ヤマキに関する様々な総体的疑問に答える質疑応答形式で、1つ1つひもときながらヤマキ像に迫ろうというものです。多角的に質問事項を想定し、興味深い事柄は随時追加していきます。

質疑応答の内容に、独断と偏見でカルト度合いを「」の5段階表記しました。「」表記の多いもの程、難度・専門度も高いといった、あくまで目安的なものです。(解答内容の不備な点は、お気づきの情報・解答等をお寄せ下されば幸いです。)

●カルトQ&A VOL.1(No.01〜)
●カルトQ&A VOL.2(No.11〜)
●カルトQ&A VOL.4(No.31〜)
●カルトQ&A VOL.5(No.41〜)
●カルトQ&A 
VOL.6(No.51〜)
●カルトQ&A VOL.7(No.61〜)
●カルトQ&A VOL.8(No.71〜)
●カルトQ&A VOL.9(No.81〜)

No.21/★★★★
数点ながらカタログを拝見する限りでは、ネックの仕込み法が解るような記述ないし関連写真が見当たりませんが、やはりダブテイルジョイントなのでしょうか?


まず最初に触れておきたい点として、国産フォークギター・メーカーのほとんどの前身は、ガットギター・メーカーであるという事です。

そのガットギターのネックの仕込み法は3パターンあり、量産には向かない「スペイン式」、量産には最適なドイツ式「ダボ接ぎ」、両者中間的な「蟻(あい)溝接ぎ」があり、「蟻溝接ぎ」は「ダブテイルジョイント」と言えばお分かりになるでしょう。

この内の蟻溝接ぎとダボ接ぎが後年の国産フォーク産業で取り入られている方式で、わが国ではマーティンを研究することから製造が始まった過程上、マーティンと同じ方式としての蟻溝接ぎを採用するメーカーもあればダボ接ぎを採用するメーカーもあり、その詳細については当時のカタログ等からしか判断する材料がないのが事実です。

「ダボ接ぎ」は、点と点との接合面から、より正確な加工を必要とします。「蟻溝接ぎ」は、微調整分を含めダボほどの正確性よりも加工および仕込み方に熟練を要します。と言っても、コンピュータ制御による加工法も進んでいる現在ではやや旧式の説明かも知れません。

さて、カタログ上では蟻溝接ぎに関しては、その説明と共に採用写真を掲載しているメーカー、説明はなくても掲載写真から蟻溝接ぎとハッキリと判るメーカーの2パターンがある様に感じます。しかし、ダボ接ぎに関しては採用されながらもある種量産規格という負い目からか、あるいはマーティンの仕様に準拠していないと言った販売戦略的の弱みからか、カタログ上で謳うことはないようです。

国産フォークギターに於いてはダボ接ぎのものも決して少なくない様に思われますが、現状では指板をはがす様な機会がない限り判断は難しい様です。

ヤマキですが、わずかなカタログ上からも、蟻溝接ぎを伺わせるものは見当たりません。ダボ接ぎを採用しています。寺平氏がヤマキ楽器を操業するに当たり、それまでの蟻溝接ぎに代わるネック・ジョイント法として発案され初めて導入されたジョイント工法で、

A)センターを正しく通す
B)弦高を正しく維持する為のジョイント角度を正確に保つ
C)十分な強度保つ

これら3要素を正確に、より強く、より早く接合する為に考案されたものです。余計な蛇足としては、操業当時十分なスタッフがいなかったことも挙げられる様です。工作機械の設計・製造を得意とした氏が設計された専用工作機械により、ボディとネックを同時にダボ加工する事により正確無比なジョイントを可能にしている様です。

ダボ継ぎによるネックジョイント工法は、ヤマキ楽器が導入した技術として業界でも広く認知され、その後の製造メーカーにも影響を与え採用されています。

※ダボ継ぎによるネックジョイント工法は、上記業界内の認知とは別に、芳野楽器製造(ヤマキより数ヶ月創業が早い)の初期のモーリス・ギターにも導入されていた旨が『JAPAN VINTAGE acoustic VL.2』に記載されており、ヤマキあるいは寺平氏が「初めて」導入したかどうか現状では不明です。

No.22/★★
ヤマキ製品は、東京と大阪を比較すると、はるかに大阪および関西方面に分布している様に感じます。こと大阪ではヤマキ製品の中古物件は実に豊富ですが、どうした理由によるものでしょうか?


