使用されていたと思われます。

ただし、それらの多くは「あか(えぞ)まつ」であっても輸入材と同じ「スプルース」とカタログ表記され国産材と輸入材との境界線が曖昧であったように思います。その主な理由としては、ギター用響板としての「スプルース」材を使用してきた長い歴史を含めた販売上のメリットを考慮しての対応であったと推測します。

'76年の諏訪楽器産業史に関する資料中、当初は「えぞ松」を使用していたとあり、最近では輸入材を使用しているとの上記を裏付ける記載も見受けられます。

日本において「えぞ松」「エゾ松」「エゾマツ」といった蝦夷松(yezo spruce)表記を謳ったのは、おそらくヤマハのクラシックギターが最初であろうと思われます。(※'74年6月1日リリースの新・手工「GCシリーズ」)以降ヤマハ・フォークギター(Lシリーズ)に受け継がれ、ギター製造界に多大な影響力をもつヤマハのこうした対応の変化をキッカケに、国産・蝦夷松(yezo spruce)を使用し表記・表明するメーカーが増えたのではないかと推測します。

ヤマキ・ギターにおいては、単板仕様に限りカタログ上「スプルース」表記を始めた'72年頃以降の製品がイコール「蝦夷松」との判断は難しいです。ただし、同製品と思われる「Fシリーズ」「ナンバー・シリーズ」単板仕様に「蝦夷松」と「スプルース」を仕様分けしている可能性が含まれるかも知れません。

資料上、初めて「えぞ松」表記が登場するのは、当サイトでもお馴染み'74年末にリリースされた「W-500」の「新・W(ウェスタン)シリーズ」ですが、ヤマキ・カタログ上は何故か「ソリッド・スプルース」になっています。

この事を含め推測するに、'74年の製品「H(ハミングバード)シリーズ」「G(ギャラガー)シリーズ」「Rシリーズ」「B(バッファロー)シリーズ」には、意図的にサウンド・バリエーションを持たせる意味で国産「えぞ松」と輸入材「スプルース」を仕様分けしている可能性が含まれると推測します。

ただし同時期すでに蝦夷松の乱獲伐採が進み、質のよい材を確保するのは金銭的意味合いを含め困難であったことを考慮すると、なぜ輸入材スプルースから蝦夷松の使用に各社踏み出したのか不明です。

考えられることとして、'73年10月の(第一次)オイル・ショック以降の輸入木材の高騰が考えられます。(※既に'70年以降から木材の高騰が著しくなってきていた様です。)投機的輸入制限をおこない木材価格をつり上げるなどの関連商社等の対応も含め、供給不安定で割高な国産材さえも見直される時期であったと言えるのかも知れません。

No.37/★★★
1976年4月に大々的なモデル・チェンジをした・・・とありますが、具体的にどのようなことでしょうか?


このモデル・チェンジは、操業から満10年目という節目を迎えたヤマキのかつてない大がかりなものでした。

この企画・運営には企画会社を交え尽力したダイオンとそれに相応しい新製品で応えたヤマキによる両社の自信の一端を伺わせるほど「Get in folk YAMAKI」を合い言葉に、音楽雑誌を筆頭にマスコミ媒体による宣伝、DM、販促ポスターなどに加え、イメージ・キャラクターとして河島英五(?)氏を起用する等かつてないキャンペーンを繰り広げています。

この際に使用が始まった新・ロゴマークやシンボル・マーク等は、大阪の制作会社に依頼し幾つかの制作見本の中からチョイスされたものです。

一方のヤマキ楽器でも'76年を前後して加工部門の設備投資を行っており、そうした効果からか新機種の材質・装飾には上級ランクのものを使用し品質を20%UPさせるのに成功し、構造面でも優れたオリジナル性を備えています。

ヤマキ製品のコスト・パフォーマンスの素晴らしさは評判の高いところですが、一口に20%UPというのは木材価格や人件費の高騰が叫ばれる最中、並大抵の企業努力では為し得ない驚異的数字だけに、常々優れたアイデアとともに工作機械を作り出す寺平安幸氏率いるヤマキ楽器の機械合理化が功を奏した結果なのかも知れません。

No.38/★★★★
1976年の新YM・YWシリーズのカタログ資料中、6万円以上の中〜高級ギターのすべてのネック材仕様に「セドロまたはマホガニー」と記載されています。この「セドロ」とはヤマキ製品のみならず他社製品仕様でも聞き慣れない材ですが、どういった木材でしょうか?


