ヤマキに関する様々な総体的疑問に答える質疑応答形式で、1つ1つひもときながらヤマキ像に迫ろうというものです。多角的に質問事項を想定し、興味深い事柄は随時追加していきます。

質疑応答の内容に、独断と偏見でカルト度合いを「」の5段階表記しました。「」表記の多いもの程、難度・専門度も高いといった、あくまで目安的なものです。(解答内容の不備な点は、お気づきの情報・解答等をお寄せ下されば幸いです。)

●カルトQ&A VOL.1(No.01〜)
●カルトQ&A VOL.2(No.11〜)
●カルトQ&A VOL.3(No.21〜)
●カルトQ&A 
VOL.4(No.31〜)
●カルトQ&A 
VOL.5(No.41〜
●カルトQ&A VOL.7(No.61〜)
●カルトQ&A VOL.8(No.71〜)
●カルトQ&A VOL.9(No.81〜)

No.51/★★★★
1972年頃の製造と思われるヤマキ・ギターのヘッド裏にはダイヤモンド・ヴォリュート加工が施されており、同年前後の同じモデルには何故か同じ仕様が見られない様ですが、珍しい仕様なのでしょうか?


結論から申せば珍しい仕様です。このダイヤモンド・ヴォリュート加工は、1973年新春にリリースされたNo.1000番台の高級手工モデル(F-1100、F-1150またはNo.1100、No.1150)から導入された言わば高級モデル仕様で、1971年新春にリリースされた当時最高級手工モデル(F-185、F-165)でも導入されておりません。

ご質問の仕様ですが、この高級手工モデル(F-1100、F-1150)の開発が始まった1972年中期以降に、プロト・モデルの製作を含めた製造上の都合により、同時期のネック製造の数ロット分のみがダイヤモンド・ヴォリュート加工され、同時期のトップ単版仕様以上のモデルに適用されたものと推測され、一過性の限定された仕様と言えるのではないでしょうか。

No.52/★★★
ヤマキ楽器製のOEMブランドの詳細は、ことフォーク・ギターに関しては当サイトでも紹介されていますが、その他ヤマキ楽器が手がけた楽器はありますか?


フォーク・ギター以外では、クラシック・ギター(ガット・ギター)、エレキ・ギターの2つに大別されるとおもいますが、クラシック・ギター(ガット・ギター)で言えば、新堀ガット・ギター全音ギターが挙げられます。とは言え両ブランド共に製造には数社が絡んでおり、おそらくフォーク・ギター需要が落ち込み初めた1980年前後頃から請負い始めたブランドではないでしょうか。

その他、エレキ・ギターの製造では、1978年より本格的に参入した後発組ですが、そのクオリティおよびコスト・パフォーマンスの高さからか、ESPElectric Sound Products)のNavigator(ナビゲーター)ブランドのミュージシャン・モデルの製造を手がけている様です。

No.53/★★★
1980年以降のダイオン・ブランドのエレキ・ギターはすべてヤマキ楽器で製造されていたのでしょうか?


かって寄せられましたヤマキ楽器から回答中、この件に関しては不明瞭なものでした。唯一の手がかりとしての伊藤秀彦氏の回答によると('81年〜'83年と期間限定される)、ヤマキ楽器で製造していたのは事実ながら全てではない様です。

ダイオン・ブランドのSAVAGEシリーズは、当初はヤマキ楽器にて製造され、その後すぐにダイナ楽器の製造となった様です。

Washburn(ワッシュバーン)ブランドは、同時期アコースティック、エレクトリック共にヤマキ楽器が製造しています。

また、高価なプレス加工機も設備されており、同時期のアーチトップ系のセミアコ、エレアコ等の製造に欠かせぬ設備として導入されたものと思われます。

注目すべきは、塩尻と松本の中間位の所にエレキ専門の工場があったという回答で、そちらの工場での製造依存度も比較的高かったという点です。ただし、このエレキ専門工場が、ヤマキ楽器の分工場あるいは子会社であったのか、下請けとしての別会社であったのか、その詳細は残念ながら不明です。

このエレキ専門工場も後に火災で消失してしまったとの事で、もしかするとこの事件が、質疑応答No.49のダイオン倒産とも少なからず関与するであろう事として考えられるかも知れません。

No.54/★★★★
質疑応答No.52にあるようにエレキ・ギター製造は1978年以来とのことの様ですが、それ以前にヤマキ楽器がエレキ・ギターを製造したことはないのでしょうか?