ヤマキ楽器の販売会社であるダイオンは基盤となる本社が大阪にあり、関東と関西に対するウエイトが著しく異なっていた様です。

ダイオンは、'67年6月頃に業務拡大と一層の発展を図るため大幅な組織改正を行っています。それまでの「弦楽器のダイオン」から「総合楽器卸商」として、多種多様な楽器取扱業へと刷新を図った様です。以下はその際の刷新人事の内訳で、ご質問の答えが伺えると思います。

営業部第一販売係長・大阪府下担当-1名。
同・大阪府南部担当-1名。
同・大阪府北部担当-2名。
営業部第二販売係長・地方全域担当、四国近畿地方兼務-1名。
同・中国九州地方担当、兵庫県兼務-1名。
同・京都府兵庫県担当-1名。
業務部商品課係長・仕入、商品担当-1名。
同・係長補佐-1名。

同年9月22日には、会長の栗林国雄氏の尽力のもとダイオンの東京支店(通称:東京ダイオン)が開設した様です。しかし、翌'68年2月1日、栗林氏が会長職の勇退とともに栗林楽器株式会社を大阪に設立。これにともない東京ダイオンは推進力を失い、同年4月には閉鎖決定と入れ代わり「たむら手工ギター(田村廣・作)」の販売会社、株式会社たむら楽器が新設され、同社は山幾(ヤマキ)クラシックギターの東日本総販売元となった様です。

この後ダイオンはヤマキ・フォークギター、信濃ガットギターをベースに業績を上げ、'71年5月、再び東京ダイオン(目黒区下目黒2-19-17)新設の運びとなり、6月1日より開業した様です。

No.23/★★★
ヤマキ以外にも国産0フレット仕様のフォーク・ギターってあるんでしょうか?


はい、あります。ヤマキでは創業の'67年から'73年頃までの仕様として0フレットが使用されていましたが、同時期のフォーク・ギター黎明期には他のメーカーでも取り入れている仕様です。

0フレット自体は、ドイツが発祥の地とされ特にハーマン・ハウザー(1882-1952)のクラシック・ギターがそのルーツとされています。かの名演奏家アンドレ・セゴヴィア(1837-1987)が1930年代末より愛用した楽器としても有名な様です。

1929年10月来日したセゴヴィアの演奏会(この来日時はラミレスを使用)がギター普及のきっかけとなったことを踏まえれば、需要が生じ始めた1930年代頃そうした仕様のギターが日本ににわかに輸入されコピーされることで生ギターと呼ばれるガット・ギターや鉄線ギターあるいはピック・ギター等に取り入れられた仕様と思われます。質疑応答No.01にある1937年導入された楽器物品税もそうした状況を物語るのものかも知れません。

ところがこの0フレットもいつしか次第に標準装備されなくなり、突如として1965年に復活します。時はまさにエレキ・ギター・ブーム全盛期ですね。このキッカケを作ったのが、他でもない寺内タケシです。

彼がヤマハのエレキ・ギター開発のアドバイザーとなり、のちにブルージーンズ・カスタムが製造されたのは有名なお話しですが、実はこのエレキ開発時期のヤマハは、生産が追いつかないグヤトーンに代わり一部のモデルの木部加工生産を行っています。つまり寺内タケシの意図を反映させたヤマハ製造のグヤトーンOEMモデルから0フレット仕様は突然復活することとなります。

業界に0フレットの新たな流れを決定ずけたのは、間違いなく寺内タケシと後のヤマハであったと思われます。製品としてはグヤトーンが先んじた格好です。こだわりの原点は、モズライト・ギターの影響であったことからも、ヤマキにおいてはNo.04の質疑応答とも連鎖しています。その後の国産エレキ・ギターは、ほぼ0フレット一色となり、フォーク・ギターにも波及したものと思われます。ダテに寺内タケシはエレキ・ギターの神様ではなく、当時はほんとうに神様だったんでしょうね!