「セドロ」とはマホガニーに代わる木材として主にネック材としてスペインの高名な工房や一部の手工製作家などにより使われ出した外洋材で、当時スペインからアルゼンチンに移住したホセ・ヤコピも使用し始めています。

日本では「ホセ・ヤコピ」モデルとして黒沢楽器店オリジナル・ブランド「F.HIMENES(ヒメネス)」が1974年リリースされてます。どうやらホセ・ヤコピを通じて黒沢常三郎氏が「セドロ」に注目し、ギター用材として広く国内製造メーカー向けに頒布する目的を兼ねてヒメネス・ブランドのリリースと併せ輸入販売を始めた木材の様です。当然ながら同社ブランドの「Jullian(ジュリアン)」製品にも使用されています。(※黒沢楽器店はホセ・ヤコピの日本総代理店にもなっている。)

初回の入荷期である1974年半ばごろには主に頒布目的と推測されますが、中出、河野といった手工製作家や松岡楽器(松岡良治)製造によるクラシック&ウェスタン・ギターの一部にわずかにセドロをネックに使用した製品が見受けられます。
※1973年の東海楽器製造の手工クラスのクラシックギターにセドロ(セドル)が使用されていますが、黒沢楽器店の輸入材との関係は不明です。関与するのであれば1973年中〜後期に初期入荷されていることになります。

第2回目の入荷期である1975年9月末以降は、一定の需要量を見込める製造メーカーは松岡楽器とごく一部の手工製作家のみで、他の製造メーカーからセドロをネック材に使用した製品は出ておらず、日本国内ではマホガニーに代わる高級ネック材としては定着しなかった様です。

上記から推測すると、黒沢常三郎氏と寺平太一氏とはダイオン製品を通じて接点があるので、こうした経由でヤマキ楽器の寺平一幸氏に「セドロ」材のオファーがあったのかも知れません。

翌1976年4月にリリースされた新YW・YMシリーズの6万円以上の製品にはカタログ上ネック材としてマホガニーと併せ「セドロ」が記載されていますが、実際にどの程度使用されているのか不明です。

また、1977年新春にリリースされた新・YDシリーズには既にネック材としてセドロが記載されておらず、黒沢常三郎氏の思惑とはうらはらに黒沢楽器店ブランドおよび松岡楽器製品以外には主だって使用されることのなかった悲運な外洋材の様です。

No.39/★★★★
大阪・ワルツ堂のショップ・オリジナルとしてのヤマキ・ギター(Special、Custom)がありますが、開発経緯その他、当モデルの詳細を教えて下さい。


本店を大阪・浪速区河原町にもつワルツ堂は阪神間に当時15店舗をもつレコード・楽器の量販店であり、ワルツ堂オリジナルとして開発された上記ヤマキ・ギター(Special、Custom)2機種は阪神間のワルツ堂でのみ販売されていた限定モデルです。当然ながらダイオンのカタログには未掲載製品です。

値引き競争を避ける意味でも他店にないオリジナル・モデルを奨めに来ていたダイオンと意気投合し開発話がまとまって以来、ワルツ堂の細見、道場、森、砂の4氏へのヤマキ楽器でのギター製作研修とともに開発の方向性が検討され、以来8ヶ月もの期間を要して1977年10〜11月頃に発売されたものです。ヤマキSpecialは販売価格3万円、ヤマキCustomは5万円。(共にケース別)

発売時期から推測すれば、10月開催された「'77楽器フェア」にブースを構えて初参加したヤマキ楽器ですので、フェア期間中にヤマキ楽器ブースで展示出品されていた可能性が含まれます。また、開発に8ヶ月を要したというよりも、2年に1度の絶好の宣伝の場として楽器フェア期間をターゲットにリリースされたという見方のほうが的を得ていると言えるかも知れません。

