ヤマキに関する様々な総体的疑問に答える質疑応答形式で、1つ1つひもときながらヤマキ像に迫ろうというものです。多角的に質問事項を想定し、興味深い事柄は随時追加していきます。

質疑応答の内容に、独断と偏見でカルト度合いを「☆」の5段階表記しました。「☆」表記の多いもの程、難度・専門度も高いといった、あくまで目安的なものです。(解答内容の不備な点は、お気づきの情報・解答等をお寄せ下されば幸いです。)

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No.81/☆☆☆
質疑応答のNo.79で、「ヤマキ」命名の由来に武田信玄の号「機山(キザン)」が関係しているとありますが、一方でヤマハに関係させているという見方はないのでしょうか?


「ヤマキ(山幾)」命名の由来が武田信玄の号「機山(キザン)」に関係するのかどうかは、あくまで現時点では管理者の推測に過ぎません。

創業者の寺平一幸氏に宛てた初回限りの質問では詳細に内容が踏み込めておらず、「ヤマキ(山幾)」命名由来に関する回答内容にも武田信玄との関係は一切触れられていませんので、正確には武田信玄の号との関連性は“未確認”です。

「ヤマハ(山葉)」との関係で言えば、「ヤマキ(山幾)」はかなり意識せざるを得ないブランドを選択したと言えるように、大胆かつ意図的にヤマハの欧文ロゴとは異なるロゴ・デザインを選択しています。

ヤマハが“ゴシック系直線型”であれば、ヤマキは“明朝系筆文字型”という様に、その傾向はヤマキ初期には顕著ながらも、明朝系はブランド・ロゴとして印象が弱いためか、徐々にゴシック系に移行していく傾向にあります。

1970年代初期と中期に二度に渡る新たなCI戦略によりヤマハ系ブロック体に近づきつつ差別化・区別化を意図してはいるものの、それらは結果的には「ヤマハ(山葉)」と類似したブランディングの結果と言わざるを得ず、そこにヤマハと関わる動機や意図があったかどうかに関しての質問事項には、“ない”と記されています。

No.82/☆☆☆☆
ヤマキのネックブロックで独自形状の梁型ブロック導入の意図として、トラスロッドをボディ側から調整する新機能導入に伴い考案&導入されたものなのでしょうか?


ヤマキの梁型ネックブロックに関しては質疑応答No.71でも少し触れていますが、梁型ネックブロックと新トラスロッドのそれぞれの導入時期は異なります。

まず、1972年頃に梁型ネックブロックが導入されています。すでに導入済みL型ネックブロックの改良型として導入され、ネック起きに伴うボディ側ネック周辺やダボ・ジョイントの補強のためと思われます。

この後、1973年頃にトラスロッドをボディ側から調整する新機能を導入しているため時系列がわずかに異なります。

この際“ヤマキ・ギターの特徴としての新アジャスターにより、特に12フレットから18フレットあたりの調整には効果が発揮できる”とされていますので、梁型ネックブロックに加えより強力な調整機能も兼ね備えたと言えるのではないでしょうか。

No.83/☆☆☆☆
ヤマキのアメリカ向け輸出品とおもわれる「MANA(マナ)」という12弦ギターを入手しました。解る範囲で詳細を教えて下さい。


MANA(マナ)ブランドのヤマキ・ギターは検体が少ないながらも数台確認されており、その仕様から“1972年製”のみとなっています。

また、型番はヤマキ製品をそのまま踏襲しているか型番の最初に「M」が付加されるだけなので、おそらくヤマキ社内でラベリングされ出荷されたものと思われ、型番から仕様も解りやすくなっています。

おそらくダイオンの寺平太一氏が1972年に積極的にアメリカのギター・マーケット開拓に尽力した成果の一つであろうと思われ、翌1973年よりダイオン取扱いの新商品となったアメリカ製「Harptone(ハープトーン)」ギターも同様の成果の一環です。

輸出向けMANA(マナ)のブランド・ラベルを掲載致しますので、興味ある方はラベルの詳細から検索してみる事でより詳細な情報が解るかも知れません。



No.84/☆☆☆
ヤマキ楽器の製品販売元であるDAION(ダイオン)は、1984年7月倒産との事ですが、その後どのようになったのか判る範囲で教えて下さい。


1984年7月にDAION(ダイオン)が倒産に至った経緯は正確には不明ですが、それまでのYAMAKI(ヤマキ)ブランドから新たなCI戦略となったDAION(ダイオン)ブランドの展開が振るわなかった事と、アコースティックギターの国内出荷および輸出が急速に落ち込む中、エレキギターを中心とした新たな音響製品(PA)の開拓需要が増していた時代背景が考慮されます。

こうした状況下、DAION(ダイオン)を整理・解散し、新たな需要としての海外ブランド・PIAVEY(ピービー)製品へシフトするために必要な計画的倒産であった様に思われます。

既にヤマキ楽器との製品販売関係に終止符が打たれ、次なる展開としてDAION(ダイオン)倒産と入れ替わる様に、1984年7月に社長・寺平太一氏は、改名前の寺平安幸氏としてピービー・ジャパン(株)を設立し、日本総代理店としてピービー製品へ完全シフトしました。

その際、ピービー・ジャパン(株)の東京営業所となったのが、後のSTK(エス・ティ・ケー)で、1990年9月からわずか数年ながらピービー製品の日本総代理店を引き継いだようです。

また、1996年3月頃、STK(エス・ティ・ケー)がYAMAKI(ヤマキ)ギターを復活販売させた事は、質疑応答No.11で解答済みです。

ピービー・ジャパン(株)は、翌1985年12月に日本音響(株)に社名変更し、DAION(ダイオン)以来の社長・寺平安幸氏、貿易・寺平博次氏(子息)体制も1990年頃には新体制へと組織改編された様です。


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