ところが面白い事にヤマハは、フォーク・ギターでは肝心の0フレットを当初から導入していません。神様の言うことは必ずしも絶対ではなかったようです。また、当時の輸出専用モデル等では0フレット仕様が極端に見られないことからも日本独自の流行仕様だったと言えるのかも知れません。

No.24/★★★★
ヤマキにはバッファロー・シリーズで米ハープ・トーン社のコビー製品を展開していますが、当時こうしたコピー製品を国内製造・販売する上で問題はなかったのでしょうか?


アメリカでは、デザイン(意匠)はパテント(特許)として日本以上に長きに渡り工業権を保護されます。ハープ・トーン社がパテントを取得していたとしても、時代的背景として、そうしたコピー製品がアメリカ向けに輸出されることがなければ問題はなかったと思われます。

ご質問のバッファロー・シリーズですが、当時日本国内でコピー製造・販売が可能であった理由には、提携料の代わりにオリジナル製品を一定量販売する(=買い取る)といった提携関係がある様に推測します。この背景には日本製のギターの質・量の両面での向上に伴うアメリカンマーケットでの著しい普及による影響も考えられます。

本来の高額な提携料に代わり、販売代理店的に一定量のオリジナル製品を日本国内向けに販売する(結果的には買い取るようなもの?)条件下に、ある程度の制約をもうけコピー製品の国内製造・販売を許可していたのであろうと思われ、当然ながらコピー製品のアメリカ向け輸出は不可能であったと思われます。(※米モズライト社は日本製モズライト製品に対しパテント使用料を課しており、ファーストマン倒産原因の一説にも挙げられている。)

こうした事例は、比較的新興メーカーで見受けられる様で、米モズライト社とファーストマン楽器、今回の米ハープトーン社とダイオン(製造元としてのヤマキ楽器)も同様であろうと思われ、比較的新興メーカーにとっては(コピー模造品をくい止めると言うより)マーケットへの普及促進こそが生命線ともいえ、米国内において不利益にならず、かつオリジナル製品が日本向けに契約数量輸出される事による利益を優先させた結果なのでしょうか?

米ハープトーン社ですが・・・創立は古く1893年、楽器ケースとアクセサリーの製造工場として誕生し、1920年代にはギター、バンジョーの製造を始めており、第二次世界大戦中には楽器製造を一時中止しながらも、1966年には楽器製造を再開しています。

1970年代に入りNAMMショーにも出品されるようになり、日本にもダイオンを通じて僅かに紹介されながら、寺平太一社長が訪米の際にニュージャージー州ニューアークにある同社を訪ね、日本総代理店契約を正式に取り交わしたことで、1973年3月頃からダイオン取扱商品として米ハープトーン社の各種オリジナル・モデルが一斉に発売開始されました。

ヤマキのハープトーン・モデルと目されるバッファロー・シリーズは、オリジナルの米ハープトーン社の製品とデザイン(意匠)は似ていますが、特徴だったメカニカル的要素(ダブル・トラスロッド仕様のネック、ブレース・バー(力木)のないアーチド・バック加工、等々)は導入していませんので、そうした構造的制約下でのみ国内製造・販売が可能だったのかも知れません。

No.25/★★★★
ヤマキ楽器が総単板製のフォークギターを製造したのはいつ頃からでしょうか?