このオリジナル・モデルは、共に締まった重厚味とパワーを感じさせるサウンドを出す為に、ミディアム・ゲージを張ることを前提とし、ミディアムの張力に耐えるように設計されています。そのため、ネック裏にアルミサッシ(Specialは1本、Customは2本)を入れ、力木の構造はパワーあるサウンドを出すために新設計し、同様にブリッジ・ピンは斜めに打ち込まれてます。

ヤマキCustomでは、ヘッド裏側に高級ギター向けのダイヤモンド・ボリュート加工が加えられ、両モデル共あきらかに1ランク上に匹敵する仕上がりを見せています。年間1,300本を越す契約量と言われるだけに、ヤマキ楽器としても相応のコスト・パフォーマンスが実現可能だったのでしょうか。

阪神地区のワルツ堂限定商品であるだけに他府県ではお目にかかれないヤマキ・ギターであり、ミディアム・ゲージを張らない限りそのパフォーマンスを引き出すのは難しい素性のギターと言えそうです。

No.40/★★★★★
ヤマキ・ブランド製品がヤマキ楽器のみならず信濃楽器でも製造されている旨が当サイトで説明されていますが、解る範囲でその詳細を教えて下さい。


同じブランドを数社で分業するという製造スタンスは、ヤマキ・ブランドのみならず他社ブランドでも行われており、ある特定の価格帯を境に(商品価格帯別に)製造メーカーを分けているのも共通しています。

その代表的一例としてはモーリス・ブランドが有名なところで、ご説明の余地もないことでしょう。他方、東海楽器キャッツアイ・ブランド製造に関する辰野全音(全音ギターの下請け工場)の関与例などを含め、同様の未公表関与例がいまだ多数存在しているのも事実です。

ヤマキ・ブランドあるいはヤマキ関連OEM製品に関しては、ヤマキ楽器と信濃楽器で製造していたのは事実です。ヤマキ楽器の社歴からも信濃楽器のダイオン傘下のファミリー企業性は伺い知れると思います。ヤマキ楽器社長・寺平一幸氏も同社役員を務め、また品質向上の要としての同社・寺平俊二郎氏の存在も大きく、様々な点からその必然性は十分にあったと言えるでしょう。

かつて同質問内容に対してのヤマキ楽器からの回答は“後にヤマキ・フォークギターをOEM製造した”というのもので残念ながらその詳細には至っておりませんので下記内容の多くは推測となります。

1968年、ヤマキ楽器のフォークギター製造とほぼ同時期頃から信濃楽器によるヤマキ関連製品(HamoxForksFolex等)のOEM製造が始まっていた様で、その一例として信濃楽器製Hamox(ハモックス)フォークギターNo.110が挙げられますが、詳細までは不明です。

1976年頃の時点で、3万5千円以上の製品をヤマキ楽器で製造、未満を信濃楽器で製造していた旨の記載が見受けられます。この意味合いは『トップ単板仕様以上の製品をヤマキ楽器で製造していた』ことに対し『トップ合板仕様の製品は信濃楽器でOEM製造していた』という推測が可能です。

また、信濃楽器がヤマキ・フォークギターの製造に参画したのは1972年からとする資料も見受けられることから、総合するとトップ単板・合板仕様をひとつの分岐点として'72年頃から信濃楽器によるヤマキ・フォークギターの製造が始動されたものと思われます。'71年頃の都市部楽器店ではガット&クラシックギター対フォーク&ウェスタンギターの需要比率が逆転するといった需要推移の変化等を考慮すれば、'72年をこうした変革期の一つと捉えることが可能かも知れません。

'72年以前のヤマキ関連製品に関しては、信濃楽器でOEM製造されていた一例を挙げながら、その他詳細な実体までは残念ながら不明ですが、寺平氏考案の製造工作機械から製造法等が絶えず信濃楽器にフィードバックされ両社とも緊密な製造環境を共有していればこそ、何ら変わらぬ製品としてダイオンに供給可能だったのでしょう。


●カルトQ&A VOL.1(No.01〜)
●カルトQ&A VOL.2(No.11〜)
●カルトQ&A VOL.3(No.21〜)
●カルトQ&A VOL.5(No.41〜)

●カルトQ&A VOL.6(No.51〜)
●カルトQ&A VOL.7(No.61〜)
●カルトQ&A VOL.8(No.71〜)
●カルトQ&A VOL.9(No.81〜)


 
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送