ヤマキに関する様々な総体的疑問に答える質疑応答形式で、1つ1つひもときながらヤマキ像に迫ろうというものです。多角的に質問事項を想定し、興味深い事柄は随時追加していきます。

質疑応答の内容に、独断と偏見でカルト度合いを「」の5段階表記しました。「」表記の多いもの程、難度・専門度も高いといった、あくまで目安的なものです。(解答内容の不備な点は、お気づきの情報・解答等をお寄せ下されば幸いです。)

●カルトQ&A VOL.1(No.01〜)
●カルトQ&A VOL.2(No.11〜)
●カルトQ&A VOL.3(No.21〜)
●カルトQ&A 
VOL.4(No.31〜)
●カルトQ&A 
VOL.5(No.41〜
●カルトQ&A VOL.6(No.51〜)
●カルトQ&A VOL.7(No.61〜)
●カルトQ&A VOL.8(No.71〜)

No.81/★★★
質疑応答のNo.79で、「ヤマキ」命名の由来に武田信玄の号「機山(キザン)」が関係しているとありますが、一方でヤマハに関係させているという見方はないのでしょうか?


「ヤマキ(山幾)」命名の由来が武田信玄の号「機山(キザン)」に関係するのかどうかは、あくまで現時点では管理者の推測に過ぎません。

創業者の寺平一幸氏に宛てた初回限りの質問では詳細に内容が踏み込めておらず、「ヤマキ(山幾)」命名由来に関する回答内容にも武田信玄との関係は一切触れられていませんので、正確には武田信玄の号との関連性は“未確認”です。

「ヤマハ(山葉)」との関係で言えば、「ヤマキ(山幾)」はかなり意識せざるを得ないブランドを選択したと言えるように、大胆かつ意図的にヤマハの欧文ロゴとは異なるロゴ・デザインを選択しています。

ヤマハが“ゴシック系直線型”であれば、ヤマキは“明朝系筆文字型”という様に、その傾向はヤマキ初期には顕著ながらも、明朝系はブランド・ロゴとして印象が弱いためか、徐々にゴシック系に移行していく傾向にあります。

1970年代初期と中期に二度に渡る新たなCI戦略によりヤマハ系ブロック体に近づきつつ差別化・区別化を意図してはいるものの、それらは結果的には「ヤマハ(山葉)」と類似したブランディングの結果と言わざるを得ず、そこにヤマハと関わる動機や意図があったかどうかに関しての質問事項には、“ない”と記されています。

No.82/★★★★
ヤマキのネックブロックで独自形状の梁型ブロック導入の意図として、トラスロッドをボディ側から調整する新機能導入に伴い考案&導入されたものなのでしょうか?


ヤマキの梁型ネックブロックに関しては質疑応答No.71でも少し触れていますが、梁型ネックブロックと新トラスロッドのそれぞれの導入時期は異なります。

まず、1972年頃に梁型ネックブロックが導入されています。すでに導入済みL型ネックブロックの改良型として導入され、ネック起きに伴うボディ側ネック周辺やダボ・ジョイントの補強のためと思われます。

この後、1973年頃にトラスロッドをボディ側から調整する新機能を導入しているため時系列がわずかに異なります。

この際“ヤマキ・ギターの特徴としての新アジャスターにより、特に12フレットから18フレットあたりの調整には効果が発揮できる”とされていますので、梁型ネックブロックに加えより強力な調整機能も兼ね備えたと言えるのではないでしょうか。

No.83/★★★★
ヤマキのアメリカ向け輸出品とおもわれる「MANA(マナ)」という12弦ギターを入手しました。解る範囲で詳細を教えて下さい。


MANA(マナ)ブランドのヤマキ・ギターは検体が少ないながらも数台確認されており、その仕様から“1972年製”のみとなっています。

また、型番はヤマキ製品をそのまま踏襲しているか型番の最初に「M」が付加されるだけなので、おそらくヤマキ社内でラベリングされ出荷されたものと思われ、型番から仕様も解りやすくなっています。

おそらくダイオンの寺平太一氏が1972年に積極的にアメリカのギター・マーケット開拓に尽力した成果の一つであろうと思われ、翌1973年よりダイオン取扱いの新商品となったアメリカ製「Harptone(ハープトーン)」ギターも同様の成果の一環です。