1960年代のモデル仕様に関しては、詳細な資料が存在しないこともあり確定が極めて困難です。一つの推測として'69年初頭頃のヤマキ「F-150」(定価5万円)およびOEM製造していた栗林楽器のFolks(フォークス)「F-500」(定価5万円)が挙げられます。セミ・オーダー的かもしれませんがフォークスの8万円の製品(F-800かどうかは不明)もその候補に挙げられるかも知れません。

現時点で仕様詳細が判明しているものは、'71年新春にリリースされたヤマキF-185(定価85,000円/サイド&バックがローズウッド単板)等が挙げられますが、「185」が示すように「180」のマイナー・チェンジと捉えれば、それ以前からの相応のモデル・リリースも推測可能ながら、同時期以前にF-180(あるいはF-170、F-160)の存在を示す資料等はまだ見つかっておりません。

No.26/★★★
表甲板(TOP)が杉(シダー)単板の古いヤマキ・ギターを所有していますが、珍しい仕様なのでしょうか?


さほど珍しい仕様ではありません。ヤマキは'72年頃までTOP単板モデルは総て杉(シダー)仕様でした。TOP合板モデルに限りスプルース仕様だった様です。

栗林楽器へOEM生産されていたFolks(フォークス)のTOP単板モデル(外見上ヤマキと同一物)ではスプルース材が使用されていることから、意図的に異なる仕様にしていたものと推測します。

TOP単板材にスプルースを使用し始めたヤマキ・モデルは、'72年頃の高級手工品のリリースを含めたマイナー・チェンジ期からであろうと思われ、この時期以降TOP単板モデルにはスプルースが明記されています。

ただし杉(シダー)単板仕様が打ち切られた訳ではなく、F-135などに意図的に使用されている点からもヤマキなりのお気に入りの材であったと思われます。

この後'74年頃から一部モデルにより国産えぞ松単板が加わるようになり、モデル別に「スプルース」「えぞ松」「シダー」を使い分ける様になっています。

No.27/★★★
ヤマキの初期のフォーク・タイプに関して興味あるので、その詳細を教えて下さい。


初期のヤマキ製品はすべて「F」シリーズしかなく、このFシリーズのバリエーションとして「FC」「FS」があります。

F-115以上がウェスタン・タイプ、F-112、F-110、F-108の3モデルのみフォーク・タイプで、特に名称・タイプ分けされていませんでした。

また、「FC」はClassc的な、「FS」はSサイズ的意味合いのボディ・デザインから言えば、これらもフォーク・タイプに分類されるかも知れません。

'70年には新たなモデルチェンジとともに価格帯によりCustom、Deluxeに別れ、フォーク・タイプはすべてDeluxeへ移行しています。

'72年にはCustom、Deluxeを通じてフォーク・モデルとする独立したF-10からF-20の各モデルへと移行し、これに対応するようにフォーク・ジャンボ・モデル、ウェスタン・モデルと明確に(と言うより便宜上)分類される様になりました。

この後プティ・シリーズが登場する'75年3月頃まで、F-50に至るまで実に豊富なバリエーション展開が続いています。

No.28/★★★
プティ・シリーズのモデル内容・仕様詳細・コンセプト等詳しく教えて下さい。


プティ・シリーズはその名が示す通り小型(Sサイズ)を示すものですが、従来のフォーク・タイプとは異なり、そのコンセプトは日本人向けの小さいボディながらも、より大きな(ダイナミックな)サウンドを目指し開発されたものながら、当然従来のフォーク・タイプとは構造その他が異なるものです。

リリースは'75年3月頃で、まずプティ(Sサイズ)ボディのBP20、BP30、BP50の3機種が、その後続くようにFP20、FP30、FP50がリリースされました。外観上「BP」が個性的なバッファロー型のヘッド・デザインに対し「FP」がプレーン・ヘッドです。正規の呼称はありませんが、便宜上「BP」をバッファロー・ブティ、「FP」をフォーク・ブティとすれば覚えやすいでしょう。