1978年より本格参入したとあえて記載している通り、実はそれ以前にヤマキ楽器がエレキ・ギターを製造していたことを伺わせる関連資料があります。

その製造時期はヤマキ楽器設立ほどない初期にわずかに生産し輸出もされていた・・・とあります。おそらくは1968〜69年頃の60年代末を意味すると思われ、同時期の状況を推測するに、その製造のほとんどが全音に絡んだ製造であったのではないかと推測します。

国内においては同時期特有のギブソン・レスポール系コピー・ギターの流行も見逃せない要素に加え、Vision(ビジョン)ブランドなるレスポール系コピー・ギターをご指摘する旨もありますが、現状では関連資料&情報はなく、その可能性を肯定も否定も出来ません。

No.55/★★★★
なぜ1980年代になりヤマキ・ブランドからダイオン・ブランドに移行したのでしょうか?


CI(コーポレート・アイデンティティ)に絡んだブランド戦略の一環と思われます。ただし、他社に見られるような製造と販売のブランド・イメージを統一させることで製販一体の販売メリットを考慮しての変革(モーリスvsモーリス楽器、アリアvsアリア弦楽器など)と比較すると、ダイオンvsヤマキ楽器なる状況では異なる状況と言えるでしょう。

兄弟関係でもある2社の状況を物語る興味深い同時期の関連事項として、1978年新春、ファミリー企業である信濃楽器のシナノ・ブランドも全てヤマキに統一しブランド・イメージを浸透させるという、ヤマキ・ブランドによる一体感を目指した方針をダイオンが打ち出しています。

既に10年以上の長きに渡りヤマキ・ブランドを育んできた両社の経緯と今後の展望を示唆した変革であったと思われます。こうした経緯からすると、その後わずか2年後のダイオン・ブランド移行劇はやや不自然とも思われます。

このわずか2年間の状況推移の中で注目すべき点として、落ち込みつつあるアコースティック・ギターの需要状況、それに対してやや上向きつつあるエレキ・ギター需要、加えて1978年以降から参画されたダイオン社長のご令息である寺平博次氏の存在も見逃せない要素と思われます。

質疑応答No.47でも触れているように、そもそもギター・ヘッド前面からヤマキというブランド名がなくなった最初のモデルは、博次氏の参画によりプロデュースされたThe Yearシリーズ最初のThe '78からで、こうした仕様の変更は、同年新春に打ち出されたばかりのヤマキ・ブランドへの統一およびブランド・イメージの浸透という変革・方向性からすると、かなり大胆なリーダーシップなしには成し得ない変更であったのではないかと推測します。

対外的には貿易部長であると同時にギター・デザイナーとして参画し才能を開花させた同氏のリーダーシップは、同時にエレクトリック市場を見据えたCIに絡んだダイオン像への新たなプロローグでもあったのではないかと想像するところです。

No.56/★★★
ヤマキ楽器の一連のギター製造の中で、何か変革期と言えるような時期、あるいは要素というものはあるのでしょうか?


大きく分けて2つ考えられます。まず、最初にトップ単板材がシダー(米杉)材からスプルース材に変更された1972年頃で、この時期を境によりマーティン・ドレッドノートを意識したと思われる変更が加えられています。

同年6月にはヤマハでは通称赤ラベルからグリーン・ラベルへと変更されましたが、これは同時に、自動オートメーション製造で月産3,000あるいは4,000台以上とも言われるアップライト・ピアノ専用工場・西山工場に始まり、わずか数年で同等の生産可能な2工場を加え生み出されるスケールメリット(量産規模による利益)が、人件費や木材コストの高騰により、いよいよ限界にきたことの象徴的マイナー・チェンジである様に、ヤマキにおいても1972年新春のマイナー・チェンジがおそらく同様の変更期とも重なっているように思われます。