輸出向けMANA(マナ)のブランド・ラベルを掲載致しますので、興味ある方はラベルの詳細から検索してみる事でより詳細な情報が解るかも知れません。



No.84/★★★
ヤマキ楽器の製品販売元であるDAION(ダイオン)は、1984年7月倒産との事ですが、その後どのようになったのか判る範囲で教えて下さい。


1984年7月にDAION(ダイオン)が倒産に至った経緯は正確には不明ですが、それまでのYAMAKI(ヤマキ)ブランドから新たなCI戦略となったDAION(ダイオン)ブランドの展開が振るわなかった事と、アコースティックギターの国内出荷および輸出が急速に落ち込む中、エレキギターを中心とした新たな音響製品(PA)の開拓需要が増していた時代背景が考慮されます。

こうした状況下、DAION(ダイオン)を整理・解散し、新たな需要としての海外ブランド・PIAVEY(ピービー)製品へシフトするために必要な計画的倒産であった様に思われます。

既にヤマキ楽器との製品販売関係に終止符が打たれ、次なる展開としてDAION(ダイオン)倒産と入れ替わる様に、1984年7月に社長・寺平太一氏は、改名前の寺平安幸氏としてピービー・ジャパン(株)を設立し、日本総代理店としてピービー製品へ完全シフトしました。

その際、ピービー・ジャパン(株)の東京営業所となったのが、後のSTK(エス・ティ・ケー)で、1990年9月からわずか数年ながらピービー製品の日本総代理店を引き継いだようです。

また、1996年3月頃、STK(エス・ティ・ケー)がYAMAKI(ヤマキ)ギターを復活販売させた事は、質疑応答No.11で解答済みです。

ピービー・ジャパン(株)は、翌1985年12月に日本音響(株)に社名変更し、DAION(ダイオン)以来の社長・寺平安幸氏、貿易・寺平博次氏(子息)体制も1990年頃には新体制へと組織改編された様です。

No.85/★★★★★
ヤマキ楽器の製品カタログ(1976年〜1978年)表紙をかざる人物が河島英五氏?とありますが、その後の正確な情報はないのでしょうか?

ダイオン関係者との接点もないまま未確認の現状です。また、管理者側のウィークポイントながら、河島英五氏を含め当時のフォーク界への知識が極端に乏しいため、確証らしきもない状況です。

河島英五氏ではないか、とする当サイトへ寄せられた情報に「?」マーク付きで記載している状況に現状変わりはありません。

管理者自身が改めて河島英五氏をネット検索した印象ですが、別人では?とした印象とともに、撮影用モデルかダイオン関係者、あるいは当時のハードロック系の人物を起用したのではないかという推測もありますが、それ以上に確証に至る情報が未だない事自体もなにか不思議な気が致します。

No.86/★★★★
質疑応答No.53でヤマキ or ダイオン・ブランドを製造していたヤマキ楽器以外のエレキギター・メーカーのその後の詳細を教えて下さい。


かって寄せられました伊藤秀彦氏の「塩尻と松本の中間位の所にエレキ専門の工場があった」という回答から対象はかなり絞られると思います。

「そちらの工場での製造依存度も比較的高かった」という点で、断定は出来ませんが、「内山製作所」であろうと推測しています。

「このエレキ専門工場も後に火災で消失してしまった」との事で、つまりはこの内山製作所火災の後、当時の職人だったメンバーにより再興されたのが「●●●ギター」と思われます。(※未公開情報のため伏せ字と致します)

時代的背景によりギター産業の斜陽期には、計画倒産、保険金目当ての計画火災(※一般報道では不審火)などが無かったとは言い難い事例が散見されますが、上記回答がそうであったという事ではありませんので、当時の工場関係者に改めて当時の状況を確認するのも、ギター産業を知る上においても重要な事かも知れません。

No.87/★★★
ヤマキ・ギターの1971年頃までのナット仕様は、通常の仕様と異なり独特です。ローズウッド指板先端の上に乗る仕様で、フェンダーっぽい仕様ですが、何かの影響なのでしょうか?