海外プレス向けの英文には「BP80」「BP100」といった記載も見受けられますが、未だ同等品が見受けられないことから、事実関係は不明です。

なお、後述の質疑応答No.62に一推測として記載していますが、「FP」シリーズ、「BP」シリーズは、小平楽器で製造委託されたシリーズである可能性があり、これらシリーズが共にクラシックギター型ボディである点でも、クラシックギター専門製造メーカーとしての小平楽器への製造委託も納得出来るものではないでしょうか。

このプティ・シリーズのリリースをもち既存のフォーク・モデル中、F-20以上F-50までが同価格帯ということからか廃番となり、結果F-13、F-15、F-18の3機種のみがレギュラーのフォーク・モデルとなっています。

この後、'76年4月頃に大幅なモデル・チェンジが試みられ、「BP」は新バッファロー・シリーズ「YB」に統合され、「FP」は新フォーク・シリーズ「YF」に移行されています。

No.29/★★★
ヤマキ楽器がリリースしたF-185(定価8万5千円)が高級ギターの先駆け・・・と記載がありますが本当でしょうか?


'71年新春にヤマキF-185、F-165がリリースされた意義は大きく高級ギターの先駆けの一端を担ったのは事実でしょうが、この分野を開拓したのは、田原良平氏率いる田原楽器によるJUMBO(ジャンボ)が挙げられると思います。

またカワセ楽器のMASTER(マスター)も見逃せない存在ながら、SHOPブランドというかなり限定的な観点からすれば、名実ともにジャンボが市場開拓したのではないでしょうか。

'70年半ば頃には、「J-80」「F-80」(各定価8万円/共にハカランダ単板仕様)を筆頭に既に11機種ものウェスタンを取り揃え、ハイ・クオリティの代名詞商品としてマーケットをにぎわせ多くの製造メーカーにも影響を与えたようで、翌年のS.ヤイリやモーリス・ハンドメイド、ヤマハのフラッグシップ・モデルなどの布石となっていると言えるのではないでしょうか。

'73年福原楽器からリリースされたHumming Bird CUSTOM(ハミングバード・カスタム/製造元:東海楽器製造)も、ジャンボをかなり意識したようなヘッド・ロゴとなっており、当時の影響力を示す好例かも知れません。

No.30/★★★★★
ヤマキ・ギターで特に珍しい希少なモデル・製品があるようでしたら教えて下さい。


2つ挙げられると思います。1つ目はおそらく1台しか存在しないものと思われますが、栗林楽器の依頼により製造されたマンモス・ジャンボ・ギターで店頭宣伝用に製作された巨大ギターです。

その製作に当たったヤマキ楽器の製作水準の高さもさることながら大変な注目を浴びた製品で、1970年初頭に制作費30万円をもって大阪の栗林楽器ならびに松本楽器に展示されたものです。

以降、楽器ショーなどの話題性・人寄せ的に他社でもこうした巨大ギターは幾つか作られた様です。

2つ目は、1975年10月に開催された「'75 楽器フェア」に向け開発・展示されたダブルネックのアコースティック・ギターで、2種類のダブルネック・ギターが展示され、それまでにない注目を集める製品となった様です。

各ネックに対し独立した2つのサウンド・ホールをもつタイプと、オーバルのやや横長の1つのサウンド・ホールをもつタイプが展示出品され、楽器フェア期間中に20本程の注文を受けたそうですが、年内一杯それ以上の生産対応できない事情もあったようです。

翌年ダブルネック・ギターがダイオン・カタログに載ることがなかった事を考えれば、マンモス・ジャンボ・ギター同様、各楽器販売店での話題性・人寄せ的にオーダーされたのみで終わってしまったモデルと言えるかも知れませんが、実際に製造されたかどうかさえも現時点では不明です。


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