また、トップ単板材がシダー材とスプルース材では、その製造コンセプトも異なるのは当然であろうと思われ、トップ単板材がシダー材である1971年頃までは、日本独自あるいはヤマキ独自の開発コンセプトを昇華させていったものと高く評価できるのではないでしょうか。

翌1972年頃からは、絶頂期にあるフォーク・ブームやそのムーブメントの原動力となったシンガー&ファン層一体となったギター・マーケットの流行としてのマーティン・ドレッドノートをより意識したマイナー・チェンジとなっている様で、スプルース材への変更もそうした一端であろうと思われます。

一方、質疑応答No.55でも触れている様に、1978年以降、貿易部長にしてギター・デザイナーとして参画しダイオンの推進力となった寺平博次氏の関与した一連のダイオン・ギターも、大きな変革期に生まれたオリジナリティあふれる製品となっており、1978年以降がもう一つの変革期と言えるかも知れません。

この他、'70年代に起きた2度のオイル・ショックによる諸物価高騰による材の変更なども変革期の一部と言えるでしょう。

※オイル・ショックに関連したギター資材高騰の内容は、「時代と節目」欄中、'73年時の(第1次)オイル・ショック関連事項として記載しています。

No.57/★★★
ヤマキ・ギターは弦高が低く弾きやすいように感じますが、そうした意図のもと製造されているものなのでしょうか?


全モデル的かどうか不明ながらヤマキ・ギターの基本コンセプトである様に思われます。特に初期から中期に至るモデルにおいては、意図的に弦高を低く抑えようとしている製造コンセプトが伺えます。

初期から1972年頃までの弦高を調整できる可変ブリッジ仕様においては、質疑応答No.4にもある通り、その製造意図が弦高を最低限に抑えるためとの回答を得ています。また、同時期ごろまでの0フレットが付いているモデルでは、0フレットも1フレットも同じフレットが使用されています。

通常、0フレットは1フレット以降とは異なるやや高め(太め)の異なるフレットを使用するのが通例ですが、ヤマキにおいては1フレット以降と同じフレットを使用することで、極力弦高を低く抑えて弾きやすさを実現するという余り例を見ないシンプルな手法を用いている様です。

これは、同時に0フレット上でもその他のフレット同様にサウンド・ニュアンスを極力同じものとなる様な配慮でもあると思われます。

ただし、シンプルな手法とは言え、実はより高度な製造技術や材の厳密なコントロールが必要なだけに、ヤマキならではの自信に裏付けられた仕様と言えるかも知れません。

こうした点からも弦高をいかに低く抑え弾きやすくするかというヤマキ的な製造コンセプトが伺えると思います。

※質疑応答No.4では0フレット&アジャスタブル可変ブリッジ仕様を、質疑応答No.23では0フレット仕様を取り上げています。ご参照下さい。

No.58/★★
ヤマキ・ギターの指板上のフレットは、打ち込みが甘くフレットが浮きやすい様に感じられますが?


ヤマキ・ギターに限らず、'70年代の量産期のギターにはしばし見受けられる症状の様で、量産処理あるいは人件費削減等の工夫として効率性を優先させていた当時の機械式によるフレット打ち込み対応のものに多く見られる現象の様です。

その多くは、荒止め・仮止めのフレットを、オイルまたはエアー・プレッシャー等によりバイブレーションを加えるなどして指板にほぼ垂直に打ち込まれることで短時間で終了します。効率性は若干おちますが、人的プレッシャーによる機械打ちの場合もあります。結果としては同等で、共に製造時には何の問題もありません。

ただし、使用にともなう発汗の影響による指板収縮の繰り返しや、未使用であれ数十年という長期間の指板収縮の繰り返しにより、収縮の影響を受けやすい指板左右部において摩擦係数が劣化するように押し出され徐々に浮いてしまう様で、エアー・プレッシャーを利用した機械打ちを導入していたヤマキ・ギターもその例に漏れない様です。

No.59/★★★★
発売当時、特に割安あるいはその逆の割高なヤマキ・ギター、あるいはヤマキ楽器で製造されたギターというものはあるのでしょうか?