仕様から伺うかぎり、エレキギターの「Mosriteモズライト)」の影響と言えます。ただし、モズライト・ギター(アコースティックも含む)では、金属製ナット仕様です。

おそらくは、ヤマキ以前の全音ギター製作所時代に、「Moralesモラレス)」ブランドのモズライト・エレキギターのコピー商品は人気を博したギターだった事もあり、そうした影響と思われます。

ヤマキ初期製品からフォーク&ウェスタン・ギターでは、モズライト同様の「金属ナット」+「0フレット」というセット仕様で、中級以上の手工製品では金属ではなく牛骨ナットと材質を異にしますが、1972年頃から一般的な仕様に変更されました。

仕様変更の理由は不明ですが、同時期頃からギブソンやマーティンの純粋なコピー商品の台頭が目覚ましく、従来の自社オリジナル路線からエレキギターを含めコピー商品路線へと変貌する影響が製品仕様にも影響したのかも知れません。

また、1972年は、ヤマキ楽器にとってダイオンの寺平太一氏の訪米による営業活動により、ヤマキ・ギターの輸出が従来以上に大きく躍進し始める分岐年でもあり、ダイオン主導のもと広くギター・マーケットを調査した上での仕様変更なのかも知れません。

No.88/★★★★
「Daniels(ダニエル)というヤマキ製と思われるフォークギターを入手しましたが、わかる範囲で詳細を教えて下さい。」


仕様詳細から伺う限り、1974年〜1975年頃にスポット的に輸出されたモデルの様で、かなり珍しい製品と思われます。管理者自身も初めて拝見する検体です。

外観から察すると中級クラスに満たない価格帯のモデルですので、ヤマキ楽器ではなく信濃楽器で製造していた可能性が高そうですが、断定は出来ません。関連する情報が他に見当たらないだけに不思議なモデルです。

No.89/★★★★★
質疑応答No.71で、ヤマキ・ギターの「梁型ネックブロック」は、田原良平氏のジャンボ・ブランドで導入したネックブロックと類型と述べていますが、影響を受けたということでしょうか?


フォーク&ウェスタン・ギターの分野では、モーリス・ブランドを担う吉野楽器の代表取締以来、需要を開拓して来られた製造分野の先駆者でもある田原良平氏のネックブロック仕様ですので、恐らくは意識することはあったと思います。

仕様も積層式ブロック材ですので、かなり独特な特殊構造という点でも刺激材料になったのではないでしょうか。興味深い事に、最初期ヤマキのネックヒール部、つまりネックブロックとは対面する部分に積層構造を導入しています。

寺平ヤマキと田原ジャンボのネックブロックの形状の仕様の違いは、ボディからどう鳴りを引き出すかの設計構造の違いでもあり、マーティンにおもねる当時の風潮からすれば、むしろ田原ジャンボの方が特殊な設計思想と言えるかも知れません。

質量の大きなネックブロックは高次倍音の微振動を吸収する傾向から、田原ジャンボのネックブロックにはネガティブかつ単調な考察を持たれがちですが、実物を通じてその設計思想を理解すれば、むしろポジティブな要素であることが理解できます。

おそらくは即戦力型が田原ジャンボで、熟成進化型が寺平ヤマキ、それに伴うネックブロックの形状・仕様の違いであり、当時から主流となる指向性は圧倒的に寺平ヤマキ、つまりは熟成進化型という事を踏まえると、広い意味では類似形ながら、厳密には似て非なりという事でしょう。

No.90/★★★
珍しい型番と思われるOOOタイプの「No.18」というヤマキ・ギターをネット・オークションで見ましたが、解る範囲で詳細を教えて下さい。


該当のヤマキ・ギターは、1972年7月頃から新たな型番として始まったもので、OOOの小振りなフォーク・タイプに特化して分類する意味で「2桁」型番があてがわれた様です。

それまでは全て「3桁」で表記しており、初期には「F-112(NO.112)」までを小振りなフォーク・タイプ、「F-115(NO.115)」以降を大型のフォーク・ジャンボ・タイプに分けていました。

しかし、型番がそのまま販売価格設定にもなっていたため、早くも1970年からは販売価格の変動により、その線引きが変わり、やや矛盾が生じ始めていますので、より広範囲な製品価格のギター需要に併せて型番設定を整理されたのだと思います。

「Deluxe」「Custom」とランク分けされていた時期ですので、ラベル内には「NO.●●」と表記されています。製品目録上は「F●●」となっていますが同じものです。

製品目録上の最初期は「F10」「F12」「F15」「F18」「F20」まであります。約一年後の1973年6月末には「F13」から「F50」まで、トップ単板の中級種が増えています。

1974年頃からのラベルには「NO.F●●」と「F」が加わりますが、基本同じものです。


●カルトQ&A VOL.1(No.01〜)
●カルトQ&A VOL.2(No.11〜)
●カルトQ&A VOL.3(No.21〜)
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VOL.4(No.31〜)
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●カルトQ&A VOL.7(No.61〜)
●カルトQ&A VOL.8(No.71〜)


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