ヤマキ・ギターは、クオリティーに対してリーズナブルなギターであることは、おそらくは当時の販売店員が一番良くその内容を理解していたのではないでしょうか。

さて、特に割安あるいは割高な関係として、ヤマキ楽器製造によるOEMブランドが挙げられ,同等モデルであれば、ヤマキ・ブランドの方がリーズナブルの様です。

ただし、1970年前後期のヤマキ楽器製造によるFolks(フォークス)、Folex(フォレックス)、Hamox(ハモックス)は、販売経路が異なりますが、後にヤマキにブランド統一された経緯も含め、ほぼ同等の様です。(※フォークス、ハモックスは、その後製造元を変え引き継がれた様です。)

Marchis(マーチス)の正確な販売経路は不明ながら、'70年代中期ごろの二光通販の広告紙面では、スポット的な目玉商品として相当のディスカウント価格で販売されていた様子が伺われます。この時期は、業界全体が様々な意味で在庫のだぶついていた生産調整期でもあり、そうした在庫調整によるものと言えるかも知れません。

同じく'70年代中期以降でのTomson(トムソン)では、ヤマキ同等モデルが割高な価格設定になっている様です。2割〜3割引きは当たり前といった直販方式のトミー商会がらみでは、値引き相当の2割〜3割が既に上乗せされているかのような価格設定になっています。

'70年代後期ごろのWashburn(ワッシュバーン)対ヤマキの関係では、ほぼ同等と思われるモデル間で1万円ほどの開きがある様です。ブランド料相当と言えるのでしょうか。

最後に1984年のダイオン倒産後に、ダイオン在庫のアコースティック、エレキ・ギターの処分品と思われるものが、関連楽器店などでほぼ半値近くの値段で特売されていた様です。この時期はほぼダイオン・ブランドであり限定的および一過性のものながら、かなりのお値打ち品として入手可能であったと言えるのではないでしょうか。

No.60/★★★★
ヤマキ・ギターならびにダイオン・ギターが途絶えたという事は、ギター・クオリティーよる競争に単に淘汰された結果なのでしょうか?


とても難しい質問です。

まず、ギターを取り扱う楽器商社が1970年代後半から1980年代初期にかけてどのような販路を模索・開拓していたかが大きなポイント&分岐点ではないでしょうか。

当時の楽器商社を分析すると、大きく分けて3パターンに分かれる様に思います。

1)国内出荷低迷や輸出の落ち込みを、外国製品を広く輸入販売することでバランスを取る。

2)アコースティックの落ち込みを、エレクトリックの拡販で補う。

3)海外の安定した楽器商社(製造メーカー兼業も含む)との代理店契約、あるいは販売拠点を設けることにより輸出需要をまかなう。

この3点がキー・ポイントであると思われますが、いずれにせよ上記3点のいすれかにおいて巨大マーケット・アメリカでの有望な楽器メーカーや楽器商社と共生関係を構築できた日本の楽器商社(製造メーカー兼業も含む)に大きな歩があったという事であり、ギター・クオリティー的観点での淘汰説であれば、論点はやや異るのではないでしょうか。

ヤマキならびにダイオン・ギターが淘汰され姿を消した要因は、上記3点のいづれかにおいて有望かつ安定的関係を構築あるいは開拓できなかった点があげられると思います。

また、ヤマキに限らず、楽器という観点から特筆すべきオリジナリティー&クオリティーを持ちながら淘汰された不運なメーカー&ブランドはありますが、やはり上記3点のいずれかに当てはまらないばかりか、国内マーケットの未成熟性、あるいは流行性に左右されたというのが実情あるいは同時代的主要素であり、単にクオリティー云々のみで一概に淘汰説を語れないと思われます。

そうした意味では、上記主要素により十分に評価&支持されなかったメーカー&ブランドのオリジナリティー&クオリティーが、今後は改めて再評価される時期を迎えていると言えるでしょうか。


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